先月末、日経紙に載った記事を見て思わずフライング気味に書いてしまったエントリーがある。
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com
その時は、何だか腑に落ちない記事だなぁ・・・と思いながら読んでいたのだが、その直後に、公取委、経産省がそれぞれ”元ネタ”となった資料をアップしてくれたこともあり、それに目を通して初めて、ああそういうことだったのか、と気づいたこともいくつかあった。
資料がリリースされてから少し時間が空いたこともあり、既にあちこちで話題になったネタをちょっと遅れて・・・という感じではあるのだが、最初の記事からは見えなかったことをフォローしたい、という思いもあり、改めてエントリーを立てて、以下、簡単に気づいたことを書き残しておくことにしたい。
「スタートアップの取引慣行に関する実態調査 中間報告」(公正取引委員会)より
中間報告原文:https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2020/jun/200630_2.pdf
先日のエントリーでは、あまりに”煽り”がひどかったこともあって、消極的なコメントしかできなかったこのアンケート調査だが、実際には会社の「契約内容の確認体制」という興味深いデータもあるし*1、「納得できない行為を受け入れたか」という問いに対し「受け入れなかった」と回答した会社が25.2%もいた、という事実や、「納得できない行為を受け入れた理由」への回答の中で一番多かったのが「取引先から、取引(当該取引のみならず、進行している他の取引や将来的な取引も含む)への影響を示唆されたわけではないが、今後の取引への影響があると自社で判断したため」(46.9%)となっていた、ということ、そして何よりも、
「他社(大企業等)から納得できない行為を受けた経験の有無」という問いに対し、「受けた経験がある」と回答した会社が僅か14.8%に留まっていること」
など、全体を通じてみれば、(記事のイメージとはかなり異なる)納得感のある常識的な結果となっている。
もちろん、少数派とはいえ不利益を受けた会社が一定数ある、というのは事実なわけで、しかも、「納得できない行為の具体的な内容」について、新聞記事では端折られていた「どのフェーズでの話か」ということや、その他の前提を踏まえると、まぁそれはけしからんよね、と思える回答は多かったような気がする。
特に技術検証(PoC)過程での出来事として書かれている、
「当初契約していた範囲を超えて,追加の作業を求められ,実施したにもかかわらず,その追加の作業について,契約書が提示されず,最終的には対価も支払われなかった。」
とか、
「契約書に記載のある納品物以外に,追加の成果物を納品成果として提出するように指示されている。」
「契約に無い作業を行うことを求められたことや,検証作業を遅らされ,資金回収も1年以上遅らされたことがある。」
といったエピソードに関しては、お行儀の悪い「大企業」の担当者が良くやらかしそうな話だな、と思うし((この中には、そもそも、共同研究開発の予算が付く前に、お互い前のめりで始めてしまって、気が付いたらただの”検証”のレベルを大きく超えてしまったので、「支払いはちょっと待って・・・」となってしまったパターンも多いと思うのだが、仕事をさせたら金も払う、契約の範囲を超えた仕事にもちゃんと金を払う、というのは注文者側の鉄則だから、上記のような話が事実なら、それはまぁあれこれ言われても仕方ないだろうと思うところ。
また、契約全体に係る話として、
「契約における自社の受託範囲が明瞭ではなく,取引先からの入金がされないまま多数の作業を強いられた。」
「仕事内容に不備がないにもかかわらず,口頭ベースで話していた契約条件について,納品のタイミングで不当に値引きされた。」
という回答も上がっており、ここまでくると、いかに双方の認識相違が背景にあったとしても、決して好ましい話ではないことは間違いない*2。
個人的に惜しいな、と思うのは、この調査、先述した「契約書の確認体制」等、今後「スタートアップ各社が対等な契約交渉ができるようにどう支えていくか?」ということを考える上で活用できそうな質問事項も立てられているのに、その「体制」についての回答と「納得できない行為を受けたか/受け入れたか」についての回答との間でクロス集計による分析がきちんとなされていないように見えるところだろうか。
自由記述欄の記載にしても、契約への対応に社内外の専門的な知見を持つ人々がどれだけしっかり絡めている会社かどうかによって、書かれている内容の信頼性もどうしても変わってくるところがあるだけに、より掘り下げるのであれば、そこだろうな、と思うところである。
