“緻密”すぎる判決

ここしばらく法律ネタから逃避していたことに反省し、
久々に判例に関する記事でも書いてみようかと思い立つ。


知財高判平成18年1月31日*1
いわずと知れたインクカートリッジリサイクル事件の控訴審判決である。


原審判決*2が原告特許権の権利消尽を認め、
特許権侵害の成立を否定したのに対し、
本判決では正反対の結論が出たことで、メディアにも多く取り上げられている。


原審判決と本判決の違いを論じるためには、
「当事者の表記が「キャノン」から「キヤノン」に変わった」*3
「原告代理人の数が3倍以上に増えた」*4
といった微笑ましい点を指摘するだけでは足りず、
『消尽理論』の限界について、裁判所がどのような判断を下したのかを
丁寧に見ていく必要があるだろうが、
そのような検討を行うことは、自分の能力の限界を超えるといわざるを得ない。


何といっても、今回の知財高裁の判決は
第一審の判決に比べて非常に“緻密”に書かれているだけに、
揚げ足取り的な突っ込みをするのも難しい。


本判決は、知財高裁が、
学界でも未だ決着が付いていない理論的難題に挑むにあたって、
「○○について判断していない」「○○の観点からの検討が不十分だ」
という批判を後々受けないよう、大合議法廷の威信をかけて、
考えうるあらゆる論点に「答え」を出そうとした判決である、
といえるようにも思われるのである*5


それだけに、プロの先生方にとって見れば、
真っ向から議論を展開するもってこいの素材、ということになるだろうが、
素人にとっては、なかなか突っ込みどころが難しいものになっている。


だが、そんな判決にも、一応の“突っ込みどころ”は存在する。


知財高裁は、特許権消尽の有無を判断するにあたり、
いわゆる「生産アプローチ」*6と、「消尽アプローチ」*7を並列する、
という荒業を用いた。


すなわち、本判決では、

(ア)当該特許製品が製品としての本来の耐用期間を経過してその効用を終えた後に再使用又は再生利用がされた場合(第1類型)*8
または
(イ) 当該特許製品につき第三者により特許製品中の特許発明の本質的部分を構成する部材の全部又は一部につき加工又は交換がされた場合(第2類型)*9

という2つの類型を打ち出した上で、
これらの類型に該当する場合には「特許権が消尽しない」としたのである*10


このような考え方は、
既に使い捨てカメラに関する東京地裁判決*11にも現れており、
決して真新しいものとはいえない*12


だが、上記東京地裁判決、
そしてそこで採用されていた考え方(特に「消尽アプローチ」)は、

「「消尽」したはずの権利の効力が再び甦るという発想は、「消尽」すなわち消え尽きてしまうという概念自体に対しての違和感を拭うことができない」*13
「用尽で考えて使用に止まる場合でも侵害を肯定する余地を認める発想を採用する場合には、「社会通念」という媒介項を入れたとしても、不明確な判断が残る」*14

といった批判を受けていたところであり*15

「「消尽アプローチ」の意義は、特許製品の変形行為が「生産」と評価できない場合にも、社会通念上想定され得る範囲を超えたものについては権利行使の余地を認めるという点にある」*16

として、「消尽アプローチ」に一定の評価を与えている論者にしても、
「生産アプローチ」と「消尽アプローチ」が「または」で並列されることになるとは、
思っていなかったのではないだろうか*17


本判決では、2つの類型の定立を正当化する理由として、
極めて充実した「解説」がなされており*18
一見磐石な規範がここに打ち立てられたかのように思える。


だが、本件が上告されたとしても、
すんなりと今回の判決の規範が承認されるとは限らないし、
学説が一点に収斂していくとも思えない。


一見緻密に見える理論構成でも、
異なる角度から攻めれば一気に覆される危険性を秘めているのであって、
これが『消尽理論』の終着駅、と考えるのは早計だろう。
むしろ本判決は、これからの華々しい議論に向けての“土俵を設定した”もの、
と評価するのが妥当であるように思われる*19


