裁判所の「親心」?

青色LED事件の高裁和解決着を境に、
職務発明をめぐる“騒動”にもひと段落ついた感があるのだが、
ニュースにならないところで、
またしても“野心的な”判決が登場している。


東京地判平成18年1月26日(民事第46部・設楽裁判長)*1


この事件の結論だけ見ると、
原告が「発明者」にあたらない、という認定の下で
原告の請求が棄却された(請求額は1億円)、という
何の変哲もない事件のように見える*2


だが、プリントアウトするとA4・89ページにもわたるこの判決、
ただ長いだけではない*3


注目すべき点の一点目。


まず、出願時から登録時まで特許請求の範囲が減縮された場合の
発明者の認定と寄与率の認定について説かれた以下の説示。

「③特許法35条4項は,「その発明により・・・受けるべき利益の額」と規定しているのであるから,上記「利益」には,発明が特許登録される前から当該発明により生じた実施料等の登録後の法的独占権に由来する利益も含まれるものであり,特許登録後に特許発明により生じた法的独占権による利益のみに限定する必要はない,そのため,出願時から登録時までの間に特許請求の範囲について補正等による大幅な減縮がある場合には,発明者の認定と共同発明者間の発明に対する寄与率の認定に変動が生じることがあり得るから,必要に応じ,その出願時ないし出願公開時の請求項と登録時の請求項(訂正があれば訂正後の請求項)毎に発明者の認定と共同発明者間の寄与率の認定をすべきである。」(太線筆者)

本件では、争われた特許の中に、
特許出願後に「29あった請求項が1に減縮されたもの」が存在したため、
このような論点が出てきている。


確かに、ライセンス収入等があったと仮定した場合に、
通常その収入の基礎となっているのは、あくまで「査定を受けた特許」であって、
出願された当時の「発明」そのものではないから、
上記のような考え方は、理屈の上では正しいように見える。


だが、実務の観点から言えば、上記のような発想は煩雑さを招くだけである。


現実には特許査定前でも「ライセンス収入」を得ることはあるのだが、
上記のような考え方を貫くなら、この場合、
特許が補正されるのにあわせて発明者の寄与度も変動させなければいけない
ということになりそうだし、
登録後の実施実績だけを勘案すればよい場合でも、
出願の段階で定められた発明者の「寄与率」(持ち分)を
登録査定を受けて見直さなければならないとしたら、
それはあまりに煩雑な作業となろう。


本件はあくまで訴訟だから、使用者側としては、
発明者の言い分を否定するためにどんな手でも使うのは当然のことなのだが、
後述するように、本件では「原告が発明者にあたらない」ゆえに
請求を棄却できる事案なのだから、
あえて上記のような判示を行う必要があったのか、疑問の残るところである*4


二点目。


本件で争われている26件の発明のうち、8件を除いては、
拒絶査定の確定や審査請求を行わなかったことによる取り下げにより、
特許登録に至っていない。


そこで、このような発明についても「相当の対価」を観念しうるか、
が問題になったのであるが、この点についても裁判所は次のように説く。

特許法2条1項は,「この法律で「発明」とは,自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と定義しており,特許登録に必要な要件を備えるべきことを「発明」の要件とはしていない。そして,特許を受ける権利は,「発明」をすることにより原始的に生じるものであると解すべきであるから,特許法は,「発明」についての前記2条1項の要件を満たす限り,その発明者が特許を受ける権利を取得することを認めているのであり,この特許を受ける権利の取得について,特許法29条,32条及び36条等の特許要件を備えることまでは要求していないと解すべきである(このことは,特許法29条及び32条は,「特許を受けることができる」発明と特許を受けることができない発明とがあることを明記しており,また,同法2条2項は,「この法律で「特許発明」とは,特許を受けている発明をいう。」と定義し,「発明」と「特許発明」を明瞭に書き分けていることからも明らかである。)。すなわち,特許を受ける権利は,発明者が発明をすることにより原始的に取得するものであり,そのうち特許出願されたものについては,特許法が特許登録をするのに必要な要件を備えるもののみが特許権として成立し,その余は拒絶査定の確定あるいは出願審査請求期間の徒過によるみなし取り下げ等により消滅するものである。
特許法35条は,従業者がなした職務発明について,特許を受ける権利ないし特許権を承継した使用者等に対し,相当の対価を支払うべき義務を規定しているものであり,承継した特許を受ける権利について特許要件があることを,相当の対価請求権発生のために要求してはいない。このことは,同条4項が「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」と規定し,「その特許発明により・・・」と規定していないところからも明らかである(なお,「発明」である限り,ノウハウについても特許を受ける権利は生じ,これについても特許法35条が適用されることは当然である。)。
したがって,従業者等から使用者に職務発明に関する特許を受ける権利が譲渡され,使用者により特許出願がされた後に拒絶査定され,同査定が確定したものについても,特許法35条3項の「使用者等に特許を受ける権利・・・を承継させ・・・たときは,相当の対価の支払を受ける権利を有する。」との規定の適用があり,当該発明について,出願後に得た実施料などの法的独占権に由来する利益があると認められる場合には,同条にいう「相当の対価」請求権が生じ得る(これに対し,法的独占権に由来する利益がない場合には,「相当の対価」請求権は生じない。),と解すべきである。」(太線筆者)

