38年間、という歳月の濃淡

その瞬間はTverのアプリで見た。

「1985年以来二度目の日本一」というニュース速報の見出しも何度も確認した。

だが、何時間か経っても、未だに実感がわかないのは、軽く回ったアルコールのせいだけでもなかろう・・・。


遡って1980年代、沿線でもないのにクラスの男子はほとんどが(当時最強期に入り始めていた)西武ライオンズファン、という環境で、「あの強い西武をやっつけるために登場した」のが関西の縦じまのユニフォームのチーム。いつもうるさく騒いでるガキたちが野球の話題をしなくなるのが痛快で、気が付けばあの歴史的な日本シリーズの途中から俄かで応援し始めた。

ルーツこそ西の方だが基本的にはずっと関東育ちの自分がファンになったきっかけなんて、そんな単純なものに過ぎない。

ただ、そこから、熱にうなされる長い長い時間が始まった。

80年代後半から続いた暗黒時代。クラスを牛耳る巨人ファンの罵詈雑言に耐えながら、シーズン中片手で数えるほどしかない”会心の勝利”に溜飲を下げる。
ドラゴンズやカープのファンと野球の話ができるのはオールスター前までで、シーズンを折り返す頃にはヤクルトファン、大洋ファンとお互いを慰め合っていたが、前者はパリッシュという置き土産を残していつのまにかあちらの世界に行ってしまったし、シーズン終盤で激烈な最下位争いが繰り広げられるような展開になると、残されたホエールズファンとも口を利かなくなるのが常だった。

シーズンオフになれば、戦略なきドラフト上位指名に、謎のトレードの嵐。パ・リーグから著名なベテラン選手が加入するたびに「往年の輝きを取り戻せば・・・」と思うものの、翌シーズンが始まって1か月も経たないうちにそんな期待は泡と消える。

積み重なる黒星、8月を過ぎれば和田豊選手の安打数くらいしか明るい話題はない。だが、そんな環境だからこそ、92年のような奇跡的なシーズンは、それこそ何もかもそっちのけで”アウェー”での応援に没頭した。

そして、そんな歴史の到達点が2003年。あの年の9月、その瞬間が見たいがために大阪に張り付いていた一週間、そこですんなり星野タイガースが優勝を遂げていたら、自分は迷いなく堀に飛び込んでいたことだろう・・・。


ついこの前のことのように思い出すあの時からも既に20年。

21世紀に入り、野村克也星野仙一という「外の血」の刺激を受けたタイガースは、普通にチームに投資をし、良い選手を集め、人気に恥じない実力を持つチームに変貌してしまった。

今世紀に入ってからも、CSや日本シリーズでは、何度となく悔しい思いはしている。とはいえ、負けたとて次のシーズンでまたチャンスはあるだろう、とナチュラルに思えてしまえるチームの応援に、そこまでの熱はどうしても入らなかった*1

その意味で、「38年」といっても、今世紀最初にリーグ優勝するまでの18年と、直近のリーグ優勝からの18年とでは思いの濃さが全く異なるわけで、今日のこの日の胴上げも、薄ぼんやりと、言うなれば惰性で応援し続けていた18年の到達点に過ぎないがゆえに、感動も薄まってしまっているのかな・・・と思ったり。


いや、そうはいっても、今日の最後の1イニングは、久々にハラハラしながら応援していたし、日本シリーズ優勝」という言葉を見るとじんわり来るところもあるし、何より、第三者的視点で見れば、どの試合も大味過ぎて「勝負」としての面白みを感じられない今年の日本シリーズの結末に不快感を抱いていないこと自体が、まだまだ自分が微かにファンである証であることは間違いないのだけれど・・・。

ということで、ここから先、これ以上熱が冷めたらどうなってしまうのだろう、という愁いを抱きつつ、「次」がまた38年後なのか、それとも来年なのか、そんな未来の不確実性をささやかな糧として、今日はちょっとだけ、余韻に浸っておくことにしたい。

*1:応援の熱、という点でいえば、北海道移転直後の日ハムや、2013年の楽天なんかの方がよほどシリーズでの思い入れは強かった気がする。

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