自分は、ネット社会の美学を解しえない無粋な人間であるし、
2チャンネラーのような熱き魂も持っていない。
だが、ネット社会の住人が、
無名の楽曲と自分達のキャラクターが一つになって仕上がった、
「マイヤヒーフラッシュ」に大いなる思い入れを抱いていたであろうことは、
容易に想像できる。
だからこそ、エイベックス憎し、
という大きなウネリが生じているのだということも。
だが、繰り返しになるが、
「のまネコ」が「モナー」をはじめとするAAの著作権を侵害したものだ、
と主張するのは、やはり無理があると思う。
著作権法(に限らず知財法全般に言えることだが)は、
あらゆる模倣を禁止する法律ではない。
そして、単にコンセプトを盗用しただけでは、著作権侵害にはあたらない。
それはすなわち、法の下では、「インスパイア(笑)」*1も許容される、
ということを意味する。
後述するように、アスキーアートは紛れもない「著作物」であるが、
「のまネコ」に対して著作権侵害を主張するには、
両者の表現形式は離れすぎているように思える*2。
端的に言ってしまえば、
ネット住人達が「モナー」だと思っていたネコキャラクターが、
実は「モナー」ではなくて「のまネコ」という別キャラだったことに
気付くのが遅れたというところに、今回の騒動の悲劇性が隠されているのではないか*3。
「のまネコ」とアスキーアートが離れた存在である、と理解する限りにおいて、
アスキーアートが「のまネコ」の「著作権」に脅かされるおそれもなくなるわけだから、
長い目で見れば、ネット住民にとっても決して悪い話ではない。
割を食うとすれば、
今まで「モナー」だと思って「のまネコ」を使っていたFLASH職人達、
そして、自らが創作した力作を権利ごと「譲渡」してしまった「わた」氏、
ということになるだろうか。
「わた」氏と「有限会社ゼン」の契約の内容を知ることはできないが、
仮に翻案権を留保する余地すら残さずに権利を譲渡してしまったのだとすれば*4、
以後、「わた」氏は、「ゼン」の同意なくして
自由に「のまネコ」を使った作品を公表できない身の上になってしまうのである*5。
これまで仕事の中でも、
大資本の「罠」にかかるクリエイターをいろいろと見てきた。
純粋な創作意欲にあふれた人ほど、広告代理店やらその他の「ライツホルダー」
が仕掛けた「罠」にかかりやすい、というのは誠に嘆かわしい限りであるが、
それが世の現実でもある。
著作権侵害の要件事実
さて、それでは本題にうつる。
以下では、著作権侵害の要件事実を挙げつつ、
今回の「のまネコ」と「モナー」にあてはめを行っていくことにしたい*6。
訴訟において、著作権侵害の成否をめぐって争われる場合、
当事者は、概ね、以下のような要件事実について主張立証を行っていくことになる。
(1)原告が著作権者であること
①権利の客体が著作物であること/②原告の著作権取得原因事実
(2)被告が原告の著作権を侵害したこと
①原著作物に依拠したこと/②原著作物と同一性又は類似性を有すること/③法定の利用行為が行われたこと
(2)①の「依拠したこと」というのは、
本来重要な争点となりうる箇所ではあるが、
「のまネコ」側が「インスパイア(笑)」を自白している本件においては、
要件を満たすと考えて差し支えないだろう。
また、(2)③の「法定の利用行為」については、
ここでは「複製・翻案」行為を念頭において検討していくことになる。
「のまネコ」は「モナー」の著作権を侵害するか?
