混沌の中から見えてきた事実。

この事件を当ブログで取り上げるのは、これで3度目である。

㈱ヒラノテクシードが製造販売した機械装置を用いた、外国メーカーによるポリイミドフィルム製品の製造販売が特許権侵害にあたるかどうかについて、特許権者の㈱カネカと、㈱ヒラノテクシード、さらにポリイミドフィルム製品を製造販売した外国メーカーが構図を変えて争っている一連の事件については、昨年、㈱ヒラノテクシードの㈱カネカに対する債務不存在確認訴訟で最高裁判決が出され、

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さらに今年に入ってから、外国メーカーと㈱カネカの間で争われた債務不存在確認訴訟の地裁判決も出されていたところであった。

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今回取り上げるのは、判決日から少し間を空けて公表された、前記最高裁判決の原審で「別件大阪訴訟」として言及された大阪地裁係属案件の判決。そして、これまで公表されてきた判決がもっぱら民訴法、国際私法といった訴訟手続法領域の争点に焦点を充てたものだったのに対し、今回の判決は、判断を示す過程の事実認定において、本件紛争の内実が事細かに明らかにされている、という点に特徴があると言える。

裁判所が公表した判決文PDFは110ページにもわたるものだけに、そのすべてを紹介することは難しいのだが、ここでは、判決文に出てくるトピックの中で、いかにも知財実務あるあるだなぁ・・・と思ったポイントを中心に取り上げてみることにしたい。

大阪地判令和3年6月10日(平成30年(ワ)第5037号損害賠償請求事件(第1事件)、令和2年(ワ)第10857号(第2事件))*1

両事件原告:株式会社ヒラノテクシード
両事件原告補助参加人:ピーアイ アドバンスト マテリアルズ カンパニー・リミテッド
両事件被告:株式会社カネカ

本件は第1、第2の2つの事件で構成されているが、最初から提起されていた第1事件の中身は、

「被告が,原告の顧客である参加人に対し,本件米国訴訟を提起し又は追行して本件各特許権に基づく権利行使をしたことは,本件実施許諾契約の債務不履行にあたると共に,原告の顧客との関係で,原告の法的地位,法的利益を害する不法行為にあたる。」
「被告は,原告が製造した本件各機械装置を参加人が使用していることを知りながら,又はこれを容易に知り得たのに本件米国訴訟を提起し,若しくはこれを知り,又は知り得た後も訴訟を維持したのであるから,本件実施許諾契約の債務不履行又は原告に対する不法行為が成立する。」
(8~9頁、強調筆者、以下同じ。)

というものであり、要は「被告が米国で原告補助参加人に対して提起した訴訟が不当訴訟に当たる」という主張に基づく請求である。

これに加えて、昨年最高裁で判断が示された債務不存在確認事件の一部(最高裁も確認の利益を否定しなかった本件原告・被告間の確認請求)が東京地裁に差し戻された後、大阪地裁に移送されてきたことで、新たに第2事件として併合されることとなった。

これらの日本国内での一連の訴訟に関しては、どうしても、平成29年に米連邦地裁で㈱カネカの本件補助参加人に対する請求が認められてしまった後に、対抗訴訟として(慌てて)起こされたもののように見えてしまうこともあり、国内外問わず訴訟慣れした実務家の方々にしてみると、「負けてから慌てたって遅いよ」と言いたくなるところもあるかもしれない。

しかし、企業実務家にとって、「裁判所に訴訟を提起する」ということのハードルがいかに高いか(日本ですら・・・ましてや米国で、となるとなおさら・・・)、というのはこれまでのエントリーでも述べてきたとおり。

そして、本判決で認定された、原告・被告間の平成5年12月2日付独占的実施許諾契約*2をめぐる経緯等に接すると、本件原告らがなぜあえて米国で対抗訴訟等の策を講じなかったのか、という理由も何となく分かってくる。

認定されている事実(主に66~71頁)をざっとまとめるならば、

1)原告が被告のために開発した新型製造装置の発明について、被告が単独で特許出願し公報に掲載されたのを見て原告担当者が憤慨
2)原告は,前記経緯を前提に,①権利を回避する(逃げる),②冒認出願や公知・公用を主張して権利をつぶす③権利をつぶすことを示唆しつつ,被告から買取交渉をするとの3案を検討した上,資料を整えた上で,被告と交渉。
3)原告は、交渉相手である被告技術部への数回目の訪問の際に,本件各発明に係る特許出願について,被告と原告との共同出願の形にしてもらいたいと述べたが、被告担当者が「共同出願にすることは手続上できない」とこれを即座に断ったため,原告担当者は「原告も特許権者と同じように権利行使ができるようにしてもらいたい」と再度申し入れ,被告担当者は社内で検討すると答えた。
4)被告から提示された契約書案に対し、原告側のリクエストに応じて「独占的通常実施権」の許諾とする、外国の特許出願も許諾範囲に含める、といった修正を加えた上で契約を締結した。
5)本件実施許諾契約については,社長の内部決裁得る(原文ママ)手続が執られておらず,電材事業部の所管であるポリイミドフィルム事業について,これを統括する立場にもない技術部長名義で締結され(ただし、記名押印者の代表権に争いはない、とされている),有効期間中であるのに(本件各特許権が存続中),契約の期限が切れたライセンス契約書等を収納する場所にファイリングされていて,社内のデータベースにも登載されていなかったという特異な事情が存していた。

