一日過ぎてのエントリーにはなってしまったが、先の週末、馬系のメディアを一番賑わせていたのは、
23年ぶりに複数名の女性騎手が重賞レースで騎乗。
というネタだった。
確かに中央競馬では「女性騎手不在」の時代が長かったし、女性騎手がいた時代でも、なかなか騎乗機会に恵まれなかったり、”紅一点”で藤田騎手だけが孤軍奮闘していたり、という状況になっていたことが多かったから、前世紀末まで遡る、と言われてもそこまで驚くことはない。
ただ、驚いたことがあったとしたら、その遡った1999年9月5日のレースと”主役”となった馬と騎手たちの名前だろうか。
この当時の「3歳」は当然ながら今の「2歳」である*1。
レース名のとおり、新潟競馬場で行われたレースだが、当時の新潟競馬場は改装前、今のような長い直線は存在しない。
そして、このレースの一方の主役、ナッツベリーと山本泉騎手は、今はなき「公営新潟競馬」の所属だった。
まだ三条に競馬場があった時代、現2歳の5月にデビューして夏までに4戦を消化し、5戦目のオープン各のJRA指定交流競走・ダリア賞で低人気を覆して2着に食い込む。その勢いそのままに中央の重賞へ・・・というシンデレラストーリー。
もう一方の主役・ドリームセイコーも、デビュー4年目で勝ち星が伸びずに苦しんでいた細江騎手が7番人気で新馬勝ちしてそのまま重賞切符を勝ち取った、という馬。
当時、住んでいた地域には競馬場も地上波の競馬中継もなく、どうしても、というときは県境を越えて新潟*2まで通っていた身(それでいて週1のギャロップと月1の優駿誌だけは買い続けていた)だったから、少なくともナッツベリーという馬の記憶は鮮明に残っていたし、この「3歳重賞」のレース自体の記憶も微かには残っている。
ただ、それが23年後、「女性騎手」という切り口で「歴史的な一戦」として蘇ることになろうとは、当時は想像だにしなかった・・・。
今世紀の最初の年、涙を呑んで見届けた公営新潟競馬の終幕と入れ違いに登場した新潟競馬場の長い直線走路。
そこを舞台に行われる夏の重賞も、今年でもう22回目となった。
まだ内側のコースが傷んでいない開幕週、ということもあって、通常なら外に殺到する馬たちが内外分かれて疾走したレースは見所十分。
今年の戦績では後塵を拝していても、「千直」での実績では負けない、とばかりに13番人気のスティクスで、内側からあわやのシーンを演出した藤田菜七子騎手は千両役者ぶりを十分に発揮していた。
だが、今年のアイビスサマーダッシュが歴史的なレースになったのは、歴史を塗り替え続ける新人騎手がいてこそ、である。
珍名馬・オヌシナニモノでのこの日の挑戦は、見せ場もないまま15着惨敗、という結果に終わってしまったが、春の開催では勝利数トップタイ、さらに開幕週の土日でも早々と2勝を挙げた今村聖奈騎手にとって、この敗北は次の歓喜に向けた序章に過ぎない。
ここまで1割近い勝率をキープし、気が付けばGⅠレースの騎乗条件充足に向けたカウントダウンも始まっている。
夏を越して秋になれば、さらに新しい時代の扉が開かれていくことになるのだろう。
だからこそ、この新人騎手が唯一”主役”ではない形で歴史を塗り替えた稀少なレースとして、今年の「千直」重賞が後々まで語り継がれることを自分は期待するし、願わくば、その時に23年前の晩夏の「3歳重賞」にも再びスポットが当たるならそれ以上の喜びはないな、と。
せわしない8月、されど夏競馬への思いを込めて・・・。