登録にまで至らなくても「相当の対価」請求権は生じうる、
という上記判示は、これまで主流となっていた考え方とさほど異なるものではない。


だが本件では、「法的独占権」というワードを持ち出し、
さらにそれを事案の当てはめに用いて、
「法的独占権」を否定した、ということに大きな意義がある。

「本件26件の発明が被告によって出願され,これらが出願公開されたことは前記認定のとおりである。しかし,このことによって,同業他社が本件26件の発明を実施することが事実上禁止され,これによって,被告が何らかの利益を得たことについても,これを認めるに足りる証拠はない。すなわち,被告自身も本件26件の発明を実施したことがないこと,及び,後記エ認定の写真フィルムを取り巻く経済情勢からすれば,被告が本件26件の発明を出願したことにより,同業他社が,本件26件の発明を実施することを事実上禁止したことにより何らかの利益を得たということは到底考え難いところである。」(太線筆者)

裁判所はあくまで立証責任の問題、として片付けているように見えるが、
出願公開によって他社の実施が「事実上禁止されていた」ことを立証するのは、
おそらく不可能に近い。


本件で争われている特許は、写真用フィルムに関するものであり、
デジタルカメラが猛威を奮う中で、フィルム事業が縮小の一途をたどっていた、
という「特殊事情」が認定されており、
被告(コニカミノルタ)のみならず、
他の競合企業も本件発明を実施しようと考えることはありえなかった、
として請求を棄却した結論自体は妥当なものだと思うし、
従来、“フィクションの世界”で語られてきた「受けるべき利益」を
ここまで実質的に吟味してもらえるのであれば、
使用者の側に立つものとしては嬉しい限りである(笑)。


だが、使用者と発明者相互のバランスを考えたとき、
上記のような規範を推し進めると、
多くの発明者は「現実に企業において実施され、あるいは実施料を得た」
特許についてしか争う余地がないことにもなりそうであり、
実施するか否か、実施料を得られるか否か、が
「使用者の意思」と「偶然」に左右される実態をかんがみると、
発明者にとっては、いささか気の毒な結果になるようにも思える。


そして三点目。


本判決が従来の職務発明訴訟と比べもっとも異彩を放っていると思われるのは、
原告が大企業から大企業への転職を経た従業者であり、
かつ前職場との間で秘密保持・競業避止契約を締結するほど
高度な研究に従事する従業者だった、という点にある。


裁判所の認定によれば、
原告は、転職の過程で、

①平成2年6月30日に帝人を退社。期間を3年間とする競業避止の「念書」を提出。
②平成2年7月1日に被告会社に入社したものの、約2ヵ月半は自宅待機。
帝人と被告会社は、「被告が、原告の帝人退職時に誓約した内容を尊重すること、また、帝人の利益を不当に害することがないように特段の配慮をもって原告を業務に従事させること」について合意し、被告会社は帝人に対して平成2年10月7日付で、「ポリエステルフィルムの生産・技術に直接関与する業務に従事させないこと」という「念書」を提出した。
③その後、原告は平成2年10月16日になって初めて出社している。

という手続きを経ている。


これまで、秘密保持契約や競業避止契約の効力が正面から争われた事例ですら、
その内実は、中小広告代理店や貸し物屋や、
はたまた司法試験予備校、といったところでおきたものに過ぎず、
どちらかといえば“のれん分け”をめぐるいざこざの武器として、
これらの契約が使われた、という感が否めなかったのだが、
本件は、社員が“移籍”する際に競業避止契約が威力を発揮した
ある意味“純粋な”事例ともいえるものであり、
なかなかお目にかかれない、研究者の移籍をめぐる生々しい実態を
垣間見ることができる点において、希少価値の高い事例となっている。


本件で争われている特許が出願された時期は、
原告と元所属会社たる帝人との間の競業避止契約が
“生きて”いた時期と重なっており、
原告が「発明者である」と主張することは、
自ら帝人との契約に違反していた可能性を示唆する危険な行為なのだが*5
帝人においても被告会社においても、
決して本人を満足させるような待遇を与えられなかった原告は*6
“一世一代の大博打”として、
リスクを承知で本件訴訟に踏み切ったものと推測する。


