「平成最後の」という冠がふさわしい最初で最後の季節。

バタバタしているうちに過ぎていく年の瀬だが、この一週間で一つ二つ大きなヤマを越え、さらに強制的に三連休、ということで、ちょっとひと息付いている。

久しぶりにスーパーで買い物をしたら、目についたのが「30周年」のラベルの付いたサッポロ冬物語
それを缶で2本買った後、家に帰り、BGMで流れていた稲垣潤一の懐メロ*1に感化されてAlexaにクリスマスソングをかけさせて、時々ランダムに登場する20〜30年前の曲に悶絶・・・。

ビールの味があの頃と同じかどうかなんて覚えてないし、いつもビールのお供にチーズを載せて食べていたRITZはルヴァンに変わった*2
飲んでいる場所も違うし、隣にいる人も違う。

ただ、やっていることは20世紀末から今までそんなに変わらない、というのが、この季節イベントの偉大なところなわけで。

今年の夏くらいから、何でもかんでも「平成最後の・・・」というキャッチフレーズを付けた宣伝があふれるようになっていて、自分はそれが基本的には好きではないのだけれど*3、バブルとともに“季節”が作られ、時代の紆余曲折を経てもなお平成の世を生き延びた「クリスマス」には、「平成最後の」という冠が実にふさわしいように思えてならない*4

そして、それは、平成のクリスマスの盛り上がりとともに国民的行事となった「有馬記念」にも当てはまるわけで。

オグリキャップが負けて始まった30回の歴史の到達点。
何度かの山を越え、人気的には一回りして戻ってきてしまった感もあるが、明日はキセキとレイデオロが「平成最後」の名にふさわしい歴史的名勝負を繰り広げてくれることを願っている*5

*1:今年は山下達郎の曲より、こっちの方を耳にする機会の方が多い気がする。どちらもいつまでも流れていてほしい、良い曲であることに変わりはないが。

*2:厳密に言うと、RITZ自体はまだナビスコのブランドで生きているが、味を引き継いだのはルヴァンの方である。

*3:たかだか21世紀に入ってから出てきたようなモノ・コトに「平成最後」という冠を付けるのはおこがましいし、逆に昭和の時代から淡々と行われてきたイベントを「平成」の冠で括ることにも違和感がある。

*4:そして、結果的に「昭和最後」となったクリスマスが超自粛ムードの中で行われたイベントだったことの反動も、今回堂々と「最後」と言いたい気分にさせてくれる。

*5:そして、オジュウチョウサンがさりげなく「3着」を確保してくれることも、微かに信じている(笑)。

本丸での戦いに勝算はあるのか?

先月来、世の中を賑わせているカルロス・ゴーン元日産会長の事件。
ミーハーな話題抜きに、いわゆる「企業犯罪」に関する刑事司法手続の在り方を考える上では非常に興味深い素材なのでしばらく追いかけているのだが、ここにきて、金商法違反の被疑事実での勾留延長却下、そしてその翌日、保釈請求に対する決定を待つことなく、会社法違反(特別背任)を被疑事実として再逮捕勾留、という、またまたウォッチャー的には美味しすぎる展開になっている。

東京地検特捜部は21日、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)が自身や第三者の利益を図って日産に損害を与えていたとして、ゴーン元会長を会社法違反(特別背任)容疑で再逮捕した。自身の資産管理会社の損失を日産に付け替えたほか、多額の資金を第三者に流出させた疑いがあるとしている。」(日本経済新聞2018年12月21日付夕刊・第1面)

ゴーン氏を拘置所に追い込んだ検察当局や日産現経営陣の真の動機はともかく、純粋に独立・完結した事件として見た時に、法規範的にも道義的にも、一連の“大捕り物”を正当化できるのは、“会社の金で私腹をこやした”という点だけだったから、これでようやく問題が「正常化」した、という見方はできる。

検察側としても、当然、有価証券報告書虚偽記載での一連の起訴が終わったタイミングで、この被疑事実での再逮捕勾留を狙っていたはずだから、タイミングが早まっただけで周囲が邪推するほど慌ててはいないと思うのだけど、中途半端なタイミングで特捜部の手の内が顕在化したことが、様々な憶測を呼ぶ原因になっているのは言うまでもあるまい・・・。

