長すぎる傍論が招く悲劇。

既に『駒沢公園行政書士事務所日記』でも取り上げられている、「宇宙戦艦ヤマト」事件。


宇宙戦艦ヤマト」の映画・テレビシリーズの著作権を主張する東北新社(原告)が、「大ヤマト」のコンセプトに基づきパチンコ・パチスロゲーム機、プレステソフト等を展開している三共、ビスティなどを相手取って提起した著作権侵害差止・損害賠償請求訴訟である。


著作権侵害の成否に関する詳細は、大塚先生のサイトに要領よくまとめられているが(http://ootsuka.livedoor.biz/archives/50690750.html)、
この判決の何がすごいかといえば、その「傍論」の長さ(苦笑)。


いずれも民事第29部(清水節裁判長)の判決なのであるが、


①東京地判平成18年12月27日(H16(ワ)第13725号)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20061228131917.pdf
が179ページ、
②東京地判平成18年12月27日(H17(ワ)第16722号)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20061228133336.pdf
が205ページ、


と長文になっている中、本件判決の結論(請求棄却)を導くための争点(原告が本件映画の著作権を取得したか)に対する判断は、わずか6ページに過ぎず*1、あとは(本件の結論には直接影響しない)類似性判断を中心とする当事者の主張とそれに対する判断に大幅に紙幅が割かれている。


東京地裁としては、万が一前提となる争点で高裁が異なる判断をした場合に、その後に出てくる論点について事実上“一審決着”となる事態は避けねばならない、と考えたのかもしれないが、後述するように、本判決で述べられている「傍論」には重大な疑義があり、かえって実務上混乱を招くおそれすらあるものであって、筆者の個人的な印象では、「蛇足判決」と断じざるを得ないのではないかと思われる。


・・・と、前置きはこの辺にして、上記両事件について簡単にコメントしておくことにしたい*2

訴外P2が著作権法29条1項に基づき本件映画の著作権を取得したか(争点1)

本件訴訟の原告である東北新社は、訴外P2(元プロデューサーの西崎氏)から契約に基づき著作権の移転を受けた旨主張していたため、そもそもP2が著作権を取得していたかどうかが前提として問題になったのであるが、裁判所は、著作権法2条1項10号の規定について、以下のような解釈を示した後に、P2の映画製作者としての地位を否定した。

著作権法2条1項10号は,映画製作者について,「映画の製作に発意と責任を有する者」と規定しているところ,同規定は,映画の製作には,通常,相当な製作費が必要となり,映画製作が企業活動として行われることが一般的であることを前提としているものと解されることから,映画製作者とは,自己の責任と危険において映画を製作する者を指すと解するのが相当である。そして,映画の製作は,企画,資金調達,制作,スタッフ等の雇入れ,スケジュール管理,プロモーションや宣伝活動,配給等の複合的な活動から構成され,映画を製作しようとする者は,映画製作のために様々な契約を締結する必要が生じ,その契約により,多様な法律上の権利を取得し,また,法律上の義務を負担する。したがって,自己の責任と危険において製作する主体を判断するに当たっては,これらの活動を実施する際に締結された契約により生じた,法律上の権利,義務の主体が誰であるかが重要な要素となる。(①事件(以下特に記載ない限り①事件の判決頁番号を記載)108頁、太字筆者)

「そこで,検討するに,前記(1)で認定したとおり,P2は,本件映画1の制作を企画し,スタッフの人選やテレビ局とのテレビ放映についての交渉を行っているが,本件証拠中には,上記スタッフやテレビ局と契約を締結した主体がP2であったと認めるに足る証拠はない。また,本件映画1のための資金の調達についても,本件証拠上,P2が自己の名義で資金調達をしたものと認めるに足りない。」
「かえって,甲3契約書に添付された「別紙(一)」の,本件映画1の「製作者」欄には,前記(1)のとおり,オフィス・アカデミーの社名が記載されているところ,P2がP1P2訴訟において提出した陳述書(甲45)には,「映画の著作物の“製作”というのは“作品の制作”実務のことだけをいうのではなく,企画制作を行って出来上がった作品の上映される劇場の確保等配給,又は,テレビの放映される番組の決定等『営業』,“制作費”“宣伝費”“一般管理費”等を含む『資金の負担』,『損益の責任』を持って『作品の制作』を行うことをいうのであります。これを“映画会社”,“テレビ局”に所属をして行うのではなく,私のように“個人の責任”,“個人の会社”に於いて行った場合に,“製作者”と言われるのであって,」と記載されており(43頁),同記載によれば,P2は,映画製作者の法的意味を十分に認識した上で,「制作」と「製作」を明確に区別して使用していることが認められることから,P2は,上記別紙(一)の「製作者」は「映画製作者」を意味すること,したがって,甲3契約締結に当たっては,本件映画1の映画製作者は,オフィス・アカデミーであると認識していたことが認められる。」(以上108-109頁)