あと、これだけスタートアップに同情的なエピソードを取り上げつつも、
「アンケート調査の結果のうち,優越的地位の濫用の観点から問題があると評価されるのは,これらの行為が「自己の取引上の地位が相手方に優越していることを利用して,正常な商慣習に照らして不当に」(独占禁止法第2条第9項第5号)行われてスタートアップに不利益を与える場合である。そのため,他社(大企業等)の取引上の地位がスタートアップに対して優越していない場合等には,優越的地位の濫用として問題とはならない点に注意が必要である。」(16頁、強調筆者)
と予防線を張っているところが、いかにも公取委らしいなぁ・・・と思ってしまった。
「研究開発型スタートアップと事業会社のオープンイノベーション促進のためのモデル契約書ver1.0」(経済産業省)
さて、いろいろと話題になっているのが、こちらの「モデル契約書」である。
「本モデル契約書は、公正取引委員会による「スタートアップの取引慣行に関する実態調査」の中間報告で明らかになった問題事例に対する具体的な対応策を示しており、契約交渉で論点となるポイントについても明確にしています。」
「本モデル契約書が、企業とスタートアップとの円滑なコミュニケーションの一助となることで、オープンイノベーションが成功し、創出された事業価値が最大化することを期待します。」
と謳われているように、先ほどの公取委のアンケート調査を踏まえた「モデル契約書」ということになっているのだが・・・。
まず気になるのは、ここで取り上げられている「秘密保持契約書」、「共同研究開発契約書」、「ライセンス契約書」といった契約書式については、既に当の経済産業省も含む多くの公的機関から「モデル契約書」的なものが示されている、ということ。
たとえば秘密保持契約書に関しては、経済産業省自身が鳴り物入りで打ち出した「秘密情報の保護ハンドブック」の参考資料として公表された「参考例」があるし、この参考例の中には「共同研究開発契約書」の例すら示されている。
https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/pdf/handbook/reference2.pdf
さらに言えば、ご承知のとおり、共同研究開発に関しては、公正取引委員会が20世紀末に出した「共同研究開発に関する独占禁止法上の指針」*3が、ライセンス契約に関しては「知的財産の利用に関する独占禁止法上の指針」*4が依然として生きているわけで、それに基づく実務家作成の書式集等も多数世に出ている中、再びこのような形で”焼き直し”的な「モデル契約書」が出てくれば、喜ぶ人よりも戸惑う人の方が多くなるのは間違いない。
もちろん、「モデル契約書」の検討に参加するメンバーの顔触れが変われば、(好みの問題も含めて)異なる視点は出てくるわけで、今回「オープンイノベーションを促進するための技術分野別契約ガイドラインに関する調査研究」委員会、という長い名前の委員会の方々が知恵を絞って作ったであろう成果物の存在意義をハナから否定するつもりはないのだが、現実に「大企業」の側が用いている契約書にしても、過去の公的機関の参考書式やガイドライン等を参考にしつつ、実際に起きたトラブルから得た教訓等も反映しながら作り込まれているものなのだから、新たに「モデル契約書」を作るのであれば、
「これまでの参考書式や実務雛型を、どのような理論的・実務的根拠の下で、どう克服しようとしているのか?」
ということまできちんと示さないと、かえって混乱を招くだけの結果に終わるような気がしてならない。
ちなみに、今回公表された「モデル契約書ver1.0」に関し、作成した委員会からは、以下のような”作成思想”が示されている*5。
このモデル契約書は、オープンイノベーションにおいて協業する双方において常に意識され、拠り所とすべき価値観=「価値軸」として以下を掲げています。
『スタートアップと事業会社の連携を通じて創出された知的財産等の最大活用をもって事業価値の総和を最大化すること』
この価値軸を前提とし、個別の協業の場面においては、例えば以下のような考え方・行動が選択されるべきです。
・ 生み出した知財を源に、より多くのキャッシュフローが産み出される結果につながるよう、双方が意識をして帰属や利用の整理を行う(⇔“とりあえず共有帰属にする”という選択は NG)
・生み出した知財の実施は、双方のビジネスモデルからして利害対立が調整できない事業領域のみ競業禁止とする。(⇔必要以上に広範な分野・領域において実施を禁止するという選択は NG)
(以上1頁、強調筆者、以下同じ)
