「図書館資料と著作権」をめぐる大きな動きを眺めつつ思うこと。

去年までと比べると比較的静かに進んでいる今年の著作権法改正論議

だが、世の中に与える影響は決して小さくない権利制限規定の見直しが、今、急スピードで進んでいる。

今朝の日経朝刊に掲載された記事はこちら。

文化審議会の作業部会は11日までに、図書館が書籍や資料の電子データを利用者にメールで送れるようにする著作権法改正の必要性を盛り込んだ報告書をまとめた。文化庁は2021年の通常国会への改正案提出をめざす。施行されれば、スマートフォンやパソコンでの閲覧が可能となる。」
「報告書は、市場に流通する書籍なども対象となることから、著作権者や出版社の利益を守るため、自治体など図書館の設置者が「補償金」を支払うべきだとした。金額は「逸失利益を補填できるだけの水準」とした。」
日本経済新聞2020年11月12日付朝刊・第42面、強調筆者、以下同じ。)

この記事、決して間違いではないのだが、「作業部会」(正確には文化審議会著作権分科会法制度小委員会図書館関係の権利制限規定の在り方に関するワーキングチーム)が行ってきた議論*1と報告書(「図書館関係の権利制限の見直し(デジタル・ネットワーク対応)に関する報告書」*2の内容を余すところなく伝えているとは言えない。

新型コロナウイルス感染症の流行による図書館の休館」がきっかけとなって、インターネットを通じた図書館資料へのアクセスの可否が主要なテーマになったこのワーキングチームだが、議論されていた論点は大きく分けて2つ。

1つは、現在、著作権法31条3項で規定されている「入手困難資料へのアクセスの容易化」。もう1つが著作権法第31条1項1号に関係する「図書館資料の送信サービスの実施」であり、上記記事ではこれら2つの論点のうち後者についてしか書かれていなかったのである。

おそらく、今後、具体的に立法化されていく過程でも、このテーマに関しては折々で報道されていくことになるのだろうが、この2つの問題は、概念的には「似て非なるもの」なので、同じ「図書館に関する著作権法改正」の話でも、どちらの話をしているのか、ということは、明確に書き分けていただく方が混乱は避けやすいだろう。


で、個人的にはこの2つの論点のうち、前者(入手困難資料へのアクセス容易化)に関しては大いに歓迎されるべき話だと思っている。

現在の31条3項は、「絶版等資料」(絶版その他これに準ずる理由により一般に入手することが困難な図書館資料)に係る著作物について、国立国会図書館に自動公衆送信を行うことを既に認めているのだが、その送信先は、あくまで「図書館等又はこれに類する外国の施設」に限られている。

したがって、そこから、既に市場で入手できない状況になっているような資料であるにもかかわらず、なぜコンテンツの送信が「図書館」までで止まってしまうのか、という疑問は当然湧いてくるわけで、この点は、この規定が創設された平成24年著作権法改正の時からずっと言われていたことだし、自分も当時非常にひっかかっていたところでもあった。

だから、世の中の状況が変わる中、このワーキングチームでも相当前向きな検討はなされていたようで、結果的にまとめられた「対応の方向性」も以下のとおりかなりポジティブなものとなっている*3

「新型コロナウィルス感染症の流行に伴うニーズの顕在化等を踏まえ、様々な事情により図書館等への物理的なアクセスができない場合にも絶版等資料を円滑に閲覧することができるよう、権利者の利益を不当に害しないことを前提に、国立国会図書館が、一定の条件の下で、絶版等資料のデータを各家庭等にインターネット送信することを可能とすることとする。」(報告書4頁)

流通在庫があるものや商業的に電子配信されているものは対象外とされるものの、ひとたび対象と認められれば補償金を課されることなく送信対象となる、というのは、ややこしい手続きコストを発生させない、という点で基本的には歓迎されるべきことだし、ストリーミング配信だけではなく、ダウンロードやプリントアウトまで認める、という方向性が示されているのもユーザーにとっては朗報だろう*4

報告書中で指摘されている 「中古本の市場との関係」(9~10頁)については、自分も昔の文献が書籍ごと欲しい時にはよくネット古書店にお世話になっていたのでちょっと気になるところではあるが、書籍を(当時の装丁のまま)丸ごと一冊、というニーズと、その資料の中の一部だけ使いたい、というニーズはそもそも競合しないようにも思われる。

