国語テスト事件〔第2次〕判決

遡ること半月以上前、
「速報の速報」として触れていた国語テスト事件、
(東京地判平成18年3月31日・第47部(高部眞規子裁判長))
あまり掘り下げはできそうもないが、簡単にまとめてみることにする。


本件は、いわずもがな、
教科書に準拠した「国語テスト」を製作販売している被告に対し、
「小学生用国語教科書に掲載された著作物の著作権者」である原告が、
複製権及び著作者人格権侵害を主張して損害賠償請求を提起した事件である*1


この手のテストは、誰しも一度は受けたことがあるものだと思われるが、
要は、教科書の内容の理解度を確認するためのものであるから、
設問には必然的に、教科書に掲載された文章(=著作物)が
掲載されることになるし、
問題によっては、そのような著作物に穴を開けたり、下線を付したり、
といった“加工”がなされることもある。


したがって、被告の行っている行為が著作物の複製行為にあたる、
ということはここでは当然の前提になっており、
争点は、
①権利制限規定*2該当性と、
著作者人格権侵害(特に同一性保持権)の有無、
そして、本件の特殊事情としての
消滅時効の成否、
といった点に絞られることになる。


以前にも触れたように、本判決は、
②と③の点について、柔軟な判断を示すことで
当事者間の衡平を図ろうとしたもののように思われるものなのだが、
このあたりの高部裁判長の微妙な“さじ加減”の妙を
以下で感じていただければ、と思う。


著作権法36条1項該当性について

一連の教科書準拠副教材では、必ずといって良いほど用いられるこの抗弁だが、
裁判所は一貫して、被告側に冷淡な解釈を示す傾向にあり、
本判決でもその傾向は変わっていない。


曰く、

著作権法36条1項の規定は)「入学試験等の人の学識技能に関する試験又は検定にあっては、それを公正に実施するために、問題の内容等の事前の漏洩を防ぐ必要があるため、あらかじめ著作権者の許諾を受けることは困難であること、そして、著作物を上記のような試験又は検定の問題として利用したとしても、一般にその利用は著作物の通常の利用と競合しないと考えられることから、試験又は検定の目的上必要と認められる限度で、かつ、著作物を試験又は検定の問題として複製するについては、一律に著作権者の許諾を要しないものとするとともに、その複製がこれを行う者の営利の目的による場合には、著作権者に対する補償を要するものとして、利益の均衡を図る趣旨であると解される。」

と規定趣旨を述べ、

「試験又は検定の公正な実施のために、その問題としていかなる著作物を利用するかということ自体を秘密にする必要性があり、そのために当該著作物の複製についてあらかじめ著作権者から許諾を受けることが困難である試験又は検定の問題でない限り、著作権法36条1項所定の「試験又は検定の問題」としての複製に当たるものということはできないと解される。」

という規範を定立する。


現在の多数説に沿った“模範解答”ともいうべき判旨であるが、
「教科書準拠テスト」に関して言えば、
教科書をベースに問題が作成されるのは明らかで、
「いかなる著作物を利用するかということ自体を秘密にする必要がある」
ということは困難だから、
上記のような規範による限り、被告の抗弁が認められる余地は乏しい、
といわざるを得ない。


被告側は、国語テストの教育現場における意義等を強調し、
著作権法の趣旨(1条)に遡って、
著作権者の個々の許諾を不要とすること」の合理性を主張するが、

「立法論としてはともかく、現行著作権法36条の下において、著作権者の許諾を不要とする根拠は見出し難い」

として、退けられている。


実のところ、仮に被告の抗弁が認められたとしても、
36条2項に基づく補償金支払の責を負うことは免れないのであり*3
損害賠償請求しか問題になっていない本件において、
被告がこの抗弁を主張することにどれだけのメリットがあるかは不明である*4
現行法の規定の不備を裁判所に示唆させることで、
立法的解決を促そうとする政治的意図も含まれていることは否定できないだろう。


ただ、営利目的で手がけられているものとはいえ、
学校教育において「教科書準拠テスト」が
一定の公益的機能を果たしているのも事実である以上*5
本件のような事案は、
本来、権利制限規定を柔軟に解釈することによって対処する方がスジが良い、
といえるのかもしれないのだが・・・。

同一性保持権侵害について

さて、ここから先は、
結論の妥当性を確保するための裁判所の苦心の跡を見ていくことになる。


まず、著作者人格権のうち同一性保持権侵害が争われた部分について。


この点に関する判旨は、以前にも紹介したが、
興味深いのは、

「同一性保持権は、著作者の精神的・人格的利益を保護する趣旨で規定された権利であり、侵害者が無断で著作物に手を入れたことに対する著作者の名誉感情を法的に守る権利であるから、著作物の表現の変更が著作者の精神的・人格的利益を害しない程度のものであるとき、すなわち、通常の著作者であれば、特に名誉感情を害されることがないと認められる程度のものであるときは、意に反する改変とはいえず、同一性保持権の侵害に当たらないものと解される。」