「事業価値の総和を最大化する」という総論に関しては、さして違和感はないのだが、その後の「各論」で出てくる(そして「モデル契約書」の中でも繰り返し強調される)「知財共有帰属」への否定的なスタンスは、実務サイドの視点から見ると、そこまで忌み嫌わなくても・・・と思わずため息をつきたくなる。
このような「委員会」の発想は、PoC契約書や共同研究開発契約書の解説の中でも随所に出てきていて、
・事業会社としては、研究成果に係る知的財産権を取得できずとも、研究成果を(一定の範囲で)独占的に利用できれば事業戦略上支障はないはずである。
・そこで、双方が研究成果に係る事業を成功させるべく、スタートアップが自社で知的財産権を保有することの重要性にも配慮し、スタートアップに知的財産権を帰属させつつ、事業会社に事業領域や期間等の面で一定の限定を付した独占的利用権を設定することで調整することが、創出された発明の最大活用の観点からは望ましい。(共同研究開発契約書、10頁)
という記述などに明確に示されている。
しかし、ここで議論されるべき「知財」は、スタートアップ会社が元々有していたBackground IPではなく、事業会社が知恵と資金とフィールドを提供した結果得られたそれ、なのだから、事業会社側でも一定の権利確保を望むのは当然のことであるはずだ。
スタートアップ自身が技術を活用して事業展開することを妨げるつもりは毛頭ないのだが、そもそも独自技術すらロクロク特許出願してこなかったような会社が、大企業の資金を得、さらに「特許出したらいいんじゃないか」という大企業側の知財担当者の助言を得たのをよいことに*6、特許を単独名義で出願して自分たちだけで囲い込むのはちょっと違うでしょ・・・というのが、取引社会に生きる者の常識的な感覚であるべきだと自分は思っている。
あと、「独占的に利用できれば・・・」というコメントもあるが、ここでは、経営基盤が脆弱で、いつどこの資本の手に落ちるかもわからないようなスタートアップに「単独」で知的財産権を保有させて大丈夫なのか?という視点も欠かせないし、業界によっては、「業界の主力企業との共有特許を持っている」ということだけで、組んでいる会社の信用度が上がり、開発したプロダクトをスムーズに業種水平展開できる場合だって多い、ということにも留意する必要がある。
「委員会」の解説では、
・特許権を共有にする場合、日本法の下では、当該特許発明の実施は、契約で特段の制限をかけなければ各共有者が自由に実施できる(特許法 73 条 2 項)ものの、当該特許の第三者へのライセンスは共有者の許諾がなければ原則としてなし得ない(特許法 73 条 3 項)。
・したがって、例えば、ものづくり系のスタートアップが、第三者に自社プロダクトの製造・量産を依頼するにあたり当該第三者に共有特許をライセンスする必要がある場合、事業会社からライセンスの許可をとらなければならない。しかし、事業会社の社内決裁に時間を要することで事業のスピードが低下したり、そもそもライセンスの許可が下りず、計画が頓挫するといった可能性も否定できない。
・また、共有特許に係る共有持分の譲渡についても、共有者の同意が必要になる(特許法 73 条 1 項)。例えば、スタートアップが M&A による EXIT を目指す場合、M&A のスキームによっては当該特許の共有持分を個別に買主である企業に譲渡する必要が出てくる場合があり、事業会社の許諾が必要となる。そして、当該許諾を適時に得られなければ、当該 M&A に対する支障となる。
・以上は日本法を前提とする。共有特許制度に関する法律の内容は国によってもまちまちであり、グローバルビジネスにおいては、各国の法制に沿って対応する必要があるが、スタートアップにとってこれも大きな負担となる。
(14~15頁)
といった理由を縷々挙げて、「現状では、知的財産権の共有は・・・スタートアップにとって好ましくない。」と断じているのだが、ここに挙げられている事情の上3つは、提携する「事業会社側」にしてみれば、
「だからこそ知財を共有にしておく必要がある」
という理由に他ならないものだし、事業会社とスタートアップの連携がうまく機能している限り、上に挙げられている事情が「支障」となる可能性は決して高くはないのだから、いくつかのデメリットを考慮しても「共有」とすることで円滑にビジネスを進められる場合も多い、ということは付言しておきたい。
他にも、「事業のスピード」を強く意識している割には、契約協議で無用に時間を要する恐れのあるポイントが論点として強調されているところはあり*7、「ビジネスの成功と利益の保護を両立させる」という戦略的観点から見た場合には、スタートアップにとって必ずしも得にならない記述が散見されるのが、この「モデル契約書解説」の気になるところ。
