「規約」の著作権侵害が認められてしまった驚くべき事例。

著作権法」を勉強し始めると、一番最初の「著作物性」の章に必ず出てきて、法務系の人間に大きなインパクトを与えるのが、

「『契約書』は著作権では保護されない」

というくだりである。

中山信弘東大名誉教授の『著作権法』(有斐閣、2007年)においても、「思想・感情の範囲から漏れるもの」として、「事実それ自体」や「雑報・時事の報道」と並んで「契約書案等」を取りあげており、以下のような記述で、「なぜ契約書が著作権で保護されないのか」ということが説明されている。

「これらは・・・人為的に作成されたものであるため、何がしかの『人の考えや気持ち』が現れているとも言えよう。ただ、人為的とはいっても、業務において通常用いられるものを通常の表現で用いたにすぎない場合が多く、その記載事項は、法令や慣行に規制されているもの、利便性という観点から業務を遂行する上で通常用いられるもの、あるいは用いざるをえないものも多い。そのために、そのような証券、契約書案、ブランク・フォーマット等は大同小異のものとならざるをえないことも多く、たまたま最初に作成した者に長期間の独占を認めることの弊害は大きく、著作物性を否定すべき場合も多い。その理論構成としては、そのようなものには、規範的意味での「思想・感情:が現れていないと解釈することもできようし、また選択の幅が狭いために創作性の問題として処理することも可能である。」(前掲『著作権法』40〜41頁、強調筆者、以下同じ。)

随所に中山教授らしい慎重な言い回しが用いられており、著作物性が認められる余地も否定していない(後述)、という点で、著作物性をバッサリと否定した東京地裁昭和62年5月14日判決*1などに比べるとインパクトは少し和らいでいるが、それでも「契約書」が、「独占を認めることの弊害が大きいものについては著作物性を否定すべき」という、現在の著作権法解釈の根底にある考え方を体現した素材として位置づけられていることは、間違いないところである。

ところが、そんな中、いわゆる「約款」として、当事者間の契約内容を規定する、と考えられている取引の「規約」について、正面から著作物性を肯定し、著作権侵害を認める、という驚くべき判決が最高裁のHPにアップされた。

判決の読み方如何によっては、今後の約款、利用規約等の実務にも大きな影響を与えうると思われるこの判決を、以下では紹介し、若干の検討を試みることにしたい。

東京地判平成26年7月30日(H25(ワ)第28434号)*2

原告:千年堂株式会社
被告:株式会社K.S.G.コンサルティング

この事件は、「千年堂」という屋号で時計修理サービス業を営む原告*3が、「銀座櫻風堂」という屋号で、同じく時計修理サービス業を営む被告*4に対し、

「被告が銀座櫻風堂のウェブサイトに掲載した文言(修理規約を含む)及びトップバナー画像を作成し、ウェブサイトを構成したことは、原告の管理する千年堂のウェブサイトの文言等を複製又は翻案したものであって、原告の著作権を侵害した」

として、損害賠償金1000万円の支払いを求めるとともに、被告ウェブサイトに掲載された文言等のサイト上での使用の禁止を求めて訴訟を提起した、というものである。

ホームページにアップされた判決文の当事者の表示を見る限り、原告、被告ともに代理人は立てておらず、争いの本質も、純粋な著作権侵害事件、というよりは、先発、後発の同業者間の争いが著作権紛争に姿を変えて法廷に現れた・・・と評価すべきものであるように思われる。

当然のことながら、要約された当事者の主張もいたってシンプル。

そして、この種の事件の判決としては王道の、

「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー事件最判」(最一小判昭和53年9月7日)*5+「江差追分事件最判」(最一小判平成13年6月28日)*6

という最強コンボから始まった本判決が、「ウェブサイト文言」について、「表現それ自体ではない部分か表現上の創作性のない部分において共通点を有するにすぎない」(10頁)とし、「トップバナー画像」についても「表現上創作性のない部分において共通点を有するにすぎない」、「原告トップバナー画像を全体として創作的な表現と認めるべきであるとしても、「同一又は実質的に同一であるとは認められないし、被告トップバナー画像から原告トップバナー画像の本質的な特徴を直接感得することができるということもできない」(11頁)として、原告の主張をいずれも退けた時点で、勝負はほぼ決したはずであった。

ところが、これに続く「原告規約文言について」という項(11頁以下)で、判旨は思わぬ展開を見せる。

「修理規約」の著作物性を認めた判旨

まず、判決は、原告が比較の対象としたと思われる「原告文言1ないし59」と「被告文言1ないし59」を対比した上で、

「共通する部分は、これらを個別にみる限り、別紙6に記載のとおり、他に適当な表現手段のない思想、感情若しくはアイデア、事実そのものであるか、あるいは、ありふれた表現にすぎないものというべきであって、直ちに創作的な表現と認めることは困難というべきである」(11頁)

