「企業内弁護士が増えない理由」の裏にある誤解

以前ご紹介した「KTSK」氏のブログに、「企業内弁護士が増えない理由」という記事がアップされている(少し前の話になるが)。


詳細については直接ご覧いただくことをお勧めするが*1、「企業内弁護士が増えない理由」として、巷でよく言われている「企業側が経験のない弁護士を積極的に採用するとは思えない」ことと並んで、「採用される側の司法修習生としても、企業内弁護士になりたがらない」という理由を挙げ、KSTK氏ならではの冷静かつ明快な分析がなされているところに、この記事の一番の特徴がある、ということができるだろう。


「修習生」の側からの視点が強調されているのは、KTSK氏の年代ないし環境によるところが大きいのだろうが、「こう思っている人は多いのだろうなぁ・・・」という意味で、“なるほど”と感じるところもあるのは確かだ。


だが、もし、現実に「修習生」ないしその予備軍の方々が、こういった思いを抱かれており、かつこれが「企業内弁護士が増えない理由」の一つだとすれば、それは実に残念なことだと思う。


なぜなら、KTSK氏の見解の基礎になっている状況認識が、現実の「企業法務」の実態とは異なる、一種の“誤解”に基づくものだと感じられるからである。


例えば、上記エントリーの終わりの方には、

「いきなり企業内弁護士になってしまった新米弁護士は,弁護士としてこなすべき一通りの仕事ができないまま,通常の法務部員としてキャリアを積んでいくことになります。その結果,最終的には,弁護士資格の有無が意味をなさないことになるのではないでしょうか。仮に,この私の「予感」が正しいとして,そのような環境を,司法修習生の「就職先」の一つと数えてよいのでしょうか。」

といったコメントがあるが、「企業法務」の現場に実際に携わったことがある人なら、「弁護士としてこなすべき一通りの仕事」をこなすことができないほど、「企業法務」というフィールドの底が浅いわけではない、ということは、すぐに分かるはずである。


これは、最近、学生の誘い文句として、「法務」と言えば「買収防衛」とか「コンプライアンス」とか華やかそうなところをひけらかしている企業側にも問題があるのかもしれないが*2、伝統的に企業(特に事業会社)の法務部門がやっている仕事は、こういった“紙の上”の仕事だけではない*3


一般民事というジャンルに含まれるものだけ見ても、契約、不法行為、土地取引、債権回収、と守備範囲は幅広いし、雇用関係をめぐるトラブルや知財をめぐるトラブルもひっきりなしに起きている。場合によっては、不祥事対応の刑事マターで駆けずり回ることだってある。


「弁護士としてこなすべき一通りの仕事」として、どのようなものが想定されているのかは明らかではないが、上記のような会社の中で起きる法的紛争もろもろに、「弁護士」というポジションでかかわっていけば、世の中の弁護士先生がこなしているような仕事のほとんどはカバーできる、といっても過言ではない。


むしろ、最近では弁護士業界の分業化が進んでいることもあって、刑事事件を一切やったことがない弁護士や、そもそも裁判の準備書面を書いたことがない(専ら戦略法務、予防法務対応を旨とする)弁護士すらいる状況であることを考えると*4、駆け出しの頃は、企業内で経験を積むのが、仕事を覚える一番の早道ではないか、と思ったりもする*5


また、

「私は,新人として企業内弁護士になった人が,その後,他の法務部員とは異なった存在として,その独自性を発揮していくことができないのではないか,と考えているからです。」

という記述もあるが、以前にも述べたように「資格を持っている」ということ自体が、通常の企業社会では“最強のオリジナリティ”なのであるから、あとは普通にやっていれば、それだけで他の法務部員とは異なる“独自性”を持った存在にはなれる。


文字通り「資格を活かして働く」場面といえば、やはり訴訟代理人としての仕事になるだろうが、そこまで行かなくても、1〜2年堅実に仕事を積み重ねていけば、「専門家」として、リーガルチェックしかり、相談対応しかり、社内で重宝がられ、与えられる仕事の量も質も、他の同世代の“無資格者”を凌駕するであろうことは、他の士業の連中の扱われ方を見ていれば火を見るより明らかだ*6


職業人としてのキャリアは、肩書によって決まるものではなく、こなした仕事の質によって決まるもの。だとすれば、一見同じ「法務部員」でも、何年もすれば確実に他の“無資格者”とは差を付けることができるのではないかと思う*7



一方、報酬に関する指摘については、確かにそのとおり、というべきなのかもしれない。


だが、一部の大手渉外事務所を除けば“自営業主”としての色合いが濃い「普通の弁護士」が、遅かれ早かれ直面するであろう「仕事を取ってこないと食えない」という心理的プレッシャーがのしかかる環境*8と、頼まなくても仕事が回ってきて、かつ安定した報酬が支払われる、という環境(仕事を取ってこないと食えない)を比べたとき、両者の間に取り立てて騒ぐほどの“待遇の差”がある、と言い切れるのだろうか?


