環境保護と特許権

インクカートリッジ事件をネタにもう一つ。


この事件では、被告(被控訴人)側から、
「循環型社会の形成」という極めて高度な政策的見地からの主張がなされており、
資源の有効な利用の促進に関する法律(リサイクル促進法)」が引用されたり、
原告・被告双方が自己の「リサイクルに対する取り組み」をめぐって
応酬したりするなど、
特許法の世界とは微妙に距離を置いた、
独特の“政治的訴訟”的要素を見て取ることができる。


本件の被告側代理人である上山、西本両弁護士が、
米国の判決状況と比較しつつ、日本における「リサイクル製品市場」確立の必要性
(そしてそのための下級審判例変更の必要性)を提言した論文*1
NBLに掲載されるなど、“場外戦”もかなり活発に行われていた。


原審では、この点について明確な判断は示されなかったが、
消尽の成否を決するための「生産」該当性を判断するにあたり、

「本件インクタンク本体は,もともとゴミとして廃棄されている割合が高かったが,環境保護及び経費削減の観点から,リサイクルされた安価なインクタンクへの指向が高まり,近年では,被告製品のような再充填品を売る業者の数が多くなり,平成16年4月に行われたアンケート調査結果によると,リサイクルインクカートリッジを現在利用している割合だけでも,8.8%に達している。そして,リサイクルされた安価なインクタンクへの指向は,今後更に高まることが予想される。」

という事実を「取引の実情」として認定しており、
このことが消尽を肯定する結論に影響を与えたことは、容易に想像できる。


「使い捨てカメラ」に関する平成12年の東京地裁判決が、
「リサイクル活動を禁じることは権利濫用にあたる」
という被告側の主張に対し、

「確かに原告自身による原告製品のリサイクルシステムが整備されていない場合には、被告らの行為は、資源の再利用及び廃棄物の減量化という観点から社会的に評価し得るものである。」

と一定の理解を示しつつも、

「しかし、右の点を考慮しても、被告らによる被告製品の販売等の行為に対して、原告が本件諸権利を行使することが権利の濫用として許されないと解することはできない。」

と排斥したことに比べると、
上記東京地裁判決は、
「リサイクルの抗弁」の地位をより高めたかのように思われた*2


本判決でも、「第一類型」該当性*3の判断にあたっては、
「インクタンク再使用の意義」を強調する被控訴人側の戦略が
一定の成果を挙げたといえる*4


だが、「第二類型」該当性を肯定し、
消尽の成立を結果として否定した知財高裁の前では、
この戦略も、被控訴人に勝利をもたらすまでには至らなかった。


知財高裁は、

特許法は,発明をしてこれを公開した者に特許権を付与し,その発明を実施する権利を専有させるものであるから,上記のような発明につき特許権が付与されたときは,第三者は,特許権者の許諾を受けない限り,特許発明に係る製品の再使用や再生利用しやすい資材の製造,販売等をすることができないという意味において,環境保全の理念に反する面もあるといわざるを得ない(仮に,常に環境保全の理念を優先させ,上記のような場合に第三者が自由に特許発明を実施することができると解するとすれば,短期的には,製品の再使用等が促進されるとしても,長期的にみると,新たな技術開発への意欲や投資を阻害することにもなりかねない。)。そうすると,たとえ,特許権の行使を認めることによって環境保全の理念に反する結果が生ずる場合があるとしても,そのことから直ちに,当該特許権の行使が権利の濫用等に当たるとして否定されるべきいわれはないと解すべきである。」

として、「リサイクルの抗弁」による特許権行使の制限に
ワン・クッション置く姿勢を見せた。


そしてさらに、被控訴人側のみならず控訴人側も、

「使用済みの控訴人製品の回収に協力するよう呼び掛け」
「現に相当量の使用済み品を回収し、分別した上で」
「セメント製造工程における熱源として、主燃料である石炭の一部を代替する補助燃料に使用し、燃えかすはセメントの原材料に混ぜて使用している」

という取り組みを行っていたことを認定して、

「本件の事実関係の下では、被控訴人の行為のみが環境保全の理念に合致し、リサイクル品である被控訴人製品の輸入、販売等の差止めを求める控訴人の行為が環境保全の理念に反するということはできない」

と結論付けたのである。


もしかすると、論者の中には、
「環境に優しくない知財高裁」などという評価を下そうとするものが
出てくるのかもしれない。


だが、いかに特許権の効力が“政策的に”決せられるべきものだとしても、
「循環型社会の形成」といった政策実現のために
“侵害者”を勝たせるのは、あまりスジの良い話とはいえない*5


その意味では、この点に関する知財高裁の判断も概ね妥当なもの、
と考えてよいのではないかと思う。


ちなみに、知財高裁は、もう一つの「政策の華」であった
「控訴人のビジネスモデルの不当性」についても
立証不十分等を理由に被控訴人側の反論を退けており*6
「これらの主張が権利の濫用等をいう趣旨のものであるとしても」
といった判決文中の表現などからは、
これらの“政策的主張”に対する知財高裁の“冷淡さ”も
垣間見ることができるような気がする。


環境保護特許権」という深遠なるテーマ。
考えることの意義は確かに大きいが、
仮にその問題について判断を下すことが求められたとしても、
それは裁判所ではなく国会の役割である、
知財高裁は、そう言いたかったのかもしれない。

*1:上山浩=西本強「特許製品のリサイクルと特許権侵害の成否」NBL810号21-22頁(2005年)。

*2:もっとも、裁判所は続いて、原告が「原告製品についてリサイクルシステムを構築・運営し」「新たに原告製品を製造するための資源として再利用していること」も認定しており、法的評価の問題だったのか、事実認定の問題だったのかは定かではない。

*3:詳細については、前日のエントリー参照のこと。

*4:裁判所は、「循環型社会」の意義について論じた上で、「インクタンクの利用が1回に限られる旨の認識が社会的に強固な共通認識として形成されている」とした控訴人側の主張を排斥した。

*5:更に言えば、被告側がどこまで本気で“リサイクル”の重要性を説いていたかさえ分からない。本件のように、特許法を正面から適用すると敗訴する可能性の高い被告側としては、「消尽理論」といった理論武装のみならず、“リサイクル”の論点等も道具として駆使することが義務づけられていたようにも思われるのである。それが分かっていたからこそ、知財高裁としても、消尽の成否の判断においてはともかく、「権利濫用」判断の場面でその“道具”を過剰評価することに二の足を踏んだのではあるまいか。

*6:新聞記事等を証拠として出しても「純正品のインクタンクが不当に高いことを客観的に裏付ける証拠は見当たらない」とされてしまうのであれば、相手方の金庫の中まで覗くことのできない訴訟当事者としては、いささか酷な気もするのだが・・・。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html