といったところ。

取引の過程で共同で開発した物の特許をどちらか一方が無断で出願してしまう、というのはしばしば起きる話だが、そういった所業の結果行き着く先は、間違いなく修羅場、だ。ましてや、本件のように納品先が勝手に出願したとなればなおさらである*3

結果的に締結された実施許諾契約が、5)のような扱いになっていたために、被告側では米国のITC調査手続のデポジションが始まった段階になってもまだ契約の存在を認識できておらず、代理人弁護士から催促されて探した結果、平成24年1月5日頃になってようやく「契約の期限が切れたライセンス契約書等をファイリングするところに,本件実施許諾契約の契約書を見出した。」とされている。

だがこれは、単に「契約書の管理がいい加減だった」という話ではなく、特許部門にとってはいわば”恥”ともいえる共同出願違反の瑕疵を、こっそり治癒しようとしたがゆえの取扱いではなかったか*4

自覚的に、か、あるいは本当に被告社内に経緯を知る者がいなくなっていたのかは分からないが、米国訴訟の過程で被告は、20年の時を経て掘り返された”不都合な経緯の産物”の影響を関係者証言等を用いることで封じ込めることに成功した*5

しかし、許諾した側は覚えていなくても、許諾された側は決して忘れることはない*6、というのがライセンス契約という代物である。

原告が補助参加人・被告間の米国訴訟にどこから関与していたかは分からないが、少なくとも補助参加人から「被告が(実施許諾契約の対象となっている)米国特許に基づく請求を仕掛けてきている」という情報を聞いた後は、すぐさま「実施許諾契約が存在するのだから侵害は成立しえないはず」という確信を抱いたに違いない。

だが、米国の裁判所は、書かれてもいない「販売先制限」を契約書の解釈に付加し、被告の補助参加人に対する請求を認めてしまった。

これはどう考えても、原告にとっては青天の霹靂

原告としては巻き返しを図るべく、この日本でのリベンジマッチで猛烈に「実施許諾契約」の存在を主張し、大阪地裁も、契約書の文言や改めて実施した証人尋問の結果等を踏まえ、以下のように認定するに至った。

本件実施許諾契約において,販売先の制限は,明示的にも黙示的にも存在しなかったから,原告から本件各特許権の実施品である本件各機械装置を買い受けた参加人が,これを稼動してポリイミドフィルム製品を製造し,販売しても,本件各特許権侵害の責めを負うものではなかったというべきである。」(98頁)

かくして、最高裁まで争われた第2事件は、以下のような結論でいったんの決着をみることになった。

「被告は,本件実施許諾契約における許諾の範囲に参加人は含まれないと主張し,仮にそのとおりであれば,原告及び参加人の前記⑵の行為は本件各特許権の侵害となり,本件各機械装置を製造し韓国に輸出したことについて,また,参加人が本件各機械装置により本件各製品を製造販売したことに関与
したことについて,被告は原告に対し損害賠償請求権を有する可能性があることになる。」
「しかしながら,当裁判所は,前記3で検討したとおり,本件実施許諾契約における本件各機械装置の販売の対象に制限はないと思料するので,原告の参加人に対する本件各機械装置の譲渡には本件実施許諾契約が適用され,参加人が本件各製品を製造販売したことについては消尽の法理が適用されるため,被告の原告に対する上記損害賠償請求権は存在しないものと判断するので,主文においてこれを確認することとする。」
(106頁)

第1事件として争ってきた「被告による本件米国訴訟の提起又は追行が,本件実施許諾契約の債務不履行又は不法行為に当たるか」という点については、以下のような特許侵害訴訟の提訴判断の難しさも考慮して、大阪地裁もさすがに本件原告の請求は認めていない*7