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加速するマンネリと、動かないランキングと。

年末の風物詩、となっている日本経済新聞の「企業法務・弁護士調査」。
今回で実に14回、ということだから、このブログとほぼ同じくらい続いている、ということになるが、一方で近年“マンネリ化”の風潮が強いというのも、例年指摘しているとおりである*1

そして、「法務部門の拡充 1年で3割が増員」という今年の大見出しを見て、とうとうマンネリもここまで来たか・・・という思いがより強くなった。

日本経済新聞社がまとめた第14回「企業法務・弁護士調査」で、弁護士を社員として雇用している企業が全体の6割を超えたことが分かった。こうした企業内(インハウス)弁護士を過去1年で増員した企業は3割に上り、1社当たりの平均人数も3人に迫ったグローバル化を背景に専門性を持つ法務人材のニーズは大きく、今後も法務部門を拡充する企業が多い。」
「多くの日本企業が法務部門の強化を迫られている格好で、専門性が高く即戦力となるインハウス弁護士の採用を増やす動きが強まっている。過去1年間で増員したのは62社で、回答した208社の30%。2人以上増員した企業は27社ある。
インハウス弁護士がいる企業は135社(65%)となり、およそ3分の2が弁護士を配置している。60%弱だった前回(2017年)調査から約5ポイント上昇した。5人以上抱える企業が40社(19%)あった。」
日本経済新聞2018年12月17日付朝刊・第11面)

ネタとしては、昨年と全く同じ。
そして、取り上げられている内容も、画期的な何か、では全くなく、これまで法務部門を支えてきた社員が抜けた穴を有資格者で埋める、という話の域を全く出ていないように思われる。

昨年のエントリーでも書いた通り、今、全体的な傾向として、「社内弁護士」の数が飛躍的に伸びている、という傾向は、法務業界には全く存在しない。

変化の激しさとしては、職にあぶれた“新修習”組が大量に企業の門を叩いた2010年代前半の方が遥かに大きかったし、一時は「弁護士資格」が必須要件になっていた採用エージェント経由の「採用条件」も、最近では再び「資格不問」となるケースが増えている。

企業の中に弁護士が大量に入り始めてからもう10年近く経っているから、どの会社でも、記事の最後の方に出てくる、

「高度な法務知識と経営センスなどを兼ね備えた人材であれば、弁護士の資格の有無は問わない」(化学)
「適切な人材が不足している」(食品)

といった意見を出したくなるような経験を一度や二度ならずしているわけで、それが「おおむね3年以内に法務部門全体を増員する」という考えを示した134社のうち、「弁護士で」数を増やそうと考えている会社は79社しかいない(一般社員を増やす企業は120社、弁護士登録をしていない「有資格の未登録者」を増やす企業は25社)という結果にもつながっている。

そのような状況で「変化」を取りあげるとしたら、ここ数年、「法律事務所からの転職」や「法律事務所志望だったけど実らず企業入り」というパターンよりも、

「最初から企業の中でキャリアを積みたい」

という志向が強い有資格者が増えている(一方で、採用の枠が少ないために断念して法律事務所に就職する、という以前とは逆のパターンも増えている)、ということくらいなのだが、この記事の中ではそこには一言も触れられていない。

そして、(これは十分想像できたことだが)今回の結果を今年のBuzzトピックになっていた「経産省報告書」の話と無理やり結びつけて結論に持っていこうとすることで、例年のこの企画と同様、極めてミスリーディングな記事となってしまっている*2

自分は、そもそもこういう分析を、一般メディアや、ポジショントークにしか関心がない組織弁護士の団体関係者等に委ねること自体に無理があると思っていて、このエントリーも、本来積極的に情報を出していかないといけない「現場の人間(=我々)」が忙しさにかまけて口を閉ざしていてはいけない・・・という自戒を込めて書いているのだが、願わくば、元号も変わる来年からは、地に足の付いた議論がきちんとできる環境、というものを作り上げていかないといけないな、と思っているところである。

なお、最後に、一部では依然として関心が高い「企業が選ぶ弁護士ランキング」、今年の結果は以下のとおりだった。

<企業法務分野>
1.中村直人(中村・角田・松本)24票
2.太田洋(西村あさひ)17票
3.野村晋右(野村綜合)12票
4.武井一浩(西村あさひ)11票
5.柳田一宏(柳田国際)10票

