自分には予知能力など微塵もない。
株投資20年、馬に至ってはさらに足してうん十年やってきている人間にそんなものがあれば、今頃とっくに別の世界で優雅に生きているわけで、先々の予想なんて外れる確率の方がはるかに高い。
だが、そんな自分でもぴたりと的中させることができてしまったのが、先月来の新型コロナ絡みの動向である。
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com
先月のあの時点で「解除」してしまえば1か月後にどういうことになるか、どんな素人でも容易に想像することはできたはずで、日本政府の選択として「五輪無観客開催」も念頭に置いて”経済と心中”した*1んだろうな・・・というのが当時の感想だったのだが、それをあたかも「想定外」の出来事のように述べ、あたかも勝手に営業した飲食店が悪い、とか、そこで飲み歩いた若者が悪い、といったようなモードに話を持っていこうとするのは冗談にもほどがある。
コンプラアンス対応でも何でもそうだけど、人間を相手にする以上、どんなに手の込んだ「規制」をしたところで一定の”水漏れ”はあるわけで、その比率まで予測した上で二の手、三の手を打っておかなければ「適切な対策」をしたとはいえない。
ましてや、「まん延防止」に関しては今回が初めてというわけではなく、以前にも一度、抑制効果が限定的で再度宣言発出、という事態を経験しているわけだから、その後どうなるかも当然予測できたはず。
ワクチンの接種が計画より遅れた、というのは多少アンコントローラブルな事情だったと言えなくもないが、当初の計画どおりだとしても、今のタイミングで全国民が接種できていたはずもないのだから、それを理由にするにも限度がある。
せめて6月の解除の時点で、
「社会経済に与える影響を鑑み、緊急事態宣言を解除します。その代わり、五輪の有観客開催は断念します。チケットを買ってくれていた皆さんごめんなさい。」
とでもしてくれていれば、大会関係者をここまで慌てさせることもなかったし、ボランティア動員コストにしても、関係各所の警備・要員確保コストにしても、もうちょっとは削減することができただろうに…と思うと、何とも言えない気持ちになる*2。
で、「無観客」がどうか、という点で言えば、春先から「無観客でいいでしょ。」というトーンでやってきているのがこのブログだったりもする。
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com
一度でも「五輪会場」に足を運んだことのある人なら分かると思うが、五輪本番の会場の雰囲気は、日頃その競技を見るために会場に足を運んでいる者からすれば、異質、というか異次元の代物。
元々どんなスポーツでも、競技大会はあくまで(当たり前だけど)まず競技者のために設定されていて、その次に意識するのはテレビ中継。だから、いきなり会場に行って見ただけで雰囲気に入っていける競技なんて、ごくごく限られたものしかない*3。
だから仕方ない、と言えばそれまでなのだが、特に五輪のようなビッグイベントともなると、観客席で多数を占めるのが「競技を見に来た」人々ではなく「(何でもいいから)五輪を見に来た」人々になってしまうから、余計にフラストレーションがたまる。
意味もなく始まるウェーブなどはまだご愛敬で、これは凄い!というシーンを目撃しても拍手が起きなかったり、選手が競技に入っているのに周りの私語が止まらなかったり、挙句の果てに、金メダル取った選手が会場に挨拶しているのに平気で帰路に着く人々がいたり・・・。国別対抗の球技で自国のチームが出ているような会場を除けば、”一体感”を感じることもない。
さらに輪をかけて曲者なのが「クリーンベニュー」というやつで、普段の観戦時には目の癒しになるスポンサーの看板は全て覆い隠され、代わりに会場に飾られているのは、周囲の光景からは浮いた、五輪マークの付いた単調かつ安普請の装飾。
会場の屋台すら、料理のジャンル名を示す看板しか出せない貧困な風景。それでいて、外に出れば、スポンサーの看板がデカデカと掲げられた不自然なコーナーが隣接していたりする(当然、クレジットカードは特定一社のものしか使えない)。
自然な観戦、自然な応援をサポートするには、あまりに不自然すぎる光景がそこにはある。
でも、観客だけはたくさんいるから、競技の中断時間にはトイレは行列になるし、屋台にも人は並ぶ。普段の楽しみが半減している中、不快さだけが残る。
だから、数年前に華々しくチケットが売り出されて、多くの方々が「当たった」「外れた」と狂喜乱舞していた時も、自分が全く反応しなかったのは言うまでもない。