「この点,P2がP1P2訴訟において提出した陳述書(甲45,46)には,「すべての責任はプロデューサー(製作制作者)である<私>が負うことになり,赤字も背負い,次のテレビシリーズの企画もなく,本当に悲惨な状態でした。」(甲45の57頁),「私は,『宇宙戦艦ヤマト』という作品について,自分が“発想”,“企画”して,自己の資金で製作を行い,且つ,制作に当たって『適正なる人材』を,その資質を理解して各部門に起用し,」(甲45の58頁),「私は『宇宙戦艦ヤマト』を劇場で上映する決意をし,これで失敗すれば私自身二度と立ち上がれなくな
るかもしれないという背水の陣で『宇宙戦艦ヤマト』の制作を開始したのです。・・・私は,完成した劇場版『宇宙戦艦ヤマト』をもって映画館を回り,上映させて欲しいと頼みました。最終的には,配給会社のない自主上映という形でしたが,東急が上映してくれることになりました。」(甲46の17頁),「低視聴率で終わり忘れられた作品を,私が辛抱強く,お金をかけて,一文無しになるのも覚悟で劇場作品として配給をして,『宇宙戦艦ヤマト』を有名にした」(甲46の40,41頁)との各記載があるが,上記記載のみからは,P2個人が,スタッフ,テレビ局や映画配給会社との契約を締結するなどの権利,義務の主体となっていたと認めることはできない。むしろ,前記アで認定したとおり,甲3契約書に添付された別紙(一)には,本件映画の映画製作者はオフィス・アカデミーである旨の記載があること,上記のP2の陳述書(甲46)によれば,オフィス・アカデミーはP2が映画製作のために設立した個人会社であると推測されるところ,このように映画製作のための株式会社が存在しているのであれば,映画製作のための各種契約は,その代表者個人で締結するのではなく,会社が主体となって締結するのが一般的であることからすると,P2の上記陳述書のうちの法的責任及び経済的負担に係る部分の記載は,P2が個人の立場ではなく,オフィス・アカデミーの代表者としての立場で記載したものと推測される。」(110頁、太字筆者)

映画製作者としての地位にあるのが「P2個人」だろうが、「P2が代表を務めるオフィス・アカデミー」だろうが、P2を味方につけてしっかり契約をしておけば本来問題はなかったはずなのに、原告(東北新社)は、なぜか「P2が代表を務める会社」ではなく、「P2個人」と契約をしていたようで、その結果、

「原告は,オフィス・アカデミーはダミー会社であり,その実態はP2個人である旨主張するが,本件においては,オフィス・アカデミーの実態等を示す証拠は全く提出されておらず,オフィス・アカデミーの法人格を否認してこれをP2個人と同視することはできない。」
「以上のとおり,本件証拠上,本件映画の映画製作者がP2であると認めることはできない。そして,原告は,映画製作者として本件映画の著作権を取得したP2から,甲3契約により,本件映画の著作権の譲渡を受けたと主張するのみで,映画製作者がオフィス・アカデミーなどP2以外の者である場合に,その者から著作権の譲渡を受けた旨の主張,立証をしていないのであるから,結局,原告の本件映画の著作権の取得は認められない。」(以上、110-111頁)

と自らの主張を全面的に退けられる結果となった。
原告に著作権の取得が認められない以上、その後の請求が成り立つ余地がない、というのは説明するまでもないことであり、かくして本件訴訟は「ゲームセット」と相成ったのである。


次の論点でも問題になるが、裁判所の事実認定によれば、原告はP2に対して実に4億5000万円もの大金を支払って「著作権」を取得しているのであり、本判決において、契約の不備を指摘され著作権者としての地位を否定されたことの衝撃はいかばかりか、と思うと同情を禁じえない。