毎年、中村直人弁護士のトップが揺るがないので代わり映えしない印象があるものの、13年前の調査*3に比べると、やはり上位の顔ぶれは大きく入れ替わっているわけで、これまた、「平成」という時代の終わりとともに来年以降さらに新しい風が吹き込まれることを自分は期待してやまない。

*1:昨年のエントリーはhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20171218/1513703568

*2:個人的には「法務部門が果たすべき機能」という話と、「法務部門の体制」や「企業の法務部門に入ってくる人々の志向、属性」の話は、きちんと区別して分析されるべきだと思っていて、それを無造作にごちゃ混ぜにしてまとめられてしまうと、所詮は素人の調査だな、という感想しか出てこない。

*3:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20051223/1135306868参照。今見て思い出したが、当時のトップは武井一浩弁護士!だった。

「外高日低」を象徴するようなレース。

阪神開催になったのはもう4年前のことなのに、未だに「朝日杯」と聞くと、反射的に「中山」のメインレースだと勘違いしてしまうのはオールドファンの悲しい性。

そして、このレースに出ているのは全て牡馬である、という観念まで染みついているから*1、1番人気になっていたグランアレグリア牝馬だった、ということに気付いたのも当日の朝だった。

個人的には、なんだかんだ言って、本当に強い牝馬は、全く同じ条件ならここで無理して朝日杯を使うことなんて考えないだろう、と思っているし、2年前の早熟馬・ミスエルテの例もあるから、ルメール騎乗のグランアレグリアに関しては良くて入着が限界だろう、と考えていた。

そしてそうなると、デビューから3連勝、最近では勝ち馬こそ出していないものの、デイリー杯2歳S組(2番人気だったアドマイヤマーズがこれに該当)よりは、過去10年の勝率も連対率も高い京王杯2歳S組のファンタジスト、そして鞍上の武豊騎手が、いよいよこのレースで初のタイトル奪取&日本人騎手連敗記録を止める、という帰結になって然るべきだった。

それが・・・である。

先行していたグランアレグリアが直線で今一つ伸びを欠いたのは、まさに予想どおりだったのだが、好位追走で直線でもいい感じで追いかけてきていたファンタジストが外にコースをとったものの思いのほかジリっぽく伸びず・・・。
そして気が付けば、グランアレグリアをあっさり交わして先頭でゴールにたどり着いたのは、勝てないローテだったはずのアドマイヤマーズ&M・デムーロ騎手だった。

これで外国人騎手のG1連勝は10週連続。そして、武豊騎手はまたしても残ったパーツを埋められずじまい。

気が付けばあっという間に中央競馬もクライマックスに突入し、来週はもう有馬記念、というところまで来てしまっていることに衝撃を隠せずにいるところではあるが、それ以上に来週もまた、レイデオロやらモズカッチャンやら、といった、かましてくれそうな馬に外国人騎手が乗り、武豊騎手が“ネタ”出場のオジュウチョウサンの鞍上に甘んじていることが何とも残念でならない。

このまま外国人騎手の連勝が続いたうえで、最後の最後のホープフルSで、来年に向けた希望とともに、日本人騎手がG1タイトルを取り返すことができるのであれば、それにこしたことはない、と思っていたりもするのだけれど、気分的には来週が今年の最後だけに、ほんの一週間の間だけでも、夢を見ていたいと思っている。

*1:確かに2003年までは牝馬は出走できないレースだった、という歴史もあるのだが・・・。

アカデミーの歴史に「知的財産法」が刻まれたとき。

久しぶりに心の底から「素晴らしい」と思えるニュース。

日本学士院は12日、生物が自分自身の体を食べるオートファジー(自食作用)の解明でノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典・東京工業大特任教授(73)ら9人を新会員に選んだ。人文科学部門は、西洋近世史学の深沢克己・京都産業大客員教授(69)、ドイツ文学・ドイツ思想史の松浦純・東京大名誉教授(69)、哲学の伊藤邦武・龍谷大教授(69)、経済法の根岸哲・神戸大特命教授(75)、知的財産法の中山信弘・東大名誉教授(73)、経済学の大塚啓二郎・神戸大特命教授(70)。」(日本経済新聞2018年12月13日付朝刊・第36面、強調筆者、以下同じ。)

「知的財産法」の体系を構築し、長年、第一人者として学界でも、政策審議の場面でも活躍してこられた中山信弘東大名誉教授が学士院の会員に選定され、第1部第2分科(法律学政治学)の25名の枠の中に名を連ねられた、ということを、吉報と言わずして何と言おうか。