電子化による”復刻”も物理的には比較的しやすくなった現代においては、「一般に入手することが困難」という基準も揺らぎつつあるから、これを後述する図書館資料一般の話とこの話をどこまで明確に区別できるのか、という話は当然出てくるのだが、世の中には、”明らかにどう頑張っても市場では流通しない”タイプの書籍もあるわけで(明治、大正期に制定された法律の当時の解説書など)、そういった文献等にアクセスできる環境を整えるという観点からは、文句のつけようがない話だろう。

一方、後者の「図書館資料の送信サービスの実施」についてはどうか。

こちらについて、報告書の中では以下のような方針が示されている。

「権利者の利益保護の観点から厳格な要件を設定すること及び補償金請求権 を付与することを前提とした上で、図書館等が図書館資料のコピーを利用者にFAXや メール等で送信することを可能とすることとする。その際には、きめ細かな制度設計等 を行う必要がある一方で、図書館等において過度な事務的負担が生じない形で、スムー ズに運用できる仕組みとすることも重要である。」(14頁)

今年のように休館となってしまった場合はもちろん、図書館は開いていてもそこに足を運ぶことが難しい人々は世の中に大勢いることを考えれば、こちらについても(補償金制度の設計等細部はともかく)大枠の方針については諸手を上げて賛成、という人は多いのかもしれない。

ただ、自分はちょっと複雑な気分で、自分自身が大学を離れてから公共図書館を利用する機会がほとんど皆無である、ということに加え*5、ここ数年、「図書館の存在が出版市場に少なからず影響を与えているなぁ。。。」と感じさせられる機会がそれなりにあったこと、ということになるだろうか。

特に後者に関しては、かつて、自分より高い給料をもらっているはずの上司が、業務で使う書籍(当然、普通に本屋で買おうと思えば買えるもの)を公共図書館から借りてきては”フル自炊”して悦に入っている、というのを目の当たりにし*6、世の中にはこういう人々も一定数はいるのだろうな、と思ったこともあり、書店で普通に手に入る書籍を図書館に置くのはどうなのだろう?という思いが年々強くなっているのは確か。

もちろん、「書籍」というのが”贅沢品”であることは、自分も身に染みて分かっているつもりで、子供の頃はもちろん*7、中、高、大のあたりまでは、図書館が自分の一番の友だった。

自分で稼げるようになり、多少は月々の余裕も持てるようになってからは、一変「書店で大人買い」のスタイルに変わったが、それもたかだかこの10年ちょっとの話。

また大学を離れて以降は、評釈一つ書くにも資料を入手するのに四苦八苦という時代がそれなりにあり、大学にいれば書庫ですぐ入手できるような文献を入手するために都内の図書館をあちこち駆けずり回ったこともしばしばあった。

だから、「入手困難資料」だけでなく、通常の図書館資料もよりフレキシブルに入手できるようにしてほしい、という要望も理解できなくはないのだが・・・


やはり、自分の中で引っかかっているのは、この話が「新型コロナ」という特殊な状況の下で一気に進んだ(ように見える)、ということが一番大きいのかもしれない。

様々な障碍のために図書館に足を運べない人々のために、図書館資料へのアクセスを拡大する、という話であれば何ら反対する余地はないのだけど、そういった背景抜きに「利便性」というフレーズだけで資料の電子送信を認める、ということには長年強い反対の声もあったところだし、これは「図書館文化」そのものにかかわる話でもある*8

だから本来なら制度設計も含めてまだまだ慎重な検討が必要なはずなのに、「新型コロナで図書館が休館になってしまって・・・」という、次に同じことが起きるのはいつなんだかわからないような話を起爆剤に一気に話が進むことについては、「ちょっと待て・・・」と言いたくもなるのである。

そして、そういった引っかかりにさらに拍車をかけるのが、今回の報告書の中に利用者と権利者の調整弁として登場する「補償金」という言葉のイメージの悪さ、だろうか。

あくまで「図書館等における複製」の枠内で進められる話である以上、権利制限が及ぶという前提は崩すべきではないし、そうなると用語としては「補償金」ということになるのだろうが、コンテンツそのものからは完全に独立した機器等に課さざるをえなかった私的録音録画補償金のようなものとは異なり、複製や送信行為が特定のコンテンツと結びつく「図書館資料の利用」においては、本来、「利用した著作物への対価」を明確に観念することもできるはずである。