しかも、事実認定によれば、この契約書の作成にあたっては弁護士が関与している*3


本判決における判断が、原告の「著作権者」としての活動一切を制限することになるわけではないが*4、このまま判決が確定してしまえば、松本零士氏サイドが展開する「大ヤマト」の商品化攻勢に対抗することは困難といわざるを得ず、大金を支払って譲渡を受けた目的の大半は達成されない、ということになってしまうのではないかと思われる。


契約に関与した専門家サイドの責任も問われかねない状況下で、今後、原告側がどのように巻き返していくのか注目したい。

原告は甲3契約により、本件映画の翻案権を取得したか(争点2)

争点1で原告が著作権者の地位にない、とされた以上、以下の争点に結論を左右する意味はないのであるが、本判決では「念のため」としてそれ以外の争点についても判断を下している。


その一つが、先に取り上げたP2・原告間の契約(甲3契約)において翻案権が譲渡の対象になっていたか否か、というもの。


甲3契約においては、

第1条 定義
4 対象権利 対象作品に対する著作権および対象作品の全部又は一部のあらゆる利用を可能にする一切の権利
第2条 譲渡
乙は甲に対し,対象権利および権利行使素材の所有権の一切を,本書の日付をもって譲渡し,甲は乙からこれを譲り受けた。但し,対象権利と権利行使素材のうち将来作品に関するものについては,それらの完成を条件に乙は甲に対し譲り渡し甲は乙からこれを譲り受けた。(112頁、太字筆者)

という条項が設けられていたが、ご存知のとおり著作権法61条2項は、

著作権を譲渡する契約において,第二十七条又は第二十八条に規定する権利が譲渡の目的として特掲されていないときは,これらの権利は,譲渡した者に留保されたものと推定する。」

と規定しているため、上記契約条項に「翻案権の譲渡」も含まれていると解せるかが問題になった。


この点については、消極に解する見解が有力である一方で、契約書中に特掲されていなくても翻案権譲渡を認めた裁判例知財高判平成18年8月31日)*5なども近年出されていたのであるが、裁判所は、

著作権法61条2項は)「著作権の譲渡契約がなされた場合に直ちに著作権全部の譲渡を意味すると解すると著作者の保護に欠けるおそれがあることから,二次的な利用権等を譲渡する場合には,これを特に掲げて明確な契約を締結することを要求したものであり,このような同項の趣旨からすれば,上記「特掲され」たというためには,譲渡の対象にこれらの権利が含まれる旨が契約書等に明記されることが必要であり,契約書に,単に「すべての著作権を譲渡する」というような包括的な記載をするだけでは足りず,譲渡対象権利として,著作権法27条や28条の権利を具体的に挙げることにより,当該権利が譲渡の対象となっていることを明記する必要があるというべきである。」(118頁)

という解釈を示し、原告側の「著作権法61条2項の「特掲」があったというためには,翻案権が当該譲渡の目的に含まれていることを終局的一義的文言で記載する必要はなく,翻案権も譲渡の目的に含まれていることを十分認識できる程度の記載で足りる」という旨の主張をあっさりと退けた。


そして、上記甲3契約書の記載から、

「本件映画の翻案権は,著作権を譲渡した者,すなわちP22に留保されたものと推定される。」(119頁)

と結論付けたのである。


先ほど紹介した知財高判H18.8.31などでは、契約締結時の事情が譲受を主張した側に有利に働いたのであるが、本件では

①「映像に関わる著作権を日常的に処理する業界」における「高額な対価支払を伴う著作権の譲渡契約」であったこと*6
②「契約書の草案の作成に原告側の弁護士が関与していたこと」*7
③「原告が,P3(P2から著作権譲渡登録を受けようと原簿を調査した際に、既にP2からP3に一部の著作物の権利移転登録がなされていたことが判明したため、P2との契約と平行して、原告はP3からの譲渡証書も受領している。)に作成させた譲渡証書には,著作権法27条及び同法28条の権利が譲渡対象に含まれていることの特掲があったこと」

といった事情が、余計に原告に不利に働いてしまったことは否めない。


本件契約においては、第10条で「新たな映像作品を制作する権利」がP2に留保されており、それ以外の商品化の権利(M/D権)についても別途協議とされているから、実際の甲3契約締結の過程においても、翻案権の譲渡をあえて特掲しなかった(それを理解した上で、あえてどうにでも解釈できる条項を設けた)と解する余地もあるのだが、それでも、本来手に入れていてもおかしくない権利が手元にない、という事実が白日の下にさらされてしまった原告としては、踏んだり蹴ったり、というところではないだろうか。