と述べた点と、そのあてはめにある。


上記のような同一性保持権の趣旨、及び侵害成否の判断基準は、
以前から識者に説かれているところであり*6
決して真新しい発想とはいえない*7


だが、ここで面白いのは、本件では実際に上記の基準を適用して、
同一性保持権侵害にあたらないと認定されたものがある、ということである。


裁判所は、

「本件各著作物にある単語、文節ないし文章を削除し、本件各著作物にない単語、文節ないし文章を加筆し、本件各著作物の単語を全く別の単語に置き換え、又は本件各著作物にある単語を空欄にするなどしたもの」

については、同一性保持権を侵害する、としたものの*8

「本件各著作物にはない挿絵や写真が付加されているもの」

については、「特に名誉感情を害されることがないと認められる程度のもの」として
同一性保持権侵害を否定したのである。


また、「そもそも改変にあたらない」という認定判断もここでは多用されている。


すなわち、上記挿絵や写真の付加に際しては、
「本件各著作物と挿絵や写真は、それぞれ別個の著作物である」
ということを根拠に、
「文字による表現と挿絵や写真とが不可分一体で分離できない場合」等、
「思想又は感情の創作的表現を損なわせるなどの特段の事情」がない限り、
そもそも改変にはあたらず、同一性保持権を侵害しない、としたのである。


この理に基づいて侵害を否定したものとして、他にも

「本件各著作物に傍線や波線を付加したもの」
「字体を太字に変更したもの」
「教師用の注意書を加筆したもの」
「ひらがな書き取り用に一節の一部を取り出したもの」

等があり、
結論として原告が掲げた8つの“侵害類型”のうち、
3つについて、同一性保持権侵害が否定されている。


現実には、複製権侵害が肯定されている以上、
同一性保持権侵害が一部否定されたとしても、
被告にとってのメリットはさほど大きくない。


だが、「名誉感情を害される程度」のハードルを高めに設定した上で、
「文字によって表された部分」に改変が加えられていなければ、
そもそも改変にすらあたらない、という判断基準を併用した、
本件における裁判所のスタンスは、
ややもすると、言語著作物に関して安易に著作者人格権侵害を認める傾向にあった
従来の裁判例の動向に一石を投じるものとなるようにも思えるものである*9

消滅時効の成否について

さて、本件で被告側を“救った”ともいえるのが、
この消滅時効の成否に関する裁判所の判断である。


まず、裁判所は著作権侵害に基づく請求における
「損害及び加害者を知りたる時」(民法724条)の意義について、

「このような事案において、被害者が、加害者に対する賠償請求が事実上可能な状況の下に、その可能な程度に損害及び加害者を知り、損害の発生を現実に認識したといえるためには、原則として、教科書掲載著作物の著作権者において、ある特定の教材会社が、同人の特定の著作物を国語テストに掲載していたことを認識する必要があり、かつそれをもって足りると解すべきである。」

と述べ、
具体的には、
①著作物の引用箇所、発行部数の認識、②具体的な損害の数額の認識、
③損害の範囲についての認識、は必要ではない、
(よって、原告がそれらを知らなくても消滅時効は進行する)
とした。


そして、原告のうち14名については、
複製権に基づく損害賠償請求権がすべて時効により消滅したもの、
としたのである。


最終的には、すべての原告について不当利得返還請求権が認められているから、
大勢に影響はないようにも思える。


だが裁判所は、損害賠償請求が認められる場合については、
著作権法114条3項の趣旨に照らし」
損害額の算定料率を10%(翻訳については5%)とする一方で、
不当利得返還請求の場合には、114条3項を適用せず、
「取引において用いられるべき通常の使用料相当額をもって算定すべき」と、
算定料率を5%(翻訳については2.5%)とし、
ここで一つの格差を設けたため、
原告に対する請求認容額は、より圧縮されることになった。


本件は、「教科書副教材問題」が大きなニュースとなって、
先行訴訟もなされた後に提起された、という特殊事情を抱えた事件であり、
すべての場合において、このような抗弁が有効打になるとは限らない。
だが、特定の分野においては、一種の“試験訴訟”を経た後に、
権利者団体の“段階的波状攻撃”が展開される、
という実態があるのも確かだから、
そのような分野で被告側に立たされているユーザーにとっては、
上記のような“権利者に厳しい”724条の解釈が示されたことは、
ある種の“朗報”なのではないかと思われる。


