残した足跡は決して消えない。

本来なら先週末のうちに取り上げておくべきニュースだったのだろうが、何かを書き残すにはあまりに情報が断片的すぎて、躊躇したまま一週間寝かせてしまった。

言うまでもない、いろいろとポジティブではないニュースが続く今年の中央競馬界の中でも個人的には一番悲しかった「藤田菜七子騎手引退」のニュース。

”文春砲”に始まって、JRAの処分発表、本人からの「引退届」提出、受理、そしてその間に飛び交った調教師やご家族、そして様々な関係者のコメント。

いわゆる「不正行為」の処分の過程では、行為それ自体の悪質さよりも、「虚偽」の報告をしたかどうかの方が量定判断に大きな影響を与える、というのは”コンプライアンス”の世界にちょっとでもかかわったことのある者なら容易に理解できるところで、その観点からは、今になって1年以上前の出来事にペナルティが科された理由も一応は推察できる*1

ただ、そこで一気に騎手免許取消申請、という行動に彼女を駆り立てた理由がどこにあったのか、ということは、当の”文春”での続報もなく、本人のコメントも一切出てきていない現状では、どうにもこうにも理解できないところはある。

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2016年のデビューから右肩上がりに実績を積み、中央43勝、コパノキッキングでの中央・地方重賞制覇を成し遂げた2019年までの間、彼女は間違いなくJRAの”看板”騎手だった。

20世紀末の”ブーム”が遠ざかって久しかった当時の競馬界にとって、長らく閉ざされていた「女性騎手」の扉を開いた彼女の存在は、新しい時代の到来と未来への希望を感じさせる一番のニュースだったし、それと前後して登場した”ウマ娘”と合わせて、今に至る”V字回復”の起爆剤となったのも疑う余地はないはずだ。

だが、馬券の売り上げが回復し、競馬場に賑わいが戻る流れと相反するように、度重なる負傷がターフでの藤田騎手の存在感を消していった。

後輩の女性騎手たちが活躍するたびに、”先人”として取り上げられる機会はあれど、現役騎手としては決して納得はできないであろう限られた騎乗機会、勝利数も年々頭打ちになる中、デビュー直後と同じようなモチベーションを彼女が持ち続けられていたかといえば、それは難しかっただろう。

そんな状況下で、負傷を抱えてもなお前線で”パイオニア”としての看板を守り続けてきた者にとってはあまりに屈辱的な、「週刊誌報道を発端とした処分」という状況が最後の引き金を引いてしまった、というのが、”常識的な推論”ということにおそらくなるのだろうが・・・。


いつ、どういう形で世に出てくることになるのかは分からないが、本人の談を聞くまでは、この件は結論付けずにおくのが良いと自分は思っている。

そして、一部の心無いメディアの雑音は脇に置いて、強調すべきこととしては、

明確な足跡を残した者にとって「辞め方」は大した問題ではない。

ということだろうか。

中央での166勝、地方と合わせて190勝。
さらには海を越えてのシャーガーカップ出場。
そして、そんな数字だけでは表せない、次の時代の人々に与えた様々な有形無形のインパクト・・・。

決して誰もが消すことのできない卓越した足跡が、(望みさえすれば)本人を再び表舞台に引き戻してくれるだろう、ということを高らかに予言して、暫し時を待ちたい。

*1:処分の原因となった「調整ルームでのスマートフォンでの通信利用」に関しては、以前自分も指摘したようなルールそのものへの懐疑的意見(投下された格好の素材? - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~)を述べる関係者は比較的多く見かけたが、どれだけそこを指摘しても、最後は「ルールが存在する以上は守るべき」という結論に収められていたのはいかにも日本らしいなぁ・・・と思わずにはいられなかった。

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