かの国の政変と古の記憶。

ミャンマーで国軍がクーデターを起こした、という衝撃的なニュースが飛び込んできたのは1日の朝のことだったか。

今は一時的に物理的な移動への制約がかかっているとはいえ、インターネットがあるこの時代なら、世界中のどこの国の情報も欲しい時に手に入る。そんなふうに思っていた。

だが、この件に関しては、それから丸2日以上経っても、断片的な公式発表以外の情報に接することは少ない。

もしかしたら、どこかで情報を発信し続けている人は大勢いて、自分がそれに気づいていないだけなのかもしれないけど、自分がSNSでフォローしていたヤンゴンのローカルフードのお店や日系料理店のアカウントは1月31日を最後に更新されないまま。

非常事態宣言の下で、物理的にも心理的にも情報が遮断されているのか、あるいはそれ以外の理由なのかは分からないけど、まさに「時が止まった」、そんな気がしている。

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もしかしたら”通”の方は最初から気付いていたかもしれないが、このブログのトップに掲げている朝陽は、ヤンゴンのAccor系のホテルの客室から撮影したものである。

3年前の暮れまで全く未知の世界だった国に年末休暇を使って出かけ、アジアの最果てくらいの感覚でヤンゴンの街に降り立った瞬間に、「ああ、自分はとんでもない思い違いをしていたのだなぁ・・・」と感じたあの時の感覚。

確かに市街地の全てが「都会」ではないし、中心部にある広大なターミナル駅に佇んでいた日本製の気動車を見た時は、瞬間牧歌的な気分を味わえたが、その周辺は東京駅と同じくらいスケールがありそうな大開発工事が行われていたし、ちょっと街を歩けば全く違う景色が見えてくる。

海外の仕事、特にアジア圏で仕事をするたびに、子供の頃からずっと刷り込まれてきた「後進国」という先入観が至るところで崩され、急激に変わっていく世界の中で自分たちの国だけが取り残されてしまっているのではないか*1、という感覚にたびたび襲われたのだが、インパクトの大きさで言えば、プライベートで訪れたこの国のそれ、が、一番大きかったかもしれない。

そして、久しぶりにゆったりできたあの旅の間に、自分はこのブログを「はてなダイアリー」から「はてなブログ」に移し替え、「Season2」への決意を固めた。

自分の背中を押したのが、サクラタワー最上階のバーから見た黄金の寺院たちの神々しい光景だったのか、カウントダウンの瞬間にバカ騒ぎする異国人たちの嬌声だったのか、それとも生まれて初めて乗った象の背中の何とも言えない感触だったのか、今となっては正確に思い出すことは難しいけど、あの時ヤンゴンの街中で感じた空気が、日本にこもったちっぽけな会社の中で人生を終える、などというつまらない選択をしてはいけない、と感じさせてくれたのは間違いない。

今回の「クーデター」の報で蘇ったのは、今となってはもうずいぶん昔のことのようにも感じてしまうそんな記憶だった。

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ちなみに、かの国の歴史との交わり、ということで言えば、自分の長年の行きつけの涙が出るほど美味しいダンバウを食べさせてくれる料理屋のご主人は、80年代後半の混乱期にかの国から逃れてきた方でもある。

軍政から「民政」に移管され、遂にはアウン・サン・スー・チー氏率いるNLDが悲願の政権を獲得して、逃れていた方々が母国に戻り始めた時期になっても日本に残ったあの一家の方々は、今、どんな思いで故郷の政変を報じるニュースを見ているのだろうか。

自分が旅をしたときに訪れたヤンゴン郊外のアウンサン将軍の邸宅(今は博物館)では、幼き頃のスーチー女史がテーブルを囲んで座っていた場所までしっかり再現されていたし、かつてアウンサン・スー・チー氏が軟禁されていた家すら、写真を撮りたがる人々が集う立派な観光名所になっていた。

かの国においてすら、もはや「歴史」の一ページになりかけていた「軍政」が再び蘇ってしまったという事実の重さ。


その一方で、世界を見回せば、日本人ほど上から下まで「民主主義は良いもの」と無邪気に思い込んでいる国民はいないんじゃないか、と思うことはあって、特に世界の各地で民主主義の誤謬が白日の下に晒されることが多かったこの数年、本来「模範生」だったはずの米国ですら、誤謬を通り越して壮大なカオスが生まれてしまった今の状況の下で世界各国見回して、そこで噴き出している様々な反応を見ていると、なおさらそう感じてしまう時はある。

「民主主義」を優れた指導者、優れた政治の担い手を選ぶための一手段、国難に直面したときは、民に愚かな選択をさせるより一時的にでも非常時体制を敷いて乗り切った方が良い、と割り切って考えるなら、民主政の不正を糺すために軍が政権を握った、主要閣僚には優れた人材を登用した、これで何が悪い、言ってみろ!という発想だって当然出てくる*2

だから、米欧の建前的価値観を前面に出した批判が出れば出るほど、そんなものを押し付けるな、内政に干渉するな、という声が出てきても不思議ではないのだけれど・・・。


人種、民族とか、経済の規模とか、そんなものとはあまり関係なく、民主主義の基盤の上によって立つ国・地域の街中の空気と、そうでない国・地域の空気の間には、決定的な違いがあると自分は思っている。

そして、2年前の新春、自分が感じたのは、間違いなく前者のそれ、だった。

まだまだ未成熟とはいえ、末恐ろしく感じるようなポテンシャルを体感できた背景にあったのもその空気。

だからこそ、自分は、決してただの感傷ではなく、「時計の針を1年も止めてはいけない」と心の底から思っているし、あの時、自分に勇気をくれた朝陽が、その下にいる人々を再び輝かせる日々が戻ってくることを願わずにはいられないのである。

*1:ついでに言うと、かつて「先進国」だった欧州なんかはもっと取り残されているのだが、それはここでは措いておく。

*2:現にお隣のタイでは、エリート層が軍と結びついている結果、依然として完全な民主政というには程遠い状況が続いている。

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