危険運転致死傷罪と業務上過失致死傷罪の間

2006年8月の博多湾車両転落事故で、飲酒運転中に3人の幼児が死亡する追突事故を起こした被告人に対し、懲役7年6月の実刑判決が言い渡された。


本件については、危険運転致死傷罪による懲役25年の求刑がなされて注目されていたのだが、福岡地裁(川口宰護裁判長)は同罪の成立を認めず、業務上過失致死傷罪と、道交法違反との併合罪として処理している。


メディアの論調などを見ると、「危険運転」罪を認めるための“ハードルの高さ”がやたら強調される傾向にあるのだが、冷静に見れば、今回出た判決の量刑も「過失犯」に対するものとしては、相当に重い。


危険運転罪」という処罰ツールが世の中に存在しなかった時代なら、ある程度評価されたかもしれない結果でも、求刑との比較においては物足りないものになってしまう、というのは何とも皮肉な話。


3人の幼い子供を失った遺族の応報感情を満たすにはこれでも軽すぎる、という意見は尊重に値するが、交通事故が「過失」犯である、という前提に立つ限り、損害の大きさと被告人側の責任の軽重を全面的にリンクさせることが必ずしも妥当とはいえないのではないか、という疑問も湧くところである。


控訴審でどのような判決が下されるのか、世論の流れとも合わせて注目されるところであるが、いずれにせよ後味の悪さは残る・・・そんな気がしてならない。

追記

一連の報道の中には、業務上過失致死傷罪は「過失犯」だが、危険運転致死傷罪は「故意犯」だ(ゆえに法定刑が重い代わりに立証も難しい)、という比較を行っているものも多いのだが、その種の論調は、誤り、とは言わないまでも、正確性を欠く議論というべきなのではないかと思う。


危険運転致死傷罪」が刑法典上「傷害の罪」の章におかれていて、傷害罪、暴行罪といった故意犯とともに並べられているのは事実であるが、同罪における「故意」は、“危険な運転をすること”それ自体に向けられていれば足るのであって、一般の人が同罪の当罰性を基礎付ける要素、と考えている傷害や死亡結果は、「よって」の後に続く加重結果に過ぎない。


そして、このような「結果的加重犯」においては、行為者が生じた加重結果を認容していなくても罪は成立するのであるから、結局のところ生じた「事故」との関係において、これが「故意犯」といえるかは大いに疑問であろう。


もちろん、「結果的加重犯」に分類される以上、「基本犯」の故意があれば一定の処罰が可能になるのは確かだが、反面、殺人罪のように「死亡結果」に対して故意が向けられている場合とは、罪としての評価も当然異なって然るべき、ということになるし*1、その意味では「危険運転致死傷罪」という新しい犯罪類型と、「過失犯」たる業務上過失致死傷罪との間に(現在の量刑相場が示すほどの)大きな差異は存在していないのではないか、という指摘もなしうるところである。


今回の車両転落事故に対し、福岡地裁が一見すると“冷淡”な判決を下した背景に、上記のような事情があるにもかかわらず、有期懲役の上限に近い「懲役25年」を求刑した検察側の姿勢(そしてそれを支持する近年の風潮)に一種の危うさを感じたから、といったところもあったのでは・・・?というのは考えすぎだろうか?


なお、立法論としては、現在直接の処罰対象になっていない「危険運転」行為そのものに対する罪を規定し(法定刑としては、懲役10年以下くらい?)、仮に事故を発生させた時点において酩酊等の状態にあったことを証明できなくても、それ以前(以後)の段階でそういった状態にあったことを証明できれば、重い刑責を負わせることができるようにする、とか*2、事故を発生させた後の救護義務違反の罪責の方を重くする*3、といった方策を採るほうが、より実効性のある制裁になるように思えるのであるが、いかがなものだろうか。

*1:さらに言えば、結果的加重犯の構造からして、罪の軽重は生じた傷害・死亡結果の大小ではなく、「危険運転の度合い」の大小で決すべきではないか?という疑問も生まれてくることになる。

*2:今回の件に関しては、それでも「危険運転」の罪では処罰できなかった可能性が高いようだが・・・。

*3:もっとも、期待可能性の観点からして、責任を重くすることが許容できるのか?という問題は残るが。

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