デジタル・コンテンツ新立法の動き

どうも、本格的な動きになってきたようだ。


今朝の日経新聞、お馴染みの司法コラムでは、
『試される司法 第2部・揺らぐルール(上)』と題して、
デジタル技術に追いつけない法律の有様が描かれている*1


筆者は、個人的には「技術進歩に法が追い付いていない」とは
全く思っていないのであるが*2
もっぱら「法の不備」に着目した本コラムでは、
最後に岩倉正和弁護士が提案した「デジタル・コンテンツ法」という
“新発想”を取り上げ、
「ルールの革新もスピードアップを迫られている」とまとめている。


ここで取り上げられている「デジタル・コンテンツ法」とは、
次のようなものらしい。

「提案には「登録機関」と「仲裁機関」の新設を明記。コンテンツの利用希望者は登録機関に登録、対価を払えばよい。紛争は仲裁機関で解決を目指し、決着しなければ裁判に至る構想だ。」

が、残念ながら、これを見ただけでは、何が“新発想”なのか、
さっぱり分からない*3


岩倉弁護士の言葉として
著作権法の上に長年築かれた権利関係は強固。抜本的改正は不可能だ」
というのが取り上げられているのだが、
著作権法を抜本改正しない限り、
いかに「登録」したとしても、
権利者によるユーザーへの追及は免れ得ない。


損害賠償については事前の対価の支払で免責される可能性があるにしても、
差止請求権はどうするというのだろう?
いかに仲裁機関を設けたところで、
権利者に当該機関での仲裁手続きを強要することは、
著作権法のルールを変えない限りできないはずだ。

「来年の通常国会での成立を」と有力議員は議員立法を目指す。

とあって、“有力議員”の顔が何人か頭をよぎったのが、
かつての商法改正のように、
法体系を混乱させて、企業法務担当者に頭を抱えさせるような事態を
引き起こすことだけはご勘弁願いたい*4


◆◆
このコラムの関連で思い出したのが、
先週金曜日の『経済教室』に掲載されていた一本の論文*5


早大客員助教授(経産省出身)の境氏は、

「コンテンツの取引を活性化するために権利状況を社会的に明確にする措置として、コンテンツに関する強力な登録制度が必要」

と述べられる。


そして、同氏は、
著作権法の改正は、「選択肢の一つでしかない」と指摘し*6
むしろ、

民法の法人規定の上に会社法が重ねて規定されるように、筆者は、著作権者、著作隣接権者が合意の上で利用できる、独立の「商用コンテンツ任意登録制度」を著作権法の上に重ねて創設することが合理的な解決法であると考える。」

と主張される。

「仮にこの制度で定めるべき諸規定が著作権法の規定と矛盾しても、それは関係者の契約や権利放棄を擬制したものとみなせるので問題にする必要はないから、規定の自由度はきわめて高い」

というのは少しいいすぎの感もあるが*7
著作権、人格権の一部制限や*8
取引行為の補完的制度(任意規定)の拡充、
といった方策の必要性自体は理解できる。


今日のコラムに載っていた“新発想”とは異なり、
あくまで権利者サイドの主導による“登録”制度になるわけだから、
一般法と特別法の関係で、一応は理も通る、というべきだろう。


ただ、ここにも問題はある。


それは、コンテンツにかかわる権利者自身がこの制度に乗ってこない限り、
誰も制度のメリットを享受できない、ということと、
仮に権利者の一部が“登録”に賛同しても、他の権利者が反対すれば、
結局は著作権法の規律を免れることはできないのであり、
「コンテンツの権利関係の複雑さが流通を阻害している」
という当初の課題を克服するには、
やや力不足の面があるのではないか、ということである*9


“登録”制度がユーザーに有利な制度設計になっているのであれば、
権利者側はおいそれとは乗ってこないだろうし、
それに乗ってくるコンテンツなど、中身はたかが知れている。


また、入り組んだ権利者間の利害調整に成功して、
登録にこぎつけることができるのであれば、
そもそもこんな制度を作らなくても取引に乗せることは可能なのではないか?*10