と述べる*7

そして、ここまでは、何の違和感も抱くことなく、普通に読み流すことができた。

だが、これに続き、判決が、(イ)で「原告規約文言全体の著作物性」に言及し始めたところから、一気に流れが変わり始める。

「一般に,修理規約とは,修理受注者が,修理を受注するに際し,あらかじめ修理依頼者との間で取り決めておきたいと考える事項を「規約」,すなわち条文や箇条書きのような形式で文章化したものと考えられるところ,規約としての性質上,取り決める事項は,ある程度一般化,定型化されたものであって,これを表現しようとすれば,一般的な表現,定型的な表現になることが多いと解される。このため,その表現方法はおのずと限られたものとなるというべきであって,通常の規約であれば,ありふれた表現として著作物性は否定される場合が多いと考えられる。
しかしながら,規約であることから,当然に著作物性がないと断ずることは相当ではなく,その規約の表現に全体として作成者の個性が表れているような特別な場合には,当該規約全体について,これを創作的な表現と認め,著作物として保護すべき場合もあり得るものと解するのが相当というべきである。」(12頁)

この点については、前記・中山名誉教授の解説においても、「契約書案等の著作物性は一律に否定されるものというものではなく、かなりの程度独創的な表現を用いて創作したものもあり、独占による弊害の少ない場合には著作物性が認められることもありうる。」(前掲『著作権法』41頁)と書かれていたりするから、一般論としては理解できなくもない。

しかし、本判決が凄いのは、続くあてはめの部分である。

「これを本件についてみるに,原告規約文言は,疑義が生じないよう同一の事項を多面的な角度から繰り返し記述するなどしている点(例えば,腐食や損壊の場合に保証できないことがあることを重ねて規定した箇所がみられる原告規約文言4と同7,浸水の場合には有償修理となることを重ねて規定した箇所が見られる原告規約文言5の1の部分と同54,修理に当たっては時計の誤差を日差±15秒以内を基準とするが,±15秒以内にならない場合もあり,その場合も責任を負わないことについて重ねて規定した箇所がみられる原告規約文言17と同44など)において,原告の個性が表れていると認められ,その限りで特徴的な表現がされているというべきであるから,「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号),すなわち著作物と認めるのが相当というべきである。」
「そして,被告規約文言全体についてみると,見出しの項目,各項目に掲げられた表現,記載順序などは,すべて原告規約文言と同一であるか,実質的に同一であると認められる(表現上異なる点として,原告規約文言の「当社」が被告規約文言では「当店」にすべて置き換えられている点,助詞の使い方の違い,記載順序を一部入れ替えている箇所(別紙4
の番号5,38),表現をまとめている箇所(同別紙の番号36),「千年堂オリジナル超音波洗浄」「千年堂オリジナルクリーニング」を「銀座櫻風堂オリジナル超音波洗浄」「銀座櫻風堂オリジナルクリーニング」としている箇所(同別紙の番号50,52)などがあるが,これらは,極めて些細な相違点にすぎず,全体として実質的に同一と解するのが相当である。また,原告規約文言と被告規約文言の相違点が上記のとおりであることは,被告が,原告規約文言に依拠して,被告規約文言を作成したことを強く推認させる事情というべきである。)。したがって,被告は,被告規約文言を作成したことにより,原告規約文言を複製したものというべきである。」(12〜13頁)

「同一の事項を多面的な角度から繰り返し記述する」というのは、この種の「規約」では決して珍しいことではなく、特に事業者側の免責に関わるような事項については、表から裏から、かなり念入りに書く、というのが、一般的な実務だと思うのだが、本判決によると、そこが「著作物性を認めるためのキモ」と言われているのだから、これは驚いた、というほかない。

本件では、一見すると「規約」の著作権侵害よりもはるかに筋が良さそうな、「サイト構成」の編集著作物としての複製権、翻案権侵害も否定されている*8から、著作権侵害が肯定されたのは、唯一「規約文言」についてのみである。

そして、これにより、原告は、損害賠償金5万円の支払い、及び、被告規約文言の使用差し止めの範囲において、「一部勝訴」の判決を得ることになったのである。

本判決に対する率直な印象

さて、決して“飛び抜けている”とは言えない「規約文言」の表現について著作物性を認め、著作権侵害まで肯定した、という本判決を、どのように理解すべきだろうか。

まず言えることがあるとすれば、本件は、後発事業者である被告が、ビジネスモデルも含めて原告のやり方をそのまま真似ようとしていた事例であるように思われ、そういったやり方を戒めるために、あえて原告を(わずかにでも)勝たせた、そしてそのために他の対比物と比べて比較的ボリュームのある「修理規約」を使ったのではないか、ということ。

