「三連休」の終わりのため息。再び。

今年は、カレンダーの日のめぐりのおかげで、正月三が日が終わったと思ったら「もう三連休!?」という年だった。

だから、年末年始でやり残したことがあっても、何となく余裕を持って構えていたし、去る金曜の夜には何となくウキウキ気分、土曜日は余裕かまして優雅にラジオ聞いたり、Tver高校サッカーの中継見たりしながら煎れたてのコーヒーをたしなむ・・・という感じでいられたのだが、日曜日の夕方くらいから「あれ、そろそろマズいか・・・」と思いはじめ、やらねばならないことに手を付けようとしても別の雑事に阻まれ・・・ということで、気が付けば祝日だったはずの月曜日も終わろうとしている*1

結果的に残されたのは、しばらく平日に祝日が入らない「死のロード」を前にしての仕掛中のあれこれと、読もうとして出したまま開かれることのなかった書籍その他の資料類の山。

「期待」が大きければ大きいほど、それが叶わなかった次の瞬間に「絶望」に変わる、というのは、万国共通の人間心理だと思うのだけれど、今自分はまさにそんな淵にいる・・・

で、そんな感覚に強い既視感を覚え、振り返ってみたら1年前のブログにも同じような記事が残されていた

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

これこそが「人間そう簡単には進歩しない」ということの何よりの証、というほかない。


年末年始に日本を逃れて海外に飛び、さらに直後の三連休で別の国に飛ぶ*2、というような豪快なことをやっていたのはつい数年前のことだったから、それに比べると新型コロナ禍を挟んで随分と活動量が落ちたなぁ・・・とげんなりしてしまうところもあるのだが、飛び回っていた頃でも、休みが明けて日常に復帰すれば「山」を目の前にして後悔に襲われていたことに変わりはないわけで、その頃に比べたら、少しでも休養が取れただけ良しとしよう、と自分に言い聞かせ、明日からの「本当の新年の始まり」を乗り切れれば、と思っている。

*1:正確にはこのブログを書いている時点では既に「火曜日」である。

*2:いずれもプライベート。そして戻ってきてから本当の出張ラッシュ。今思えばよくそんなことしてたな、という感じだが、あの頃はそうでもしないと自分の中での仕事のストレスをプライベートな領域で解消できないところがたぶんにあって、「突き動かされていた」というのが正直なところだった。それに比べると今は遥かに平和で、豊かな日々である。

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