なお、ここから先の議論は、一市民として微笑ましく見守るほかないのだが、
試験対策の観点からすれば、本判決のような“緻密すぎる規範”を
消尽成否の判断基準として暗記させられる受験生が気の毒なので、
今後実質的に今回の判断を維持するにしても、
せめて最高裁にはもう少し、圧縮した規範の定立を望みたいものである(笑)。


(追記)
>lxngdh様
どうやら、長らくお待たせしてしまっていたようです(笑)。失礼いたしました。
http://d.hatena.ne.jp/lxngdh/20060204
評釈の方も拝読しましたが、大変勉強になりました。
ありがとうございました。

*1:http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/d36216086504bdc349256fce00275162/3f833955b41d23f64925710700290024?OpenDocument

*2:東京地判平成16年12月8日・http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/Listview01/105F62E28F7A41434925701B000BA3A3/?OpenDocument

*3:もちろん「キヤノン」の方が正当(笑)。

*4:この点については、過去のエントリーをご参照のこと。

*5:もちろん、これは両当事者の緻密な主張・反論の組み立てによるところも大きいのだろうが、後述する「2つの類型」の一つについて該当性判断を行えば足りるところを、あえて2類型それぞれについて判断を加えたり、本来判断が不要なはずの「争点2」(後述)について「事案にかんがみ」て判断を行ったり、侵害訴訟の“本来の姿”というべきクレーム解釈に多くの紙幅を割いているあたりに、本判決の徹底ぶりを見ることができる。

*6:「特許製品の変形行為が新たな特許製品の「生産」と評価し得るかどうか」を基準として権利消尽の有無を決しようとするもの。

*7:「当該特許製品の変形行為が社会通念上想定しうる「使用」の範囲に属するかどうか」を基準として、権利消尽の有無を決しようとするもの。以上は、横山久芳助教授の「特許製品に対する変形行為と特許権侵害」(62事件解説)別冊ジュリスト170号130-131頁(有斐閣、2004年)による。

*8:「消尽アプローチ」により馴染むものである。

*9:「生産アプローチ」により馴染むものである。

*10:その上で、本件では、「インクの再充填」行為は「第1類型には該当しない」が、「被控訴人製品は、控訴人製品中の本件発明1の特許請求の範囲に記載された部材につき丙会社により加工又は交換がされたものであるところ、この部材は本件発明1の本質的部分を構成する部材の一部に当たる」から、「第2類型に該当する」として消尽を否定し、控訴人側の請求を認めた。

*11:東京地判平成12年8月31日・http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/Listview01/88C8356493D3CA4D49256A77000EC3DF/?OpenDocument、この時の裁判長は、今回大合議メンバーに入っている三村量一裁判官である。

*12:もっとも使い捨てカメラ事件では、主に第1類型に該当することをもって消尽を否定したため、第2類型の検討が必ずしも十分ではなかった(意匠権の消尽成否に関して雑駁なあてはめが行われた程度であった)のに対し、本件では、第2類型への該当性も大きな問題になったため、「本質的部分」の意義について更に深く掘り下げた考察が行われている(そして、あてはめの段階で徹底したクレーム解釈が行われている)、という違いはある。

*13:滝井朋子「使い捨て製品と特許権の効力」(61事件解説)別冊ジュリ170号129頁。

*14:田村善之「修理や部品の取替えと特許権侵害の成否」知的財産法政策学研究6号37頁。

*15:これらの論者は、主として「生産アプローチ」の徹底を志向しているように思われる。

*16:横山・前掲131頁。

*17:あくまで「生産アプローチ」の弊害を補完するためのものとして、「消尽アプローチ」を捉えていたように思われる。

*18:もっともそこで述べられている理由付けの多くは、平成12年の東京地裁判決でも示されたものなのであるが・・・。

*19:これまでは、平成12年東京地判についても、「「生産」と「修繕」との限界」の問題として整理しようとする見解もみられた(滝井・前掲129頁)。

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