決して、忘れない。

今年もまた「3・11」がやってきた。

「13年」という歳月はそれなりに長く、被災後数年は分単位でしっかり記憶していた黙祷の時間さえ油断すると忘れそうになる。

加えて、何年かに一度のサイクルで、熊本、そして今年の能登、と、その後も甚大な地震災害が日本各地で起きている*1ことを考えると、「東日本大震災」も、そろそろ歴史の中の出来事として葬り去られても不思議ではない。

だが、関西の方々にとって、「1・17」が未だに特別な日であるのと同じく、関東も含めた「東日本」というエリアで生まれ育った者として、そして発災直後から長らくかかわり続けたものとして、自分の中での「3・11」の重みは当時から微動だに変わっていない。


個人的なことを言えば、新型コロナ禍が本格化する直前に悲願の常磐線全線運転再開を祝して富岡、夜ノ森、浪江をはしごして以来、かの地からはだいぶ遠ざかってしまった。

仮に今現地に足を運んだところで、原発被災地を除けば、あの当時の記憶を辿ることすら難しくなっているエリアの方がむしろ多くなっているのが実態だと思うし、それも足が遠のく一つの理由だったりもする。

ただ、それでも、年に一度だけでも、あの地のために何ができるかを必死で考えて走っていた自分の記憶*2を呼び起こすことには意味があると思っているし、時を経て、立場も生活も大きく変わった今、遠く離れたところからでも現地に貢献できることはむしろ増えた、と思うだけに、自分が生きている限りはこのまま、鎮魂の祈りを捧げながら「3・11」という日を迎え続けるのだろう、と思っているところである。

*1:もちろん風水害や火山の噴火等も合わせれば、毎年のように何らかの犠牲を被った地域は存在する。

*2:今思えばあの頃はまだ30歳代だった。

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