2度目は、もう驚かない。
池江璃花子選手が、競泳の日本選手権・100メートル自由形決勝で優勝を果たし二冠達成。個人種目での派遣標準記録は今回も突破できなかったものの、リレーメンバーとしての派遣標準記録はクリアして、さらに1枚、五輪への切符をつかみ取った。
調整遅れが指摘されていたバタフライですらあそこまでやれるのだから、順調にステップを踏んできた自由形なら当然、と気楽な外野の人間はどうしても思ってしまうのだが、それでも最後の決勝レースで公約どおりの53秒台、ちょっと次元が違ったな・・・というのが率直な感想だろうか。
「資質の違い」と言ってしまえば簡単。でも、1年前、彼女がどういう状況に置かれていたか、ということを考えると、ここまでの歩みが並大抵のことではなかった、ということも容易に想像が付くところで、「努力」という言葉を軽々しく使うことすら憚られる、超越した何かがそこにあったように思えてならない。
そもそも振り返れば、1年前の春、五輪選考会を兼ねた競泳の日本選手権は、ギリギリまで開催する方向で動いていた。
当時の感染判明者数は今と比べれば全然少なかったし、やろうと思えばできる、と思っていた関係者は決して少なくなかったはず。だが、選抜高校野球ですら中止に追い込んだ当時のムードが選考会を「1年」先送りさせたのだった。
この偶然がなければ、いかに池江選手が順調に回復を遂げていたとしても、新聞に踊る見出しは「3年後に向けたリスタート」に留まっていたわけで、この厳しい勝負の世界で、運命の歯車がここまで劇的にかみ合った例というのは、そう何度もお目にかかれるものではない*1。
もちろん、その裏では、平泳ぎの渡辺一平選手のように、リオ後、第一人者として君臨していながら伸び盛りの若手に代表の座を奪われる、という運命を味わった選手もいるし、選考会では順当に勝ったものの、この1年で大きなダメージを被った選手もいる*2。
たかが一年、されど一年。
これだけ多くの変化が生み出されている状況を目の当たりにして、自分自身は一体どれだけ成長できたのだろうか、と考えると忸怩たる思いもあるが、何かを失ったり、後退したり、といったこともなかった分、まだ救いはある、というべきか。
そして今は、この一年の間だけでも、我々凡人に比べれば遥かに大きな波と戦い乗り越えてきたアスリートたちが、「五輪本番の舞台に立つ」という果実を無事手に入れられることだけをひたすら願っている。
なお、以下蛇足になるが・・・
五輪の悪しき商業主義に辟易している人々(自分も当然そうだ)からは、平然と「中止」の声が唱えられることも多いのだけれど、海外からの来場者は受け入れず、国内もおそらく「無観客」になることが確実な今の状況下では、これまで五輪会場付近を支配していた「不自然にブランド名が隠された飲食屋台」とか、「VISAカードしか使えない土産物屋」のような忌々しい光景を目にすることもなくなるだろうし*3、スポンサーの過剰なPR活動も新型コロナ厳戒態勢の下では封じられるのは必定である。
「思い出搾取」的なボランティアに貴重な時間を割かれる人は確実に減らせるし、「開催地のプレッシャー」で押しつぶされがちな選手たちにとっても、静かな会場環境で競技に集中できることはプラスに働く。何よりも、「入場券が当たってライブで見に行ける人とそうでない人との間での不公平」は確実になくなる。その代わりに、競技の舞台から配信される映像を、世界中で徹底的に”巣籠もり”している人々が固唾を呑んで一斉に眺めることになるのだとしたら・・・。
これを「真のオリンピック」と言わずに何といおうか。
願わくば、IOCがもう少し気を利かせて、地上波放送では独占されている競技映像を、「特例」とばかりにYou Tubeを使ってネット上で配信してくれでもしたら、それこそがまさに画期的な新しい時代の扉を開くことにもなるわけで・・・。
五輪の主役はスポンサーではなくアスリート。真剣勝負に挑むのも組織委ではなくアスリート。
我ら凡人にとっては、どうってことない「3年」も、彼/彼女たちにとっては絶望的なほどの重みを持つ*4。
それを考えた時、「今年の五輪をやるかやらないか」の答えは一択に決まってるでしょう・・・ということを強く申し上げて、あと100日ちょっと、静かに待つことにしたい。