「100ドルパック」に封印された記憶

ここ最近の円安傾向はとどまるところを知らず、とうとう1ドル126円台に突入。
そしてそれが20年ぶりの出来事、と聞いて封印していた記憶がちょっとだけ蘇った。

ちょうど仕事を離れて学びを謳歌していた時期。
普通に働いていたら絶対に享受できない長休み、という”特権”を使って、自分は太平洋を渡り、当時最強だったドルの母国へと渡った。

”特権”と言っても、本当に自由に使える時間は限られていたし、それ以前に今と違って使えるお金ももっと限られていた。
だから、現地滞在もせいぜい1週間くらい、という話ではあったのだが、自分にとっては初めて一人で海を渡り、異国の空気を堪能する貴重な機会だった。

世間では「9・11」の衝撃の記憶がまだ褪せていない時期ではあったが、その時拠点にした西海岸はまだ平和そのもの。気候的にも決して悪くはなかったのだが・・・。


会社の出張では決して使わないような安宿に泊まり、ツアーで行ったら決して足を運ばないような路地裏をくまなく歩いたからこそ分かることもある。

その時、自分が見たものは、憧れていた世界のそれとはかけ離れていた。

あの長くはないが短くもない旅、見なくてよいものをいろいろと見てしまったときに、自分とかの国の縁は切れてしまったのかもしれない。

「そうは言ったって、どうせすぐにまた行く機会はめぐってくるだろう」と思ったまま過ぎ去った20年。

その後、「アジア」と名の付くところは、月1くらいのペースで行き来する身となり、決して好みではない欧州にも片手では数えきれないくらい足を運んだ。

世界がCOVID-19に襲われる直前には、中東やアフリカまで行動エリアに含まれるようになっていた。

なのに、”ドルの母国”だけがエリア外。

だから、成田空港から持って行って最後に一つだけ余った「100ドルパック」は、一瞬だけ開封して突っ込まれた硬貨たちとともに、封印されたまま今の今まで残っている。

折しも、あの旅から日本に戻って間もなく中東方面がきな臭くなり、ドルの価値は見る見るうちに失墜していった。

現地で使う当てもない、かといって国内で両替してもむざむざ為替差損を被るのも悔しい。

いっそのこと出張ついでにタイバーツかインドルピーにでも変えてしまおうか、と思ったこともあったが、クレジットカードを惜しげもなく使える今となっては、そもそも現金の出番などない。

個人的には、もしこのまま日銀の無策で1ドル140円とか150円の世界に突入するようなら空港の両替店でも十分20年分の利息を回収できるな、などと不穏当なことを考えていたりもするのだが、開封した瞬間に、20年前のざらついた感覚が戻ってきたりしたらちょっとなぁ・・・と思うところもあり、恐る恐る為替レートの推移を眺めているところである。

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