だが、裁判所が下した“審判”は残酷なものであった。

「原告が帝人を退職する際に3年間の競業避止義務を負っていたことから,被告は,原告が入社する際,帝人との間で,原告については,ポリエステルフィルムの生産・技術に直接関与する業務に従事させないことなどを約していた。そのため,被告は,ポリエステルフィルムに関する研究開発に原告を直接従事させるのではなく,研究開発部門の管理者としての役割を果たしてもらうことを期待し,第4開発センターにおけるプロジェクトリーダー,あるいは,第1研究室室長としての業務に従事することを求めたものであった。一方,原告も,帝人を退職する際に,3年間の競業避止義務を負い,競業会社において,帝人で培った知見等を漏らさないこと,及び,これに違反すれば割増退職金を返還することなどを約していたため,積極的に研究開発に従事するのではなく,自己の有する知識経験等を,ある程度は部下であるCらに伝えていたことはあったとしても,自らの意思で,帝人と競業関係にあるポリエステルフィルムの研究活動については,3年間程度自粛していたものである。原告は,その後,自発的に研究活動を始め,原告を発明者としてなした特許出願も散見されるようになったのである。」(太線筆者)

裁判所は、上記のように述べ、
原告は一研究員としてではなく、あくまで「管理者」として
プロジェクトに臨んでいたものに過ぎない、と認定したのである*7


真実は誰にもわからない。


もしかしたら、原告は相当程度自らの知見を開示し、
出願された発明にそれが生かされていたのかもしれない。


もしそうだったとしても、帝人との契約ゆえ、
表向きは原告が発明者として名を連ねることはできなかったはずだから、
原告の名前が発明者欄に記載されていなかったとしても、不思議ではない*8


だが、そのような主張がとおり、
原告が発明者として認められたとすると、
今度は、原告の側に、「前職場からの契約上の債務不履行責任の追及」
という危険が迫る。


自ら提起した訴訟で負けても失うものはないが*9
逆に訴えられることになれば、金も名誉も失う恐れがある。


そう考えると、
「発明者の認定」にあたって裁判所が下した結論は、
一種の“親心”ではないか、とさえ思えてくる。


すでに述べてきたように、
上記第一点、第二点に関しては、いささか蛇足的な面もある本判決だが、
そのような“蛇足”を付け足した背景として、
共同発明者か否か、という判断を行う際の裁判所の逡巡があったのでは?
という見方をするのは、うがちすぎだろうか・・・?

*1:http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/c617a99bb925a29449256795007fb7d1/ebc1e4dd44b74c9f4925711500067b63?OpenDocument。日付は少しさかのぼるが、最高裁HPにやや遅れてアップされたため気づくのが遅れた。

*2:職務発明に関しては、オリンパス日亜化学の事件が話題になったために、後続訴訟を起こす“元社員”が相次いだのだが、残念ながら、消滅時効を援用されたり、発明者性を否定されたり(名目的に発明者として名前を連ねているが実質的には関与していなかった、と認定されるパターンと(使用者側の抗弁成功パターン)、元々発明者として名前はあがっておらず、実質的にも発明者ではない、と認定されるパターン(従業者側の主張失敗パターン)がある。本件は後者。

*3:もっとも、発明者であるか否かの認定を丁寧にやったがために判決が長くなってしまった点はやむをえないとしても、「当裁判所の判断」の冒頭で、まったく性質の異なる論点の結論を複数併記している点はあまり感心しない。読み進めると文脈が理解できるのだが、このタイミングで結論をまとめられても、読んでいる方は頭が混乱してしまうのだ。

*4:特許一件一件について発明者の認定を行うのが煩雑だ、という考慮が働いた可能性もあるが、後述するように、競業避止契約の存在を根拠として「発明者性」を否定するのであれば、そんな煩雑な作業にはならなかったようにも思われるのだが・・・。

*5:ポリエステルフィルムと写真用フィルムが直ちに競合するものではなかったとしても、相互に応用は効く技術のようであり、潜在的な競業行為にあたるとされる余地はあったように思われる。秘密保持契約に関しては、さらに違反が推察されるリスクは高い。

*6:判決書によれば、帝人において「岐阜事業所」(役職は部長だが)への単身赴任を強いられたことが、原告の第一の退職の引き金になったようだし、被告会社においてもその待遇は研究所の「部長」レベルにとどまっている。

*7:そして、おおむね従来の裁判例を踏襲した「共同発明者」認定の規範に基づき、原告の発明者性を否定している。

*8:なお、裁判所は社内においてどのような経緯で明細書が書き上げられ、承認を得て出願されるか、というプロセスも細かく説明している(その上で、「自らの名前が発明者に含まれていない出願依頼書」を原告自身が上司として承認していることを、原告の発明者性を否定するひとつの理由としている)。この点においても実務上興味深い判決といえる。

*9:もちろん印紙代や弁護士費用等の諸経費(訴額を考えると馬鹿にできない・・・)は除くにしても。

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