もちろん、「契約の存在および内容」それ自体を秘密保持の対象に含めることのリスクを指摘したり(秘密保持契約書解説7頁)*8、過度な「特許保証」をすることのリスクを指摘したり(共同研究開発契約書解説20頁)するくだりなど、ところどころに、光る有益な記述もあるのは確かだが、そもそも「モデル契約書」の「甲」と「乙」の順番からして、相手によっては出だしから感情を逆なでしかねない並びになっているなど*9、
「スタートアップを助けたいという思いが強すぎてバランスを失した」
書式になってしまっているのではないか、という指摘は、(Ver2.0以降の書式作成に生かしていただくべく)一応ここでさせていただくことにしたい。
そして、公取委の中間報告を踏まえ、本当に、スタートアップに事業会社と対等に提携し、戦っていくための「武器」を与えようと思うのであれば、「契約書」のさらに先にあるもの、にまで踏み込んで知恵を授けることを考えなくてはね、と思う次第である*10。
*1:「社内に取引・契約条件に関する知見を有する者がおり」という要件を満たす会社は、アンケートに回答した1,447社のうち7割近い、という結果となっており、なかなか興味深い。
*2:逆に、出資検討場面での、「大企業からの出資を受ける目的で NDA を締結した上で,事業内容に関する資料を多数共有したが,結果的に出資に至らないだけでなく,当該大企業が当社の競争相手となった。」とか、「資金調達を欲するスタートアップとしては,ベンチャー・キャピタルに対して,技術・ノウハウ等のあらゆる情報を提供せざるを得ないが,彼らの関係会社にその情報が流出し,いつの間にかほ とんど同じサービスが勝手に立ち上げられていることが起こっている。」という話に関していうと、そりゃあ「出資」を仰ぐ、というのはそういうことでしょ(出資する側だってノウハウが欲しいからこそわざわざ身銭を切るわけだから・・・)、という感想しか出てこなくて、同情の余地はあまりない気がする。この辺は、安易に「出資」を当て込んで事業を進めることを許容してしまっていたここ数年の風潮によるところも大きいのだけど、昨今の新型コロナ禍でカネの出し手が出資先の選別を始めたことで、ようやく健全な状況に戻るのかな、という思っているところでもある。
*3:https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/kyodokenkyu.html
*4:https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/chitekizaisan.html
*5:https://www.meti.go.jp/press/2020/06/20200630006/20200630006-1.pdf参照。
*6:人の良い会社の知財部門になってくると、特許調査まで自腹でやってくれたりもする。
*7:典型的なのは、秘密保持契約に関して「開示情報の利用目的の特定」を一大論点にしてしまっているところで(3~4頁)、理屈の上では限定したほうが良いに決まっているが、検討開始の時点で明確に限定するのはかなり大変な作業だし、契約上限定したところで「目的外使用」を防ぐのは難しい(この点については、解説の中でも言及されている。13~14頁)ことを考えると、少なくとも契約協議の時点では、「利用目的は過度に広すぎなければそれでよい」というのが、自分のスタンスである。ここで頑張るよりは、実際に情報を開示する局面局面で、情報を持っている側が開示の可否をシビアに検討する方が数倍大事だと思うので・・・。
*8:もっとも、スタートアップ側から出てくるNDAの書式が、かなり強度の情報保護を意図した雛型であるがゆえにこの項目まで秘密保持の対象になっている、というケースも良く見かけるところではあるのだが・・・。
*9:別にどっちが甲で、どっちが乙だろうが、契約書の中で取り違えなければいいじゃないか、という意見はあるだろうし、自分もその通りだと思うのだが、だからこそ、「日出処」的な余計なところで時間を割くのはもったいない、というのが自分の考え方である。
*10:共同研究に関してこれまで様々なトラブルを経験してきたが、相手が自分たちより大きくても小さくても、結局、最後は「契約書の外側」で決着がつく、というのがほとんどだったりもしたので。もちろん、委員の先生方もそれを分かった上で、役所のオフィシャルな文書に書けることと書けないことの間で悩みぬいて作られたのがこれなのだ、と信じたいところではあるのだけれど・・・。