日本学士院のHP(http://www.japan-acad.go.jp/japanese/news/2018/121201.html)には、選定された方々の氏名、役職、専攻分野とともに選定理由が詳細に記載されている。

中山信弘氏は、知的財産権を、所有権類似の物権的な権利ではなく、産業政策などの政策実現の手段と捉える立場から、技術の進展への知的財産制度の柔軟な対応の必要性を提唱し、その法分野の解釈・立法を主導してきました。とりわけ、昭和60年に著作権法による保護の対象に加えられたコンピュータ・プログラムなどについて、既存の著作物(小説、絵画、音楽等)とは異なる解釈上・立法上の配慮が必要であること、および、デジタル環境では著作者・著作物概念に変容が生ずること等を指摘して、著作権法の解釈および制度の見直しの方向を提示しました。また中山氏は、知的財産法を、民法独占禁止法等と関連する財産的情報の保護制度の一つとして私法体系の中に位置づけることによって、知的財産法が法体系全体の中で整合的に発展する理論的基礎を提供しました。」

今では、中堅から若手まで多くの研究者が活躍していて、どんな法律雑誌でも年に一度、二度は特集を組む、学部での講義も大教室で行われるのが常、という人気ジャンルとなったこの分野だが、20年くらい前は、法学部生でも講座の存在を知る人は限られており、講義も小教室で細々と・・・という状況だったし、ブームが始まりかけた21世紀の初頭でも、議論はタコツボ的な方向に走りがちで、国内で骨太かつ体系的な論文を発表されている方は、ごくごく限られていた。

だからこそ、昭和〜平成の始まりくらいの時代に、「財産的情報」というキーワードを用い、派生元である民法との連続性を保ちつつ、私法体系の中で「知的財産法」独自の存在意義を打ち立てた中山名誉教授の存在感は一際輝いていたし、その後、知財立国政策の下で乱立する様々な会議体で否応なしに法政策論議の矢面に立たれていた時も、決して安易に潮流に流されることなく、研究者としての信念に貫かれた冷静な対応をされていたのが、非常に印象的であった。

知財」を条文操作や審査基準を追いかけるだけの“ムラ”の中の技巧的な世界にとどめることなく、一方で単純な「政策学」に貶めることもなく、伝統的な議論を踏まえて体系化した上で名実ともにメジャーな領域に育てたこと、そして、その結果として「法律学」そのものの地平を先端領域にまで拡大した*1ことを考えると、今回の栄誉も、実に理にかなったことだと言うほかない。

ここ最近、結論ありきの、底の浅い政策論議も目立つようになってきている中、クラシックな(?)元法学徒としては、肩身の狭い思いをすることも多いのであるが、今日のこの知らせを密かな心の励みとして、たとえドンキホーテになったとしても、もうちょっと「理」を説くことにこだわってみようかね、と思った次第である。

*1:奇しくも今回同じタイミングで、経済法の根岸哲名誉教授が会員に選定されているが、知財法・競争法といった学問領域が発展を遂げていなければ、今世の中で起きている様々な事象に法律バックグラウンドの人間が正面から関わることは難しかったかもしれない。

意外なところで第1号。

そんなに大きくは取り上げられていなかったものの、「消費者の財産的被害の集団的な回復のための民事の裁判手続の特例に関する法律」という長ったらしい名前の法律の成立を受けて、感度の高い各企業の担当者が戦々恐々としていたのは、もう5年くらい前のことになる。

現実には、当時想定していたとおり*1、この集団訴訟の類型に馴染む事件、というのはなかなか登場してこなかったし、その後の消費者契約法改正の議論の中でも何度か取り上げられたように、適格消費者団体自身の財政状況や業務執行能力がなかなか覚束なかったこともあって、制度はまだ日の目を見ていなかったのだが、意外なところから「第1号」案件が出てきそうな気配になっている。

「東京医科大が女子受験生らを合格しにくくする入試不正をしていた問題で、特定適格消費者団体であるNPO法人消費者機構日本」(東京)は11日、消費者裁判手続き特例法に基づき、近く同大に受験料の返還を求めて東京地裁に提訴する方針を固めた。特例法は悪質商法などで被害に遭った消費者に代わり、国が認めた特定適格消費者団体が損害賠償を請求できるとした。2016年10月に施行され、同法人が提訴すれば初めてのケースとなる。」(日本経済新聞2018年12月12日付朝刊・第41面、強調筆者)

