惜しまれる死。されど・・・

昼前に突然耳にした悲しいニュース。

「人気音楽グループ「ZARD」のボーカル、坂井泉水(さかい・いずみ、本名=蒲池幸子=かまち・さちこ)さんが、東京都新宿区内の病院の非常階段から転落、死亡していたことが28日、分かった。40歳だった。」(日本経済新聞2007年5月28日付夕刊・第23面)

ネット上を徘徊すると、あちこちで「青春の一ページだった・・・」とか、「一番好きなアーティストだったのに・・・」などといった嘆き節があふれている。


だが、筆者としては複雑だ。


なぜなら、自分にとって、ZARD、というアーティストは、嫌いとまではいかなくても、決して好きな部類には入らない存在だったからで、「謎めいている」といえば響きは良いが、内実は「いつも同じような歌の使い回しで独自の音楽観が全く見えてこない」凡庸なアーティストに過ぎないように思えてならなかったからである。


にもかかわらず、何故にこれだけ多くの人が彼女の死を惜しむのか・・・。


誤解のないように言うと、筆者がこのような感想を抱くのは、決して「食わず嫌い」ゆえではない。


ZARDがデビューした91年から、「負けないで」が空前の大ヒットを記録する93年まで、彼女の歌は随分と良く聞いた。


Wikipediaに掲載されているディスコグラフィーをさっき改めて確認したのだが、デビューアルバムの「Good-bye My Loneliness」と「もう探さない」はレンタルでカセットに落としてしばらく聞いていた記憶があるし、「HOLD ME」と「揺れる想い」は、当時高校生だった自分がナケナシの金をはたいて買った貴重なコレクションの一つだった。


当時唯一の“ゴールデンタイムの歌番組”だったMステに時々登場する美人ヴォーカリスト。ロックというにはやや軽いが、ポップスというには少々愁いがありすぎる暗めのコードが印象的だったマイナーバンド。クラスでも注目している人間なんて、数えるほどしかいない*1


当時のZARDは、その程度の存在でしかなかった。


だから、そんな彼女たちが歌った「白鳥麗子」の主題歌が、年明け早々爆発的な売れ行きを見せ始めた時、「ほれ見たか」と筆者が内心で狂喜したのは言うまでもない*2


もちろん最後の歌番組出演となった93年2月のMステも見ている*3


5月のGW明けから、パワー・リクエストに乗り始めた「揺れる想い」が、高校最後の一大イベント前後の陰鬱な気分をほんの少しだけ和らげてくれたのも事実だし、夏休みには塾の夏期講習に申し込むより先に、平積みになっていた4thアルバム*4に目が行ってしまい、申し込みたかった講座を捨てたのも*5、今は懐かしい思い出だ。


・・・にもかかわらず、自分の「ZARD」に対する“こだわり”は、そのあたりで止まっている。


その後も、94年くらいまでにリリースされたシングル(「この愛に泳ぎ疲れても」とか「こんなにそばに居るのに」とか)はそれなりに耳に残っているし(一応、カラオケでイントロが流れればワンコーラスは歌える程度、か。)、コナンのテーマソングで何かの曲が流れているのを聞いて、「まだいたんか」的な思いを抱いたりしたことはあったのだが、後に残った印象は、結局それ以上でもそれ以下でもなかったわけで。


アルバムを買い続けなかった理由は簡単で、収録されているシングル以外の曲のクオリティのバラつきが激しすぎたから。そして、いくら聞き込んでも、ライブで還元できない空しさがあったから。


特に、曲のクオリティに関しては、“川島だりあ”あたりが曲を書いていた初期のアルバムはともかく、売れ始めて「軽いノリ」を前面に出すようになってからは、正直自分の好みには合わなかった、というほかない。



それなのに、


これだけ多くの人が「彼女の存在の大きさ」を語っているのを見ると、同じ時代を生きてきたはずなのに、「どこかでワープしてたんだろうか俺・・・」という感情を抱かざるを得なかったのである・・・*6



もちろん、この種の話には良くありがちなことで、彼女が亡くなった、という話を聞いた瞬間に、実家のラックの片隅に、今でも埃をかぶったまま埋もれているであろうカセットテープのことを思い出して、ちょっとした後悔を感じた、というのも、複雑さの一因にはなっているのかもしれないけれど・・・。




なお、故人のご冥福を祈るにしては、あまりに余計なことを書きすぎてしまった、と反省している筆者ではあるが、旧き時代のファンからのせめてもの罪滅ぼしとして、ZARD初期の名曲の中の一節を添えておくことにしたい。

誰のせいでもない 運命の悪戯だから
取り戻せない微笑み もう探さない
熱く生きることも ああ 少し臆病になる
あの頃のように 今は 帰れないから
〜♪「もう探さない」詞・坂井泉水


たとえ微笑みは取り戻せなくても、あなたが歌った曲は永遠に生き続ける。


そう、願ってやまない・・・。

*1:当時生番組で見た感想としては、坂井泉水の歌唱力はお世辞にも決して褒められたものではなかったし(ただ改めて過去の映像を見ると、案外悪くなかったりする。たぶん、そういう感想を抱いたのは、“歌のうまいアマチュア”に囲まれていた当時の環境に由来するのだろう・・・)、どちらかと言えば、薀蓄を語りたがるアイドルオタクどものネタにされることの方が多かったような気もする。

*2:逆にそれよりずっと前から応援していたにもかかわらず、タニムラの曲でその種の快感を味わえる日が来ることはついになかった・・・(いや、まだ現役だから分からないけど(苦笑))。

*3:さっきYouTubeで当時の映像を確認した。

*4:「負けないで」と「揺れる想い」のミリオンソング+「君がいない」と、あの年前半のヒットシングル3作が入った“大作”。まぁ、売れるわけだ・・・。

*5:小遣いを「横領」でもしなければ、あの頃はCD一枚もロクに買えなかった(苦笑)。

*6:そう言えば、昨年のヤイコ爽健美茶ライブでも、元気が出る曲の人気投票ナンバーワンは、圧倒的に「負けないで」だったらしい・・・。

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