「死刑判決」の重さ

光市の母子殺害事件上告審で、
弁護人の欠席により弁論期日が延期された、というニュース。


『元検弁護士のつぶやき』で、
被告人・弁護人サイドに対する手厳しい批判がなされている。
http://lawtool.kir.jp/mt2/mt-tb.cgi/1087
http://lawtool.kir.jp/mt2/mt-tb.cgi/1089


被害者側が、欠席した安田好弘弁護士に対する懲戒請求を行った、
というニュースも伝えられているし*1
概して、弁護人の姿勢に対する世間の風当たりは強い。


自分は、「刑事弁護」の何たるかを知るよしもない立場の人間であるから、
今回のような弁護人の行動が、
純粋な訴訟手続的観点ないし専門家としての倫理、といった観点から、
非難されるに値するものなのかどうか、正当に評価することもできない*2


被害者本人*3、あるいは被害者に共感する人々やメディアの側から見れば、
一種の引き延ばし戦術としての色合いが濃い今回の「欠席」は、
到底許容できるものではないだろうが、
刑事訴訟の弁護人である以上、
「被告人の利益」のために行動することが求められるのは当然のことで、
その意思を今回のような形で“表現”することが妥当なのかどうかを、
専ら“被害者側の論理”で評価するかのような風潮には、
いささかの抵抗感がある。


「死刑判決」の持つ意味は大きい。
仮に被告人が更正の余地のない凶悪犯だったとしても、
弁護人である限りは、
被害者側が望む筋書き通りに、
「どうぞ、死刑判決を言い渡してください。」
という姿勢をとることはできないはずだ。


ましてや、“死刑制度”そのものに対して
反対を標榜する弁護士であれば、
なおさらのことであろう。


それを“社会常識”的観点から一概に批判するのは、
特定の信念、思想を頭から否定するに等しく、
それが社会にとって健全なことかどうかは疑わしい*4


ただ、“死刑制度反対”を標榜する弁護士が、
今回のような“抵抗”を見せることで、
「刑事弁護制度」そのものへの信頼感が揺らぐ、といった趣旨の
上記ブログでの矢部先生のコメントについては、
自分も同感である。


折りしも、最高裁司法研修所の調査において、
「刑罰に対する市民と裁判官の意識差が明確に現れた」
というニュースも出ているところであるが*5
近年、「被害者側に立った報道」が増加する中で、
「罪を犯した者」そして「罪を犯した者に味方する者」に対する風当たりは、
この上なく強くなってきているように感じられる。


刑事弁護に携わるいわゆる“人権派”弁護士の方々の中には、
裁判員制度の導入による「市民の良識」が、
不当な判決を減らし、被疑者・被告人の人権保護につながる、
といった効果をもたらすと期待する方も多いようだが、
現在の市民の“意識”を鑑みれば、
それは、“甘い幻想”に過ぎないだろう。


今回の一件を見た多くの人々は、
“弁護人”という人種の手段を選ばぬ“姑息さ”に対し、
“嫌悪感”と“義憤”を抱いている。
そして、メディアを通じて流される“被害者の叫び”が、
人々の感情をより増幅させる。


そして、その結果、
今後、裁判員制度の下で行われる同種の事件においても、
「良識に基づく判断」よりも、
「暴走した感情による判断」が優先されることになる懸念は
極めて大きい、といわざるを得ない。


先にも触れたように、
「死刑判決」は極めて重いものである。
だが、その重さゆえ、
それを制裁として課すことへの“動機付け”も
生じることになる。


こと本件に関して言えば、
職業裁判官による「客観的な」判決を
“期待”することができるにしても、
長い目でみれば、弁護人サイドの取っている行動は、
かえって、自らの首を絞めることにつながるのではないだろうか。


死刑反対論者が死刑推進の世論を加速する、
というのは、何とも皮肉な話ではあるが、
オウム事件しかり、本件しかり、
そのような事態が起きえないとは、
言い切れないように思われるのである。


・・・以上、
実はこれ、最新判例紹介の前振りのつもりで書いたネタだったのだが、
予想外に長くなってしまった。


続きはまた明日。
(既にお気付きの方もいらっしゃるでしょうが・・・)

*1:日経新聞2006年3月16日付朝刊・第43面「ピックアップ」。

*2:これらの点については、専門家であられる矢部先生のご見解に敬意を表しつつも、その賛否については留保したいと思う。

*3:正確に言えば「被害者」はあくまで亡くなられた母子なのであろうが、本件に関して言えば(否、本件に限らず)、残された若き夫(父親)も、「被害者」と位置付けるべきだろう。

*4:もっとも、自分自身は、制度としての「死刑」に反対する考え方には決して賛同していないのだが。

*5:日経新聞2006年3月16日付朝刊・第43面

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