以前なら、著作権侵害を全部否定しまったうえで、一般不法行為に基づき原告に華を持たせる、ということも考えられたのだろうが、北朝鮮映画事件最判*9以降、著作権侵害を否定しながらも一般不法行為で請求を一部認容する、ということは、かなりしづらくなっているのだろうから、ちょっとだけだけでも被告側をひっかけて・・・というのが、少々透けて見える。

また、そもそも被告側に訴訟代理人が付いていないことから、本来行うべき反論ができていなかった、という可能性もあるだろうし、逆に、原告の損害賠償請求を認めたとはいえ、当初の請求額(1000万円)の200分の1での決着となっていることを考えると、裁判所も(侵害は一応認めたものの)、実質面ではバランスを取るつもりだった、と考えることもできる。

いずれにしても「市場で競合する後発事業者が、サイトを丸ごと模倣した」本事例における上記のような判断を、過剰に受け止めるのは適切ではない、と自分は思っている。

ただ、そうはいっても、「東京地裁知財部」で、「規約」に関する著作物性がまともに肯定され、侵害が認められた、という事実にかわりはない。

そうでなくても神経を使う、BtoC取引における「規約」の作り込み、という場面で、さらに神経をとがらせるところが一つ増えてしまう、というのは、実務サイドにとっても決して歓迎できることではないので*10、できれば知財高裁まで挙げて、再度の判断を求めたい、という思いは強いのだが、果たしてそこまで期待できるのかどうか・・・。

今は、慌てず、騒がずの精神で、しばらくの間は、様子を見守ることにしたいと考えている。。

*1:田村善之教授は、この判決を「表現の選択肢が少ないために創作性が認められない事例として正当化することができよう」と評している。田村善之『著作権法概説[第2版]』(有斐閣、2001年)21頁・脚注4。

*2:第29部・嶋末和秀裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/445/084445_hanrei.pdf

*3:ホームページは、http://sennendo-inc.com/参照。なお「最新情報」の欄に本件訴訟の結果についても掲載されている。

*4:ホームページは、http://www.ohfudo.com/

*5:本判決でも、「一般に、著作物の複製とは、既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいう」と述べた上で、「複製」と「翻案」の定義について説示している。

*6:本判決でも、「既存の著作物に依拠して作成された対象物件が思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体ではない部分又は表現上創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,当該対象物件の作成は,複製にも翻案にも当たらないものと解するのが相当である」としたうえで、「創作的」に表現された、というための条件について述べている。

*7:残念ながら、最高裁HPには、原告・被告双方の規約の対比が示されていないし、それ以外のトップバナー画像等についても掲載されていないため、残念ながらこれ以上掘り下げることは難しい。

*8:判決で挙げられた対比を見る限り、トップ画像からの流れや、項目の配置、末尾に送信用フォームを配置していることなど、原告、被告両サイトの共通点は多いのであるが、判決は、これらの共通点について、「原告ウェブサイトは,時計修理を考えている一般消費者向けの広告用のウェブサイトであり,原告のサービス(業務)内容について基本的な説明をする必要があり,広告の対象となるサービスを分かりやすく説明するため,平易で簡潔な表現を用い,項目ごとに見出しを付し,サービスの内容はどのようなものか,他社との違いやアピールポイントなどを原告サイト構成のような順序や表現方法で記載することは広く一般的に行われているものであり,最下部にある無料見積もりを希望する場合のメール送信用のフォーム画面に移動するボタンを途中に設けて,後に掲げる部分を読まなくても顧客を誘導する方法についても一般的に行われている手法であって(乙3参照),創作的な表現とはいえない。」(16頁)と、あっさり創作性を否定している。

*9:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20111208/1323712744参照。

*10:作成者=著作権者から見てもそうなのか?、という指摘はありうるだろうが、どんな会社でも、常に他のライバル会社に先駆けて「規約」を作れる立場にあるわけではないこと、さらに、「規約」が著作権で保護されたところで、作成者にとってのメリットはそんなに大きいとは言えないこと(多くの会社は、第三者との関係で、単に「規約」だけが類似しているからといって、それを排除しようとする動機自体がほとんどないように思う)から、「規約」に強い保護を与えることについては、首をかしげる者の方が多いように思えてならない。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html