なお、著作者人格権侵害に基づく慰謝料請求権については、
裁判所は、氏名表示権と同一性保持権とで異なる規範を立てることで、
異なる結論を導いている。


すなわち、氏名表示権については、

「複製権侵害に基づく損害賠償請求につき、被害者である著作者が、加害者に対する賠償請求が事実上可能な状況の下に、その可能な程度に損害の発生を現実に認識したのと同時に、氏名表示権侵害についても、これと牽連一体をなす損害として同様の認識をしたと認めるのが相当である。」

として、ほぼすべての原告の請求権が時効消滅したものとしたが、
同一性保持権侵害については、

「同一性保持権侵害に基づく損害については、前記アの氏名表示権とは異なり、原告らの著作物が本件国語テストに掲載された際に、どのような形式及び態様で改変されたかを実際に確認しない限り、被害者である著作者が加害者に対する賠償請求が事実上可能な状況の下に、その可能な程度に損害及び加害者を知り、損害の発生を現実に認識したとはいえないものである。」

と述べ、請求権の残存を認めている。


権利者側がどのようにして侵害実態を把握するか、
というプロセスに照らせば、
妥当な結論のようにも思えるが、
広義の「著作権」を構成する個別の権利ごとに消滅時効の成立時期がずれる、
というのでは、実務的には煩わしさを増すことにもなりかねず、
この点については、もう少し、議論する余地があるのかもしれない。

おわりに

以上、意図してかせざるかはともかく、
裁判所が展開した様々な規範によって、
いずれの原告についても、認容された請求額は、
当初の10分の1以下に留まることになった。


既にお気付きのように、
筆者は、本件に関しては被告側に相当のシンパシーを持ってコメントしている。


被告側の行った行為は、著作権法の条文を素直に適用すれば、
侵害の責を免れ得ないものなのかもしれない。
だが、「国語テスト」において原告の著作物が使用されたからといって、
原告の著作物の販売機会が減少するとは到底思えないし、
「テスト」における著作物の使用が、
社会通念上、高額の使用料と引換えに行われるべきもの、
ということもできないように思われる。


最近になって、著作権者側の“自己主張”ゆえ、
「赤本」にすら問題文を転載できない、という状況が生じていると聞く。
本来機能することが想定された状況から離れて、
“権利”が一人歩きしていくことの怖さを象徴するような出来事である。


そもそも、「赤本」や「模擬試験の問題」といったところで出会わなければ、
自分が、鶴見俊輔氏だの、宮脇昭氏だのの文章*10
読むことはなかっただろうし、
荻原朔太朗の詩だの、寺山修司のエッセイだの、といったものも、
触れたきっかけはそのあたりにあったような気がする。


目先の利得に走って、自らの作品の露出の機会を狭めることは*11
結果として、作家、随筆家、批評家としての著作権者の将来の糧を失うことに
つながるように思えてならないのは自分だけだろうか。


自分自身、仕事の中で、
コンテンツホルダーとしての立場で行動する場面は多々あるのであって、
本判決で示されたような「規範」が定着した場合、
逆に自分自身の首を絞めることになることもありうる、ということは
重々承知している。


だがそれでも、
権利者側の主張を狭めることによって当事者の衡平を図った
本件の地裁判決に対しては、心の中で拍手を送りたい、
そんな気分である。

*1:原告側は「国語テスト」に関する請求に加えて、「国語ドリル」に関する請求の追加的変更も試みたが、時機に後れた攻撃防御方法として却下された。

*2:著作権法36条1項の「試験又は検定の問題」としての複製

*3:36条2項の補償金額は、文言上、一般の相場により算定されることが予定されている、というのが通説である(田村善之『著作権法概説〔第2版〕』213頁(有斐閣、2001年))。

*4:差止の可否が問題になっている場合であれば、十分に実益がある抗弁といえるだろうが。

*5:学校の教師が自らテスト問題を作成することを常に求めるのは酷であるし、教師のレベルによって生じる問題の質のばらつき、というリスクを児童に負わせるというのは、もっと理不尽な話であろう。

*6:田村・前掲436頁など。

*7:ただし、判決中でそれが明確に示されたことはそんなに多くはないようにも思われるのだが。

*8:この中には、教科用図書への掲載にあたって改変された部分をそのまま記載したものも含まれていたが、裁判所は、教科用図書への掲載に際して改変することと、本件国語テストにおいて改変することとは全く別個の行為である、として、上記の結論を導いた。

*9:もっとも、最近の裁判例の中には、もっと大胆に同一性保持権侵害を否定するものも散見されるのではあるが・・・。

*10:自分が受験生だったころの国語の問題で頻繁に引用されていた記憶がある。

*11:それも多感な時期にある教育課程の生徒・児童に対する露出の機会を・・・。

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