「なお,甲3契約により,原告が権利取得の対価として支払義務を負った金額は,4億5000万円であるが,証拠(甲4)及び弁論の全趣旨によれば,甲3契約対象作品の中に含まれている宇宙戦艦ヤマト作品は,その最初の作品である本件映画1が昭和49年に製作され,昭和58年に劇場公開された「宇宙戦艦ヤマト完結編」までの,合計8作のシリーズ作品であり,劇場公開された4本の作品は,21億円ないし43億円と巨額の興行収入をもたらし,また,宇宙戦艦ヤマト作品は,日本中に空前のブームを引き起こしたものであることが認められ,このように,甲3契約対象作品の中に,極めて著名な映画である宇宙戦艦ヤマト作品が含まれていることからすると,同作品が,甲3契約締結時においては,テレビ放映ないし劇場公開がされてから13年ないし22年が経っていることを考慮しても,甲3契約対象作品の複製権の対価が4億5000万円であることが,不自然であるということはできない。」(122頁)

というくだりが、どこか切ない・・・。

被告映像は、本件映画を複製したといえるか(争点3)

さて、ここまで原告を叩けばもう十分ではないかと思うのだが、さらにトドメを差したのが、以下のくだりである。


原告が複製権侵害と主張した部分は多数にわたるのであるが、裁判所は、一貫して

「・・・部分は、両映像にとって特徴的な表現ということはできず、この点が共通することが、両映像の同一性の判断において、大きな意味を有するということはできない。そして・・・部分の具体的な表現形式については、前記○の認定から明らかなように、大きな違いがある」

として、悉く著作物としての同一性を否定した。


確かに、アイデアがいかに共通していても、具体的な表現形式が異なれば著作権侵害にあたらない、というのは著作権法における常識的事項である。
だが、ここでの問題は、どう見ても「宇宙戦艦ヤマト」の一シーンにしか見えない被告側の使用映像*8までもが同一性を否定された、という点にある。


例えば、被告映像対比表3リーチ部分

「宇宙空間を背景に、戦艦様の飛行物体の艦首部から光線が発射される様子」
「黄白色の光は、最初は、画面の4分の1程度の大きさで、上記飛行物体の約3分の1を覆い隠していたが、その後、見る者に向かって、等間隔に5方向に分かれて、渦を巻くように放射状に拡散し、最終的には画面全体が黄白色の光で満たされ、宇宙空間は見えなくなる」

どうみても波動砲だ(笑)。


だが、裁判所は、

「本件映画対比表3部分と被告映像対比表3リーチ映像部分とは,前記(ア)のとおり,宇宙空間を背景に,戦艦全体が左斜め前方の位置から描かれている点,戦艦の艦首の発射口から黄白色の光線が発射され,その黄白色部分が拡大していく様子が描かれている点で共通している。しかしながら,前記ア(イ)で判示したとおり,宇宙空間を背景に,先端部に存在する発射口から光線を発する飛行物体を描いた映像は,特に目新しい表現ということはできず,また,艦船の全体を左斜め前方の位置から描くこと,光線を黄白色に描くこと,発射された光線が拡散していくように描くこともありふれた表現方法である。また,宇宙空間を戦艦が飛行すること自体は,イデアに属し,著作権法により保護すべき表現ということはできない
したがって,上記両映像の上記共通点は,両映像にとって特徴的な表現ということはできず,この点が共通することが,両映像の同一性の判断において,大きな意味を有するということはできない。そして,両映像のその他の表現形式や上記の共通する表現形式のうちの具体的な部分は,前記(ア)の認定から明らかなように,大きく異なる。」(133頁、太字筆者)

として、両者の同一性を否定した。


また人物を描いた部分についても、

「前記(ア)のとおり,本件映画対比表19部分と被告映像対比表19部分とは,屋内で,コート様のユニフォームを着て,軍帽を目深に被り,直立している体格のよい熟年男性が描かれている点,最初は上半身すべてが映されている映像が,徐々に顔がクローズアップされ,最後の場面では,頭,顔及び肩ないし胸の辺りまでが描かれている点,男性の顔には口髭と顎髭が生えている点,帽子は,上部が白色,下部が黒色であり,中央に金色の徽章と金色の顎紐が付いている点,コート様のユニフォームの襟は大きく,折り返された裏地部分は,白い縁取りがされた赤色である点,襟元から白いものが見える点で共通する。しかしながら,上記両映像中に描かれている男性には,前記(ア)のとおりの相違点があるが,アニメーション映画の登場人物は,顔や服装といった細部の違いから,相当に異なった印象を受けることが多いものと解されるところ,上記のような顔(とりわけ髭の分量から受ける印象)や,服装に大きな違いがあれば,別人として認識されると解される。また,その他の表現形式や,上記の共通する表現形式における具体的な表現形式において,前記(ア)の認定で明らかなように,両映像は大きく異なる」(157頁、太字筆者)