そう考えてくると、
ここで提唱されている“任意の新制度”のアイデンティティ自体が
疑わしいものになってきてしまう。


結局、いかに新立法を、と叫んだところで、
根っこにある著作権法の運用解釈が固定化されたままであれば、
何ら実態は変わるところがないのであって、
むしろ、“大胆な法解釈”(そしてそれに挑む法曹への期待)を述べる方が、
現実的であるようにも思われる。


◆◆
とはいえ、知財業界内では囁かれていた
「デジタル・コンテンツ」立法への動きが、
“天下の日経新聞”を通じて世に明らかにされたことの意義は大きい。


特に大きなニュースのない日の一面あたりで、
「デジタル・コンテンツ立法 次期国会で成立か?」という
お得意のアドバルーン記事が上がる日も近いだろう。


どういう立法になるのか、
平凡な一市民たる筆者には想像しようもないのであるが、
おそらく、

著作権法には手を触れずに屋上屋を架す新たな立法を行う」

という方向で進んでいくのは間違いなさそうである。


我が国を代表する優秀な方々が、
審議会の議論もすっ飛ばしてお作りになる法律なのであるから、
後々、筆者のようなネタブロガーのネタにされるようなものになることは
決してあるまい、と大いなる期待を込めて、
本エントリーのまとめとしたい。


(追記)
himagine_no9氏がコメントで指摘されるとおり、
境氏の提言の中には、
コンテンツを“登録”した権利者に一定のメリットを与える、
というものも含まれている。


だが、そこにある「社会的常識を超えた無許諾二次創作」は、
現行著作権法下でも当然に禁止されているし、
海賊版の保持の禁止」も、現在著作権法改正が予想される領域である。


著作権法という“本丸”を
これ以上コンテンツホルダー寄りの法律にしないために、
あえて新しい制度を設ける、という発想は支持しうるにしても、
権利者をそちらに誘導するためには、もう一段の方策が必要となろう*11

*1:クロムサイズ事件や、ぷららによる「ウィニー」接続遮断(未遂)事件などが例として挙げられており、80年代の「ベータマックス」事件との対比で、技術進化と法規制の在り方について論じるもの(日経新聞2006年7月2日付け朝刊・第1面)。

*2:わざわざ新規に立法しなくても、解釈次第でどうにでもなるのが「法」というものなのであって、現在解釈論では無理、と言われている「フェア・ユース」法理ですら、著作権制限規定を柔軟に解釈したり、民法の権利濫用法理を活用することで、現行法下でも定着させることは本来十分に可能だと思われる。ゆえに、「法制度の不備」に問題の根を求めるのは妥当ではなく、批判すべきものがあるとすれば、それは「法」ではなく「法」に守られている既得権者や規制官庁の意識、そして「法解釈の貧困さ」ということになるだろう。

*3:たぶん、記事を書いている方が著作権法の仕組みを良く分かっていないのだと思う。

*4:儲かるのは相談件数が増える弁護士だけである・・・。

*5:境真良「コンテンツ流通 登録制で」日経新聞2006年6月30日付け朝刊・第27面。

*6:その理由として、著作権法は商用コンテンツのみならず、商用を想定していない個人の日記なども対象とする、コンテンツに関する一般法となっていることを挙げ、特殊なルールを著作権法に組み入れることは、議論をいたずらに複雑にする可能性もある、とするのである。

*7:著作者人格権の放棄の可否は問題になっているところでもあるし・・・。

*8:境氏は、「公開条件での包括利用許諾」「常識の範囲内でのパロディーその他の二次創作のための使用自由化」などの規定を強行規定として導入することを提唱されている。

*9:全ての権利者が登録に賛同している、ということが何らかの形で担保されていない限り、商用ユーザー側としても迂闊には手を出せないだろう。

*10:もちろん、一度登録にこぎつけてしまえば、後は簡便な処理が可能になる、という点でメリットはあるのだろうが。

*11:「コンテンツに対する信用が増す」「コンテンツの取引が円滑化される」というメリットにしても、本当に“金になる”コンテンツなら、少々権利関係が複雑でも必ず飛びつく人はいるもので、あえて新制度に頼らなければならない、という必然性には乏しいように思われる。

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