「一般に,特許権の侵害訴訟においては,訴訟を提起したものの,被告製品は発明の技術的範囲に属しないとして請求棄却となることはあるのであり,この場合に特許権者は,発明の内容も被告製品の構成も知った上で訴訟を提起しているのであるが,これが直ちに不法行為になるとは解されていない。 また,ある引例の存在を知りつつも,これによって特許は無効になるものではないと判断して訴訟を提起することは一般に行われているが,当該引例による無効の抗弁が認められて請求棄却となった場合に,抗弁となり得る事由の存在を知りながら訴訟を提起したことが,直ちに不法行為になるとも解されていない。前記ウで述べた当該発明の技術的範囲,実施許諾の趣旨範囲,当事者の法的関係,製品の技術的構成といった事柄は,いずれも評価的,規範的要素を含むものであり,諸要素を総合して判断すべき場合もあることから,単にある事実が存在すれば,あるいはある事実が存在することを知っていれば,訴訟の提起が債務不履行又は不法行為にあたるといえるような単純なものではない。」
「以上によれば,参加人が原告から機械装置を購入した顧客であれば,被告はこれに対して本件各特許権を行使しない不作為義務を負うので,参加人に対し訴訟を提起することは債務不履行又は不法行為にあたるとの原告の一次的主張は失当といわざるを得ない。」
「また,参加人が原告から機械装置を購入した顧客であることを知っていれば(あるいは容易に知り得たのに),参加人に対する訴訟の提起(あるいは維持)は債務不履行又は不法行為にあたるとする原告の二次的主張についても,これだけの事実では,消尽の抗弁が成立する余地があるというにとどまり,前述した諸要素を検討した結果,消尽の抗弁が否定され,請求が認容となる場合もあり得るのであるから,このような場合に訴訟を提起すべきではなかった,維持すべきではなかったということはできず,この主張も失当といわざるを得ない。」
(101~102頁)

ただ、裁判所は、被告の責任を否定しつつも、以下のようにチクリと刺している。

「なお,当裁判所は,P6らが本件実施許諾契約に係る書類を発見するまでの間,原告が本件実施許諾契約によるライセンスを得ていること,及びベルト式成膜装置の製造販売がそれに基づくものであることを,被告は認識し得なかったものと思料するが,この点については,被告のP5が本件実施許諾契約に関与し,代表権のあるP15がその決裁をしたのであるから,法人としての被告としては知っているものとみなされる,あるいは知らなかったこと自体に過失があるとの議論も成り立ち得るところであり,原告もその旨の主張をする。また,前記認定したところによれば,本件実施許諾契約の締結の事実,あるいは締結の経緯や趣旨が被告内部で全く共有されず,承継もされていなかったことが今回の原告と被告との間の紛争の背景にあることは確かであり,それを被告の落ち度,過失ということはできるであろう。」(102頁)

最終的な結論としては、

「本件米国訴訟の担当者,その上司,あるいは役員らが,本件実施許諾契約を現実には認識していない以上,被告には,被告からのライセンスにより原告が製造した装置を利用して製品を製造販売した参加人に対し,特許権行使をすべきか否かという規範上の問題は与えられていないのであり,そのような規範上の問題に直面しつつ,これに誤った解答を与えたというのがここで論じるべき過失であるから,文書の保管等が適切を欠いていたとの過失をもって,これに代替することはできない。」(103頁)

と、あたかも刑事事件の主観的要素の議論を彷彿させるような説示で「無罪」となっているが、被告側の関係者はさぞかし肝を冷やしたことだろうと思う。

ここまで、長い時を経て判決まで辿り着いた日本国内での実質的審理がさらに第2ラウンドでも争われるのか、あるいは、もう少し大人の決着で収めることになるのかは分からないが、企業実務に幾許なりかは接している者としては、「隠そうとした不都合な事実は、しばしば(誰もが忘れた頃に)もっとも都合の悪いタイミングで顕出する」という本判決も教えてくれる警句を強く心に留めて、日々の判断に臨むほかないな、と思うところである。

*1:第21民事部・谷有恒裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/450/090450_hanrei.pdf

*2:本件日本特許権,本件米国特許権,カナダ特許権(出願番号2012138),及び欧州特許権(出願番号90104765)について,その範囲全部にわたる独占的通常実施権を許諾すること,原告は,本件特許取得及び維持に要する費用の半額を負担すること,実施許諾の対価に代わるものとして,被告が原告に機械又は装置を発注する場合に価格について十分協議する優遇措置を執ること,特許権消滅の日までを有効期間とすること等を内容とするものと認定されている。

*3:本判決では、原告の製造装置の開発過程が1973年まで遡って描かれており、問題となった発明に関する開発も1983年頃まで遡る。そこから10年がかりの開発成果を勝手に出願された、となれば、原告側の「憤慨」の度合いもいかほどだったか、容易に想像は付くところである。

*4:ゆえに、何とかフォースを社内に導入すればよい、という単純な話ではない。

*5:連邦地裁は「被告は宇部興産を自社の競合者の一つとは考えていなかったため,宇部興産に設備を販売するためにのみ使用されるであろうとの理解で,原告に実施許諾を付与した。」という趣旨の被告側証人の宣誓供述等を採用し、実施許諾契約の存在をもってしても参加人に関する被告の権利を消尽させない、とした。

*6:それが自社の命運を握るような内容のものであればなおさらだ。

*7:不当訴訟を違法とすることによる萎縮効果等も踏まえ、裁判所が「訴訟を提起する行為」に不法行為の成立を認める場面は元々相当限られている、ということも念頭に置く必要はある。

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