として同一性を否定している。


事件の背景に「ヤマト」をめぐる権利の錯綜状態があることを知っている裁判所としては、(松本零士氏との関係では)“正規のライセンシー”である被告に侵害の責任を負わせるのは不当だ、という意識の下で、権利取得から侵害成否判断に至るまで、徹底して原告に厳しい判断を下したのではないかと推察する。


だが、被告映像が原告映像の原図柄*9に依拠して制作されたものである、といった理由付け(被告映像対比表18部分についてのみこの理由付けが用いられている)ならともかく、「共通部分の表現がありふれている」といった理由で同一性を否定してしまうのは、(他の事件で再び問題になったときのことを考えると)あまりに無謀なのではないだろうか・・・?


本件においては、裁判所が争点2を受けて「複製権侵害」についてのみ判断する、というスタンスをとっているため、「翻案権」も含めて侵害成否が問題とされる場合には違う判断がなされる、という余地も残ってはいる。


しかし、元々「複製権侵害」と「翻案権侵害」の違いは、そんなに意識されていたわけではないし*10、同じタイプの作品同士であれば(本件では原告・被告の作品がいずれも映像作品である)、「複製」であってもある程度“同一”とされる範囲を広く捉えるのが一般的な傾向だったようにも思われる。


そんな中、原告作品と“激似”の被告作品の複製権侵害を否定するというのは、かなり勇気の要る作業だったのではあるまいか。


筆者としては、本件の複雑な事情を鑑みるにしても、争点1で原告が著作権者ではない、という判断を下して請求棄却とすれば足り、著作物の同一・類似性といった見るものの主観によって左右されるような争点は、判断を避けるにこしたことはなかったのではないかと思うのであるが、この点については識者の見解を待つことにしたい。

不競法に基づく請求の可否

これは②事件でのみ登場してくる論点で、裁判所は結局、

「上記認定事実によれば,原告は,ライセンス契約に基づいて,複数の企業に対し,原告表示等の使用を許諾していると推認されるが,これらの販売地域,販売時期,売上額等を示す証拠は全く提出されておらず,また,原告表示を付した各商品において,原告との結びつきを示すような表示があると認めることもできないから,結局,原告表示が原告の商品表示としてどの程度認識されているかを示す事情を認定することは困難であり,原告の商品表示として著名又は周知であると認めることはできない。」(199-200頁)

として、原告の主張を退けたのであるが、注目されるべきは、「P2から著名性ないし周知性を譲り受けた」という原告の主張に対する以下の判断であろう。

「商品表示の著名性,周知性については,以下のとおり,営業譲渡を伴う場合などの特段の事情がある場合を除き,原則としてこれを譲渡することはできないと解するのが相当である。すなわち,不競法は,権利の発生や変動についての一般的な規定を欠いており,また,当該権利についての登記や登録制度に関する規定も設けていないのであるから,同法は,不法行為に関する訴えの特別法として(最高裁平成15年(許)第44号同16年4月8日第一小法廷決定・民集58巻4号825頁参照),同法所定の要件を充足する保護主体に対し,差止請求権や損害賠償請求権等を認めたにとどまり,上記保護主体に,譲渡可能な差止請求権や損害賠償請求権自体を付与したものではないと解するのが相当である。仮に,同法の認める保護主体性を譲渡可能なものと解すると,同保護主体性は,性質上,重畳的に譲渡されることが十分想定され,しかも,登記や登録制度がないことから,第三者に不測の損害を与えるおそれが生じることになり,妥当性を欠くものといわなければならない。ただし,不競法によって保護される地位は,営業と一体となって構成されるものであり,当該営業がすべて譲渡されたにもかかわらず,その営業について獲得された不競法上の保護主体性は譲渡できないと解することは,経済活動の実態に合致するものではないと考えられるところ,事業の実体を伴う営業譲渡が重畳的になされることは一般的には想定し難く,また,営業譲渡に伴い不競法上の保護主体性が譲渡される場合には,譲渡人の競業避止義務の存在などにより,第三者に不測の損害を与える可能性が少ないことを考慮すると,営業譲渡がなされた場合には,当該営業と一体として構成される不競法上の保護主体性も承継されることがあり得るものと解するのが相当である。」(200-201頁、太字筆者)