こればっかりは、人それぞれの価値観の違いがあるゆえに何とも言えないが、「普通のサラリーマン」であっても、専門技能があればそれなりに稼げる今の日本社会で、「資格持ち」が悲観しなければならないような状況が生じるとは到底思えないのである。



結局のところ、企業への就職を望まない修習生(ないし司法試験合格者)のうち「相応の理由」が認められるのは、(1)「裁判官、検察官志望の者」、(2)「いかなる時でも弱者の側に立つことを是とし、企業側につくことを潔しとしない者」や(3)「大手渉外事務所で若いうちから荒稼ぎして、早々に南の島でアーリーリタイアを決め込みたいと思っている者」くらいであろう。


そして、(1)はともかく、(2)のような志を持った人がそうたくさんいるとは思えないし、(3)みたいな夢を描いて実現できる輩がそうそういるとも思えない。


だとすれば、大抵の人にとっては、現実的な選択肢として、企業内で働くという途も浮かんでくるはずで、それを「望まない」実態があるとすれば、それはただの“食わず嫌い”といわざるを得ないように思われる。


以上の理由から、自分はKTSK氏の記事の後半部分には賛同できない。



もちろん、企業側の受け入れ態勢の不備や、採用意欲の欠如、という問題が残る限り、KTSK氏の指摘の半分は重要な意味を持ち続けることに変わりはないだろう。


また、入り口の壁を乗り越えたとしても、真の実力が伴うまでの間には、周囲の過大評価に苦しんだり、生え抜きの法務部員との軋轢に悩まされることもあるかもしれない*9


だが、そういった困難が乗り越えられないほど高い壁だとは思えない*10


そして、大小の差はあれど、企業の中の一種“アンタッチャブル”な存在として自分のやりたいことができる*11環境を自ら望まない手はない、と筆者は思うのである。


企業法務に限りない愛着を抱く者の一人として、法曹の卵や雛たちが、就職難解消の「受け皿」として、ではなく、よりポジティブな選択の結果として企業内で暴れる道を選択するのが当たり前になる時代が来ることを、切に願うのみである。

*1:http://kiyosakari.blog105.fc2.com/blog-date-20071113.html

*2:もっとも、これらの仕事自体決して華やかなものではないのだが。

*3:必死で企業採用をプッシュしようとしている法曹界のエライ人たちが、それを分かっているとはとても思えない現状で、一般の学生にそれを理解せよ、というのが酷なのは百も承知の上なのだが・・・。

*4:逆にクレサラ専門にやっているような先生だと、株主総会とは無縁の経歴を積み重ねていくこともありうるだろう。

*5:ついでに言えば、法律事務所に持ち込まれる「事実」は、企業の中で相当程度フィルタリングされたものであるから、世の企業側弁護士の先生方が本当の意味で「事実」に触れる機会がどれほどあるのか、は疑わしい。“生の事実”を整理して法解釈が絡むところにまで持っていく、という技能を鍛えるという点では、企業内弁護士ほど素晴しいポジションはないように思われる。

*6:資格を持った人間が10人も20人も社内にいるような時代がくれば、相対的な優位性は薄れるだろうが、そんな時代が来るまでにはまだまだ果てしない歳月を要するだろう。

*7:もし、有資格者が他の法務部員の中に埋没して、“独自性を発揮できない”事態が起きるとしたら、それは環境に起因するものではなく、本人の資質によるもの、と断定せざるを得ないのが、悲しいかな、今の日本の多くの企業の現実である。

*8:イソ弁であればその心配はないかもしれないが、今度は逆にボス弁との人間関係にやたら神経を使ったりすることもあるだろう。

*9:無資格者とはいえ、会社の中では「プロ」なのだから、激しいポジション争いをするのは当たり前だし、その方がむしろ健全だといえる。

*10:そもそも企業側が採用意欲を欠いている理由にしても、KTSK氏が挙げているような戦略的な理由以上に、「どうせ募集してもロクな人材は集まらないだろう」という資格職に対する過度の畏怖と達観、といったものが強いように思われる。バイタリティのある人間が少なくない数、企業の扉を叩くようになれば、そういった意識も自ずと変わってくるであろう。

*11:元々ラインに属しない専門職制であれば、資格の有無にかかわらず比較的やりたいことができる状況下で、誰からも「専門家」として認知される存在の社内弁護士が活躍できないはずがない、と筆者は信じている。

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