ファンでなくとも胸が熱くなる渾身の特集。

別にファンだったわけじゃないけど、チームのこれまでの歴史とか、チーム愛溢れる様々なエピソードに接すると、何となく一緒に喜びたくなってしまうのが、今年の広島東洋カープの優勝劇。
そして、そんな世の中のムードを巧みに捉えた渾身の特集をNumber誌が組んだ。

題して「カープの魂。」

表紙からし黒田博樹投手と新井貴浩選手というチーム最大の功労者2人のツーショットだから、これはもう買わねば・・・という気持ちにさせてくれる。
そして、“カープ愛”を存分に感じさせる2人の対談記事の後に、レジェンド2人を語る若手選手たちのコメントが続き、

「大ベテランの方が2人いても、仲が良くないってこともありえますよね。でも黒田さんと新井さん、すごく仲がいいじゃないですか。そうなると全体的に輪ができるというか、一体化するのかなって」(38頁)

という、投打融合した今年のチームの全てを物語る野村祐輔投手のコメントが事実上の締めに。

新井選手に対しては、かつて在籍していたチームのファンとして、申し訳なさと、少々の妬ましさをずっと感じ続けていた今シーズンだったが、満面の笑みで紙面に登場している姿を見ると、これも幸福な巡りあわせだったのだろう、と思わずにはいられない。

そして、この号の様々な記事の中でも、自分が一番感じ入ったのは、映画監督の西川美和氏の「どうして広島東洋カープは、こんなにも人生そっくりなんだろう。」というコラムエッセイである(16〜17頁)。

その後、25年にわたって“最後の優勝”という記念碑的な年になるとも思わずに、1991年のシーズンを頬杖ついて眺めていた、というエピソードに始まり、「物語が結ばれる」はずだった昨年、あっけなくシーズンが幕を閉じた生々しい記憶。快進撃を続けた今シーズンも、長年の「諦める癖」ゆえに、「劣勢になればテレビを消す。ラジオも消す。」「『自分が観てるとやられる』と非科学的に自らを責めたりもして来た」。

決して強くないチームを応援し続けてきたファンにしか理解できないちょっとしたエピソードの数々に自分は深く共感し、

「『物語』は、在るものでも、出来るものでもない。必ず人がつむぐものだ。神様は、降りて来てくれたりしない。人間が手を引っ張って、連れてくるものだ。」
「神は、彼らが自分で連れて来たのだ。」(以上17頁)

という締めの言葉に、思わず涙した。

この先の「日本一」の前には、クライマックスシリーズ、という落とし穴もあるし、立ちはだかるパ・リーグの壁もある。
2003年のタイガースがそうだったように、長く待たされたファンの、リーグ優勝での歓喜が大きければ大きいほど、“燃え尽き感”が先にやってきて、ポストシーズンを乗り切れないことだってある。

それでも、今、まさにこの時に盛り上がれるカープのファンを心から羨ましく思うし、だからこそ、もう少し“夢”の時間が続いてほしいと思うのである。

なお、もう一つ、「メークドラマ“悲劇”をこえて。」という1996年シーズンを回顧する記事にも懐かしさを感じた。

自分にとっては、年号とともに、贔屓チームのラインナップやペナントレース中のエピソードがすぐに蘇ってくる最後の時代。
エースが紀藤投手だったこととか、あの金本選手が当時は7番を打っていたこととか、贔屓チームではなかったがゆえに、今初めて思い出したことも多かったのだが、それでも記憶はここ数年のペナントレースに関するそれ、よりもよっぽど鮮明、ということだけは最後に申し上げておきたい。

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