大会関係で何か仕事をいただくようなことがあれば別として、そうでなければ、大会期間中は喧噪を逃れて日本を離れ、海外のどこかの街角のスポーツバーでその国の人たちが好む競技を眺めつつ、SNSで一言二言呟くくらいがちょうどいい、くらいに思っていた。
「いや、そうはいっても、地元の五輪なんだからこの目で見たいでしょ」という人はいてもいいと思うし、「大会の成功」という観点からはむしろリスペクトされるべきだと思ってはいたが*4、そんな純朴な人々に対しても、「無観客」が決定するまでの政府や大会関係者の発言はあまりに敬意を欠いていたような気がする。
会場の中でマスクしろ、大声で歓声を上げるな等々の縛りを設けることだけでも熱心なファンにとっては大いにフラストレーションがたまる話なのに、「観戦は直行直帰で、周りの店への立ち寄り禁止」なんてことまで言われてしまったのでは、もはやたまったものではない*5。
それでいて、「選手のモチベーションが・・・」とか、挙句の果てには「会場に客が入っていないとテレビ映りが・・・」みたいなことを言い出す人もいたりして、そういう目的で会場に人を呼びたいのであれば、入場料をもらって来てもらうのではなく、逆に主催者からエキストラ手当を払ってかき集めたらどうか、という話である。
何としても有観客で実施したかったのか、最後は「富岳」まで使ったシミュレーションで、「1万人入っても大丈夫!」みたいなイナバ物置的なデモンストレーションまでしていたのだが、報じられていた内容も公表資料を見ても*6、会場で静かに着席していることが前提になっているようで、全ての観客が数時間同じ態勢で座り続けている、なんて仮定があり得ない以上、あれは一体何のためのシミュレーションだったのか・・・。
出場する選手に近い関係者の方であればもちろん*7、「一生に一度の機会だから」と当選したチケットで会場に行く日を心待ちにしていた方にとっても「無観客」の決定は実に残念なことだとは思うが、今は1964年とは違う。
メディアで配信される映像と、ウェブ上でリアルタイムに更新される競技情報、さらに世界各国のウェブサイト経由で入手できる出場選手に関する様々な周辺情報。いつもなら地上波に乗らないような競技でも、乗せてもらえるのがオリンピックならでは、だったりもする。
現地にいるよりも、メディアを通じて見る方がよりリアルに近づける、というのが今の多くの競技の現実で、メディアのフィルタを通して見る限り、現地で抱くような違和感を感じることもない*8。
これが海外の大会だったら、半年前から予定調整して長期休暇をとって、航空券のチケット押さえてホテルも押さえて・・・という努力が水泡に帰して涙するところだが、今回に関しては、どんなに遠方から駆け付ける予定だった人でも国内移動レベルのダメ―ジで済む。
だからこそ、
「無観客になったのが「五輪」という大きな大会で、しかもそれが地元開催の五輪だったのは不幸中の幸いじゃないか。」
ということは、声を大にして言いたい。
そして、自分自身、期せずして国外退避の選択肢が失われてしまったこの2週間超をどう楽しむかは、これからの一週間ちょっとの間で知恵を絞ってみるつもりである。
*1:正確に言うと、飲食業界の状況=日本経済という短絡的思考に取りつかれた層の人々と心中した、というところだろうか・・・。
*2:今回の「再」宣言のタイミングを「無観客」の発表と事実上セットにしたことで、後手後手になりがちだったこれまでと比べても絶妙なタイミングでの発出となったのは何とも皮肉なことではあるが・・・。
*3:これまでいろいろ見てきたけど、テレビで見るより会場で見た方が良い、と断言できる競技はサッカーと(五輪種目にはない)競馬くらいだろうと思っている。マイナー競技の狭い会場で選手の声が聞こえるくらいの距離で見られるならまだしも、大きなハコだと競技者の姿を捉えることすら難しいし・・・。
*4:日本国民全員が合理的に行動した結果、誰も競技会場に足を運ばなくなれば、ガラガラの客席を世界に配信しなければいけなくなるから・・・。結果的には同じことになってしまったわけだけど。
*5:終わった後に、一緒にその場にいた者同士でその日のいいシーン、悪いシーンをああだこうだ、と語り合うのも「観戦」の一部なのであって、その機会が奪われるくらいなら、金を払って会場に行く意味などないと自分は思う。
*6:https://www.mext.go.jp/content/20210707-mxt_jyohoka01-000016684-01.pdf
*7:もっとも、選手の家族や招待者に関しては、別枠で入場を認めても全く差し支えはないだろう、という気はするし、実際そういう運用になるのではないかと思うところではある。
*8:一度、現地で見た後に日本で同じ会場のテレビ中継を見て、五輪会場の装飾がいかに「メディア」向けに作られているのか、ということを痛感させられた。