連休が明け、そしてとうとう「新型コロナ5類移行」の日がやってきた。
政府からこの方針が発表されたのは数か月前のことで、それはすなわち、長年世界中を翻弄したCOVID-19を「普通の感染症」とする、という評価がその時点でほぼ固まっていたということに他ならないから、「5月8日」という特定の日を”記念日”的なターニングポイントと考えるのはちょっと奇妙な印象も受けるのだが、一応、名実ともにフェーズが変わることを公式に明らかにした、ということ自体は決して悪いことではない。
ただ、あちこちのメディアで飛び交っている「帰ってきた日常」的なフレーズに対しては、自分には猛烈な違和感があった。
理由は2つ。
1つ目は、少なくとも自分の”日常”の中では、とっくの昔に「コロナ禍」の影響などなくなっていた、ということ。
確かに”未知の感染症”が登場した直後の2020年の初春からGW明けくらいまで、まさに最初の緊急事態宣言が出されていた間は、街を歩いても飲食店が開いてない、どこの会社のオフィスにも人がほとんどいない、公共交通機関を利用してもお客さんはいない、公共の喫煙所はほぼ閉鎖されている、そしてドラッグストアに行ってもマスクを買うことすらできない・・・と、人生にそう何度と訪れない”非日常”がしばらく続いた。
だが、その後、2020年の夏の時点では既に、家族や親しい友人たちと遅い時間まで開いている店を探して飲み会をやったり、時には遠出の旅行をしたり、という「日常」は普通に戻っていたし、さらにその翌年、ワクチン接種が始まってからは、飲み会の頻度も旅に出る頻度も、「コロナ前」とほとんど変わることはなかった。
もちろん、合間合間で「波」が襲ってきた時期は、ちょっと控えめにしたこともあったし、旅に出る、といっても「国内限定」という点で、それ以前とは大きな違いがあったりもしたのだが、そんなギャップも昨年末に接種証明を引っ提げて海外に渡航した時点でもうすっかり解消してしまった。
政府や自治体が「ステイホーム」だのなんだのといったところで、在野の一市民にとっては所詮お願いレベルの話。
そして、日を重ねるごとに積み重ねられた様々な知見は、自分自身の体調の変化に留意して「密」な空間で騒ぐような愚を犯さなければ、誰かにうつすリスクもうつされるリスクもそこまで高いものではない、ということを教えてくれていたし*1、それに気づいていたのが自分だけではないということも、この間生き延びたどんな飲食店にもそれなりにお客さんがいて、撤退した飲食店の跡地にもすぐ代わりの店が入って繁盛していた、ということ等から明らかだったから、「5類移行」で何かが変わったかのように言われても、どうにもこうにもピンとこない*2。
続くもう一つの理由は、「日常」という言葉が「特別なことのないありのままの日々の状態」を示すことに由来するもので、仮に「5類移行」の日までの約3年間、「コロナ前」とは違うことを継続的に行っていたなら、それはもう立派な「日常」ではないか?ということからきている。
例えば、自分の場合、この連休の直前くらいまではずっとマスクをしていて*3、マスクをする方が立派な「日常」として定着していたから、「マスクをしない生活が日常」という価値観とは今や全く相いれない*4。
他にも「リモートワーク」だのなんだのと、コロナ前とは全く違う生活スタイルが「日常」として定着している人々は決して少なくないはずで、そういったものが「5類移行」によって強制的に元の状態に”巻き戻し”されるのだとしたら、それは「帰ってきた日常」でもなんでもなく、むしろ「日常の破壊」に他ならないだろう。
なんだかんだ言ったところで、同調圧力に弱い東アジア人の典型たる日本人のこと、ここから1,2カ月もしないうちに、ほとんどの人が”元通り”の画一的な世界に引き戻されてしまうのかもしれない。
ただ、「変わらなかった日常」を貫けた者がこの3年余の間、それなりに質の高い生活を満喫できたのと同様、「新しい日常」を手に入れた者がこの先「変わらない日常」を過ごし続けることによって得られるものは決して少なくないはずだから、そういう方々には、とことん「我」を貫いていただきたいと思っているし、何よりもそうでなければ、この3年余がこの国の人々にとって単純に「失われた時間」になってしまう、ということは、ここで強く念押しをしておきたいな、と思っているところである。
*1:ついでに言えば、ワクチン接種を重ねた後は、万が一感染したとしても大騒ぎするほどの話にはならない、ということも分かってきていた。
*2:今日、唯一実感したことがあるとしたら、店内の座席の間にくまなく立てられてそうでなくても狭い店舗をより狭いものにしていたパーテーションがきれいさっぱりなくなっていたことくらいである。
*3:昨年の秋頃には意図的に外して過ごしていた期間もあったのだが、外気が冷え込むにつれ再びマスク着用に戻ったりもしていた。何と言っても喉が楽なので・・・。
*4:最初の一時期を除けば、肌触りの良い布マスクを一貫して使っていたことも影響しているのかもしれないが、「マスク生活」をそこまで異常視する感覚は自分には全く理解できなかった。