このテーマに関しては、そもそも入試において「完全に公平な選考を行う」ということが、受験生・大学間の契約内容になっているのか?(誰を合格させるかは、本来、募集する大学の裁量で決められるべきものではないのか?)*2、という問題もあって、そう簡単に特定適格消費者団体側の請求が認められることにはならないだろう、という気はしている。

ただ、これで“一番風呂”を免れることができる、ということになれば、どの企業もほっと安堵するのは間違いない。

そして、振り返れば、消費者契約法の違約金条項の規制に俄然注目が集まったのも、立法に関与した方々が適用場面として想定していなかった、とされる「大学」での「学納金返還」に係る最高裁判決がきっかけ、であった。

消費者訴訟に関して、節目節目でなぜか主役の座に躍り出る「大学」が、今回どこまで争う方針を立てるのか、現時点では想像もつかないが、今回は無関係で済みそうな当事者としては、この際、集団訴訟制度の合憲性(笑)から徹底的に争ってもらって、また歴史に残る判例を作り上げていただきたいものだ、と思わずにはいられないのである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20140114/1389715313参照。

*2:もちろん、人種、性別による差別的取扱い等、大学側の裁量が公序良俗に反するレベルのもの、と評価されれば別だが、その場合でも不利を受けた受験生との関係で個別的な主張立証が必要な面もあるように思われ、本当にこの“集団訴訟”のスキームに馴染むのか、という点では疑問なしとはしない。

「立場」も必要性も理解はできるのだけれど・・・。

東京地検による日産のカルロス・ゴーン元会長らの起訴、そして再逮捕。
捜査手法に対するグローバル級の批判が鳴り止まない中、会見に臨んだ東京地検次席検事のコメントが報じられている。

「適正な司法審査を経て再逮捕に至ったことを理解してほしい」日本経済新聞2018年12月11日付朝刊・第43面)

本件に限った話ではないが、今の状況で検察関係者がオフィシャルな会見に臨めば、こうコメントするほかない。
そして、組織の中で生きる者として、立場上「適正」と繰り返し言い続けなければいけない苦しさもよく分かる。

だが、20日の逮捕後勾留期間をフルに使った挙句、再びの身柄拘束を「同一罪名」、それも役員報酬の「直近3年分」の過少記載、という“微罪”で行わなければならない状況で、形式的な手続きの適正性をいくら強調しても説得力は乏しい。

巷の報道では「司法取引」がなされた、と言われているし、日産自身も捜査に対しては積極的に協力しているとも言われているのに、「役員報酬の虚偽記載」という入り口からまだ一歩も踏み出せていない理由がどこにあるのか、外野の人間には知る由もないのだが、これからの20日+αの間に、特別背任なり、所得税法違反なり、といった“本丸”の被疑事実で立件するメドまで付けておかないと、検察の立場がかなり苦しくなる、というのは、改めて言うまでもないだろう。

日本国内では、検察関係者やOBがメディアに入れ知恵をしたのか、批判的報道に続いて「日本は欧米に比べて捜査側で使える手法が限られているので、捜査段階の身柄拘束が長期化するのもやむを得ない」的な論調の記事がここにきて散見されるようになってきているが、そもそも逮捕後の勾留は、取り調べの便宜のために認められているものではないから、中途半端に検察を擁護したところで、後で恥をかくのがオチである。

長期間、国境を越えて経営トップの座に君臨した大物経営者、かつ、油断するとプライベートジェットであっという間に国外に転じてしまうリスクも強い被疑者であるがゆえに、逃亡、証拠隠滅を防ぐために勾留する、という大義名分は十分にあると思っているのだけれど、話をそこに持っていくための材料があまりに希薄、かつ強引すぎる、というのが自分の率直な印象である。

この後、さらに“余罪”での起訴までたどり着けるのか、それとも、今年のうちに捜査の区切りが付いてしまうのか。
捜査の進展とともに、より多くの人々が腑に落ちるような展開となり、更にそこに持ちこむまでの過程とロジックが明確になれば、何も言うことはないのだけれど、今の時点では、そうなりそうな雰囲気が全く伝わってこないのが何とも残念である。

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