「そこで,本件について検討するに,原告とP2との間の甲3契約においては,前記のとおり,原告が,P2から,平成8年9月10日以前に締結した契約の契約上の地位を譲り受ける旨の条項(1条,4条)が定められているものの,甲3契約に示された契約(別紙(二))が,P2の行っていた宇宙戦艦ヤマト作品に関する事業のすべてであったことを示す条項は定められておらず,それを認めるに足りる証拠もない。そして,宇宙戦艦ヤマト作品のキャラクターを使用した新たな映像作品を制作する権利はP2に留保され,その際の商品化権等の権利の運用については別途協議する旨の条項(10条)が定められていることからすると,宇宙戦艦ヤマト作品に関する事業全体が,P2から原告に譲渡されたとは言い難く,これを認めることはできない。
その他,本件では,営業譲渡に類するような特段の事情も認められないから,P2の商品表示の著名性又は周知性を譲り受けたとする原告の主張を採用することはできない。」(201-202頁)

この論点については「バター飴缶」事件以来、いろいろと議論されているところで、「営業主体が同一性を失っていない」のであれば差止め・損害賠償請求権者としての地位を認めるという見解が有力であるから*11、結論としては妥当と思われるが、権利付与法ではない不競法には本来馴染みにくい「保護主体性の譲渡可能性」という問題を立てた上で、ことさらに「営業譲渡」の例外的取扱いを強調することが果たして妥当なのか、という点については若干の疑問が残るところである。


以上、これからもしばらく尾を引きそうな「宇宙戦艦ヤマト」騒動。
このままいけば、「ウルトラマン」「マクロス」に続く、“3大紛争コンテンツ”の一角を占めることは間違いない。


“権利”というのは、かくも危うく人騒がせなものであることを世に知らしめてくれた、という点で、上記コンテンツが果たした役割は大きいといえるだろう。


今は、その教訓が今後の著作権政策に生かされることをただただ願うのみである(笑)。

*1:①事件については106〜111頁。②事件については101〜106頁。

*2:①事件と②事件は対象商品が異なるだけで実質的に争点は同一であるが、②事件で不正競争防止法に基づく請求の可否、という争点が加わっているのと、補助参加人P1(おそらく松本零士氏)が①事件にのみ加わっている(そのため①事件には半田正夫先生を旗印に、松田政行弁護士以下、森濱田松本の大弁護団が関与している)、というのが大きな違いであろうか。

*3:森伊津子弁護士。紀尾井坂法律特許事務所(http://www.kioizaka-law.com/list.html)。

*4:他に譲渡を受けた、と主張する者が現れない限り、テレビでの再放送など、「宇宙戦艦ヤマト」というコンテンツそのものの利用に支障が出ることはないように思われる。

*5:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060907/1157671998#tb参照

*6:知財高判の事案はソフトウェア著作権の譲渡に関する事例であった。

*7:裁判所は「このように弁護士などの法律専門家が譲受人側として著作権譲渡契約書の作成に関与する場合,譲渡の対象に翻案権も含める旨の合意が成立しているにも関わらず,その特掲のない契約書を作成し,又は,そのような契約書に署名をすることは,通常,想定し難い」(119頁)と断言している。

*8:具体的な画像については、http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/ClapHand/eid/411972に掲載されている。一連の事件の概要説明も含め、有益なエントリーだと思われるのでご関心のある方は参照されたい。

*9:松本氏(本判決では補助参加人P1)に著作権が属するもの。本判決は、「原作漫画の存在しないアニメーション映画に使用されている図柄であっても・・・完成したアニメーション映画とは別個の著作物と観念できる場合には、当該アニメーション映画の原著作物となり得る」(155頁)としている。

*10:この点を指摘するものとして、田村善之『著作権法概説〔第2版〕』117頁(有斐閣、2001年)。

*11:この問題を不競法2条1項1号の「他人」該当性の問題と捉え、上記のように解する見解として、田村善之『不正競争法概説〔第2版〕』196-198頁(有斐閣、2003年)。

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