それにもかかわらず、今回の報告書では、

「補償金の徴収・分配について、図書館等における手続コストを軽減するとともに、権利行使の実効性を確保する観点から、授業目的公衆送信補償金と同様、文化庁長官が指定する指定管理団体(送信対象となる著作物等に関係する出版社・権利者による主要な団体で構成)が一元的に徴収・分配を行う仕組みとすることが適当である。」(18頁)


と、またしても指定管理団体を用いた典型的な「補償金」のスキームが打ち出されている。

そりゃあ確かに一つ一つの資料ごとに各図書館から利用した著作物の権利者に対価を支払う、というのは煩雑すぎて現実的ではない、というのは分かるのだが、かといって、アバウトな形で「対価」が還元されることを許容できる場面かと言えば、そうでもないような気はする。

そう考えると、いっそのこと、指定管理団体には全国の公共図書館共通の「電子化された資料のデータベース」でも作ってもらい、ユーザーがそこから資料を印刷するごとに対価を徴収し、その実績を1件ごとにきちんと記録した上で、「対価」の何割かを確実に印刷された資料の権利者に届けられるようにする、といった方向を目指す方がよほど理にかなっているような気がしてならないのである*9

自分の場合、こと法律書籍に関しては、「LEGAL LIBRARY」を導入してから、自分が何かを調べる時のやり方もその効率性も劇的に変わっていて、特に「注釈民法」の特定の編の解説だとか、会社法関係の実務書式の解説等に関しては、どれだけリピートで参照したか分からないくらいだ。

果たして、そういった利用頻度に応じて各出版社等に対価が配分されているのかどうかは自分は全く承知していないのだが、月々サブスクリプションで支払っている対価が、利用頻度に応じてきちんと分配されるならそれにこしたことはないし、純粋にユーザーの視点で見ても、そのために費用を負担することに不満があるはずもない。

だからこそ、より広範に「図書館資料」を館外に解放しようとする今回の試みでも、そこは極力強く意識する制度設計がなされて欲しいな、と願う次第である。

*1:まだ議事録は第1回の分しか掲載されていないようだが、資料等は図書館関係の権利制限規定の在り方に関するワーキングチーム | 文化庁 を参照のこと。

*2:WT第5回会議に出された報告書(案)はhttps://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/toshokan_working_team/r02_05/pdf/92630701_01.pdf である。

*3:そもそも、報告書自体にも「 平成24年著作権法改正に当たっての文化審議会著作権分科会の議論4におい ても、最終的には各家庭等での閲覧を可能とすることが目標とされていたところ、今回 の対応は、その流れにも沿ったものであると考えられる。」(4頁)書かれていて、”宿題を片付けたぞ!”感が滲み出ていたりもする。

*4:ただし、館内コピーと同様に分量の制限が課される可能性や、利用態様を拡大することに伴う補償金制度の導入の可能性も示唆されている点には留意が必要だろう。

*5:基本的に本(専門雑誌も含めて)は借りるものではなく「所有する」ものだと思っている、ということもあるし、そもそも長年、公共図書館のサービスが提供されている時間に立ち寄れるような生活ではなかった、ということも大きい。

*6:さすがにその時は「おいおい、法務の人間がそれをやったらいかんだろ」とやんわり注意したが、結局自分がいる間は変わらなかった。

*7:自分の実家では、親が子供の読みたい書籍を買い与えてくれる、という文化は基本的に存在しなかった。

*8:書店で本を買うか、ネットで買うか、という話と同じで、「様々な資料に接することができる図書館という空間」の存在を重視する立場からは、「わざわざ行かなくてもメールで取り寄せれば良い」という発想自体が文化を揺るがせかねない、ということになるような気もする。

*9:報告書には、「徴収した補償金を適切に各権利者に分配するため、・・・・図書館等では、送信実績(例:送信した著作物の作品名、作者名、出版社名、送信した分量、送信回数など)の正確な把握・管理をすることが重要である。」(19頁)とも書かれているのだが、その集計や集約のための管理団体への送信の手間だけでも、相当なものになると思われるだけに(さすがに手でカウントしてFAXで報告、なんてことにはならないと思うけど・・・)、多少時間をかけてでもオールデジタル化した方が、皆がハッピーになれる世界には近付く気がする。

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