まず、(1)の要件について。
「アスキーアート」が著作権法上の著作物になるかどうか、
というのが一部で議論になっていたようだが、
ここはあっさり肯定して良いと思う。
「著作物性」が認められるためには、
①「思想又は感情の表現であること」、②「創作性があること」、
③「文芸・学術・美術・音楽の範囲に属すること」の三要件を満たす必要があると
されているが、
AAは言わずもがな、①「思想&感情」の表現物そのものであるし、
②単純な符号・記号の組み合わせとはいえ、出来上がった作品を見る限り、
「創作性」を否定する理由は見当たらない。
③の要件で弾かれるのは大量生産される工業製品くらいなので、
「AA」は問題なく要件を満たすと言って良い。
したがって、「モナー」には著作物性が認められる。
(1)の要件で問題となるとすれば、
誰が著作権者か、ということの方だろうか。
AAは、不特定多数のネットユーザーが、
無数のアレンジを加えていくことによって、作り出されるものであるから、
特定の個人を「著作権者」として定義することは難しい。
常識的には「不特定多数による共同著作物」ないし「X次的著作物」*7
と理解するのが素直だろうが、
そうなると、現実に著作権に基づく権利行使を行うことは困難になる*8。
(もっとも、ここでは、誰かしらが著作権を行使しうるという前提で考えていくが。)
次に、(2)の要件について。
先述したように、「依拠」要件は既に満たしているといえるので、
ここでは、「モナー」と「のまネコ」の間に、
「複製権(法21条)侵害」「翻案権(法27条)侵害」が成立するといえるだけの
類似性があるか、というのが、最大の争点になろう*9。
著作物侵害の成否の判断基準として、
「江差追分事件」として知られる最高裁平成13年6月28日判決が、
有名な規範を打ち立てているので、以下引用する*10。
言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。
つまり、著作権侵害にあたるかどうかは、
「新たに作られた著作物に接する者が、既存の著作物の表現上の本質的な特徴を
直接感じ取ることができるかどうか」という基準によって判断されることになる。
そして、これを本件にあてはめると、
「「のまネコ」に接した者がそれを見て「モナー」の本質的な特徴を
直接感じ取ることができるか」がポイント、ということになるのである。
ここは、非常に意見の分かれるところだとは思う。
おそらく、早い時期から「マイヤヒーフラッシュ」の一連の展開を見守っていた
ネット住人達の中には、「のまネコ」は「モナーそのもの」じゃないか、
という人も多いだろうし、
最近になって「客観的に」騒動を見ている外野の人間からすれば、
「別物じゃん?」という人も多いだろう。
だが、最終的な判断を下すのが、
最も客観的な「傍観者」たる裁判官であることを考えると、
後者の結論に傾く可能性は高いと思われる。
私見では、静的かつ平面的「芸術作品」としてのAAと、
動的かつキャラクターとしての「立体感」を備えたFLASHのキャラクターの間には、
「本質的な特徴」を切断しうるだけの距離があると思っている。
FLASHの中で踊る「のまネコ」には、「モナー」とは異なる表情があるし雰囲気もある。
ネコの個々のパーツを細かく見ていけば、
ところどころ同じところ、似ているところというのも出てくるが、
先の最高裁判決は次のような規範も打ち立てている。
著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照),既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのが相当である。
アスキーアートに描かれる目とか鼻といった個々のパーツは、
単純な文字、記号の組み合わせによってできた単調な造作に過ぎない*11。
そして、AAの著作物としての「創作性」は、個々のパーツではなく、
パーツの集合体としての全体の「雰囲気」にあると考えるのが妥当であろう。
だとすれば、ネコの個々のパーツが似ている、というだけでは、
著作権侵害を肯定するのは困難であると思われるのである*12
また、ネット上では「著作者人格権」を持ち出した議論もなされているようだが、
著作物としての同一性・類似性が否定されるのであれば、
原則として、「著作者人格権侵害」が成立する余地もない。
「モナー」は「のまネコ」の著作権を侵害するか?
