「パフォーマンス」を超えたところにあるのが本当の改革。

9月に新政権に代わってから、「改革」の掛け声がやたらけたたましく響くようになった。

最近は、内閣支持率も政権発足当初と比べて随分落ちてきているから、巻き返しを図るべく、今後もますます看板大臣たちの”一声”があちこちで響き渡ることになるのだろう。

・・・と、出だしから皮肉っぽく書いてしまったが、実のところ、いろいろと打ち出されている施策の中でも、規制改革系、特に「デジタル改革」の分野での動きに関しては、今のところそこまでネガティブには捉えていない。

「行政手続のデジタル化」を高らかに掲げつつも、今のところ派手な話題になっているのは「押印の廃止」だけだったりするのはご愛敬で、この先きっと本気を出してくれるはずだし*1、言及される分野が偏っているように見えるのも、取り上げるメディアの関心が偏っているだけで、分かっている人はきちんと地道にやるべきことをやってくれているはずだ。


アベノミクス時代の「観光立国」だとか「知的財産戦略」といった類の施策の時は、どこの役所もここぞとばかりに一見関係なく、中身を見ても関係ない施策まで押し込んで予算確保にいそしんでいたわけだから、「規制改革」「デジタル改革」の旗印の下でも、ありとあらゆるものが持ち寄られてバッサバッサと改革されていくに違いない・・・

というのはただの幻想にすぎないが、それでも、ここ1か月くらいの動きを見ている限り、たとえ表面的なものに過ぎなくても変わろうとする動きが見られるのは確かだから、世界の重心が完全に動いてしまう前に、先行する新興国たちに数周回で遅れている今の状況を何とか「周回遅れ」の差くらいにまでは詰めておいてほしいな、と思わずにはいられない。

で、そんな中、特に最近華やかな動きが目立つ河野太郎規制改革担当大臣は、どうやら著作権法の世界にも興味を持たれたようで、今朝の日経紙には、以下のような記事も出ていた。

河野太郎規制改革相は日本経済新聞のインタビューで、放送番組をネットで同時配信する際の著作権について、放送と同等に扱う方針を示した。放送と配信で権利に関する規定は異なる。番組で使った映像を配信で流せず画像の一部が映らない事例は多い。事業展開の障害となっている。」
河野氏は「国民にしっかりしたサービスを提供しているとは言いがたい」と述べ、2021年の通常国会著作権法改正案を提出すると明言した。
日本経済新聞2020年10月20日付朝刊・第4面、強調筆者)

今の総理が好みそうな放送分野の話、しかも政権発足前から文化審議会著作権分科会のWGで議論が始まっていて、次期通常国会での法改正スケジュールにも乗っかっていた話だけに*2、パフォーマンス的な香りも漂ってくるが、これまた昨今の流行りの世界に「著作権」が乗っかって、多くの人々の関心を集めるようになること自体は悪い話ではないだろう。

そもそもこの「同時配信における著作権の扱い」というテーマ自体、かなり前から問題提起されていながら*3、しばらく法制化の方向では手が付けられていなかったものであることを考えると、ようやく路線に乗ったところでさらに改正の動きを不可逆的なものにする、という点で、こういう形で取り上げられた意義は大きいと言えるのではなかろうか。

もっとも、気を付けなければいけないのは、著作権法の世界に手を付ける、ということは、「印鑑の廃止」のような行政庁内部の調整だけで進められるような話*4とは全く次元が異なる、ということである。

どんなに美しい言葉で飾ろうが、一方に権利者がいて、もう片方に利用者がいる、という世界の構図は変わらない。

そして、その両者のバランスを細かく調整しているのが、著作権法というガラス細工のような法律である、ということも。

こと「同時配信」の問題に関していえば、乱暴に言ってしまえば「実質的に同じなのにルールが違う」というものの平仄を合わせるだけ*5、という側面はあるので、「ネットだから特別な権利制限をせよ」というような話にでもならない限りは、そこまで実質的な衡平を害することにはならないと思っているのだが、今著作権法の領域で論じられているテーマの中には、そこまで単純には整理できないものも多々存在する(そして、まさに今後ホットイシューになりそうな「図書館関係の権利制限」等、その中の決して少なくないテーマは「デジタル」の文脈で語れるものでもある)。

だから、きっかけはパフォーマンスでも良いのだけど、議論自体は専門家やステークホルダーの意見に耳を傾けながらしっかりやってほしい、というのが率直な思いだったりもするわけで、その試金石となりそうな”河野大臣ご指名テーマ”がどういう形で着地するか(審議会内での結論だけでなく、与党内の手続き等も含めて)は、しっかりと見守っておく必要があるように思う。

ここ数年のことに関していえば、「柔軟な権利制限規定創設」の頃までは辛うじて守り切ることができていた”政治的パフォーマンスを超えたところにある議論領域”が、昨年来の「ダウンロード違法化拡大」の時には少々危うくなっていた*6、そんな経緯もあるだけに、”ポスト2020年改正”の帰趨を占うという観点からも、これからの行く末に注目してみたいと思っているところである。

*1:そもそもベースになる仕組みが使いづらいものであれば、どんなに技術を駆使して手の込んだシステムを作ったところで、利用者にとっても処理する側にとっても使いにくいことになることは避けられないわけで、作業としては「無駄な手続書類そのものをなくす」「なくせないなら複雑な仕組み自体を変える」といったことが先行しないといけないはずなのだが、教科書通りにそういったプロセスを踏める役所がどれだけあるか、は見ものである。

*2:今年度の議論の経緯については放送番組のインターネット同時配信等に係る権利処理の円滑化に関するワーキングチーム | 文化庁参照。

*3:少なくとも「柔軟な権利制限規定」に係る「ニーズ募集」を行っていた頃には既に明確に問題提起されていた。

*4:一応、印鑑製造業者の”反射的利益(損害)”に配慮するかどうか、という話もないわけではないが、それは議論の本筋とは全く異なる話だと自分は思っている。

*5:そして、それを口実に従来のビジネスモデルに固執していた各放送局の重い腰を動かすだけ・・・

*6:あれはむしろ一般市民の感情を背景に「拡大に異を唱える」方向で政治の力が働いたケースだったので好意的に評価されることも多いのだが、専門的知見に則った議論が一度はひっくり返されてしまった、という点では多少なりとも危機感を抱くべきところでもあるわけで、議論のプロセスをすっ飛ばして乱暴な方向に話が行かないか、ということに関しては、どれだけ注意しても注意しすぎることはない、と思うところである。

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