上で類似性を否定した以上、あまり議論する実益はないのだが、
一応、この論点についても検討する。
まず、「のまネコ」誕生前からネット上で使われていた
「モナー」のAAについては、(2)①「原著作物に依拠したこと」という要件を
満たさないので、著作権侵害にあたることはない。
一方、「のまネコ」誕生後にネット上で「モナー」のAAが使われた場合、
「依拠」の要件を満たすことはありうるだろう*13。
もっとも、先述したように、
(2)②「原著作物と同一性又は類似性を有すること」という要件を満たす可能性は
低いため、この場合にも、著作権侵害が認められる確率は低いといえるだろう。
もっとも、批判AA、パロディAAを精巧に作れば作るほど、
著作権侵害に近づいていく、というジレンマはあるが。
なお、「わた」さんが「有限会社ゼン」にFLASHに関する著作権を譲渡した以上、
これまでネット上に出回っていた「マイヤヒーフラッシュ」を
現在の権利者に無断でネット配信したり、サーバーにアップロードする行為は、
著作権侵害にあたることになる*14。
いわゆる「まとめサイト」が閉鎖に追い込まれる一因として、
このような法的根拠に基づくプロバイダーへのプレッシャー(ないし自主規制)が
あるものと想像されるが、
今回の騒動は、著作権問題を考える上で非常に有意義な「生きた教材」なのだから、
日頃から著作権に関する「啓発」に熱心なエイベックス社としては、
もぐら叩きにうつつを抜かすことなく、この教材の有効活用(=放置)に
努めていただきたいものである。
まとめ
とりあえず、一連の「のまネコ」問題に関する現在の自分の見解は、
ここ1、2日のエントリーに載せたところに尽きる*15。
おそらく、この問題の本質は、
著作権がどうか、とか商標権がどうか、といったことではなくて、
ネット上の「無垢なコミュニティ」が生み出した文化に対する
コンテンツビジネス事業者側の「姿勢」にあると思われるので、
くどくどと法律論を展開することに、大した意義はないのかもしれないけど、
一応、話のネタにでも使っていただければ、筆者としては望外の幸いである。
なお、ここ何日か「資料映像」を繰り返し見聞きしたせいで、
「マイアハッハー」が頭に染み付いて離れない・・・。
*1:元々、「インスパイヤ」と表記していたようだが、(笑)(笑)(笑)である。
*2:FLASHが世に登場するまでの一連のプロセスについて詳しく理解しているわけではないので深くは言及しないが、今回の件でむしろ問題なのは、「空耳」の歌詞の「オリジナリティ」なのではないだろうか。仮に、ネット上での書き込みを積み上げていく過程で「空耳」に何らかのアレンジが加わって、「マイアヒフラッシュ」に反映されているのだとしたら、そこには大きな問題があると思われるのだが。
*3:逆に言えば、そこにいち早く気付いたのがエイベックスであり、商品化に参画している各企業だった、ということになる。
*5:それ以上に、今新たな作品を公表することなど不可能に近いのであろうが。
*6:なお、要件事実に関しては、牧野利秋=飯村敏明編『新・裁判実務体系22/著作権関係訴訟法』54頁以下(青林書院、2004年)/瀬戸さやか「著作権侵害を理由とする差止請求及び損害賠償請求の要件事実」を参照している。
*7:Xは無限大に近い・・・
*8:共有著作権はその共有者全員の合意がなければ行使できない(法65条2項、著作者人格権についても法64条1項)。もっとも、AAが発達しているサイトの運営ルール如何によっては、サイト管理者が単独で権利行使することも可能になるかもしれない。二次的著作物に関する規律もいろいろと面倒なのだが、ここでは省略。
*9:「複製権」と「翻案権」は異なる条文で規定されているが、両者を区別して議論する実益はほとんどないといわれており((田村善之『著作権法概説〔第2版〕(有斐閣、2001年)』117頁)、ここでもそのような冗長な議論はしない。実務上も、著作物と「同一」なら「複製」、「類似」のレベルにとどまるなら「翻案」と説明することが多い。感情論はさておき、客観的に見れば「のまネコ」が「モナー」と同一、ということは不可能だと思うので、ここでは「類似性」に関する検討のみを行う。
*10:ちなみに、この事件は、NHKが製作したドキュメンタリー番組が、原告(被上告人)の著作物の翻案権を侵害したとして争われたもので、高裁までは負けていたNHKが、最高裁で辛うじて著作権侵害の法的責任を免れた(破棄自判)というものである。判決では「本件番組は,本件著作物を参考文献の一つとし,これに依拠して製作されたが,本件番組においてその言及はない。」という事実関係が認定されており、これも「インスパイア(笑)」の一事例といえるだろう。
*11:当然ながら、これはあくまで「著作物」としてのAAに対する感想であって、創作者の労力そのものを否定するわけではない。
*12:なお、上記最高裁判決でも、「本件ナレーションは,本件著作物に依拠して創作されたものであるが,本件プロローグと同一性を有する部分は,表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分であって,本件ナレーションの表現から本件プロローグの表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないから,本件プロローグを翻案したものとはいえない。」として、著作権侵害を否定している。訴訟に現れている資料を見る限り、事案としては、結構きわどい争いのようにも思われるのだが、このあたりが著作権の限界ということになるのだろう。
*13:特に、今回の騒動を批判して、「のまネコ」パロディAAを作ったような場合には、依拠は認められることになる。
*14:公衆送信化権、送信可能化権(以上、法23条)侵害ということになる。
*15:不競法に関する検討など、始めればキリがないが・・・。