T大法学部女子クオリティ

日曜の朝にしては珍しく早起きをしてテレビを付けたら、フジテレビの「ボクらの時代」という番組に、赤松良子(元文相)=住田裕子(弁護士)=鈴木重子(ジャズシンガー)の三氏が「T大法学部出身女性」の括りで登場していた。


三氏が、当時をいろいろ回想しながら語っているのを聞いて、「今も昔も・・・(以下自主規制)(笑)」と微笑ましく眺めていたのだが*1、冷静に考えると、この中で一番若い鈴木重子氏でも、在学期間は昭和58年*2〜昭和63年・平成元年くらい*3


平成一桁後半世代の人間から見ても、少なからず驚きを感じる(特に女性比率の高さをや!)様変わりした今のキャンパスに、彼女たちがどのような思いを抱いているのか、聞いてみたかった気がしないでもない。


ちなみに、平成に入ってしばらく経った頃には、クラスに女子が1,2名、なんて状況はさすがに存在していなかったのだが、それでも女性にはなぜか(学内でも)“優秀な”という形容詞が付けられることが多かった(卒業してからは「T大卒の優秀な才媛」になる(笑))。


冷静に考えれば、同じ集団に属していても、できる人間もいればそうでない人間もいるのは性別問わず当たり前の話。


中には明らかに能力に比して過大なレッテルを貼られていた人もいたりして、筆者としては、彼女たちに対して半ば同情を禁じえなかったのであるが、それでも、それから何年も経ってくると、「レッテル」に応えるべく努力して、本当に“優秀”と言っても差し支えないくらいの活躍をしていたりする人もいるから、世の中面白い*4


数百人のオーダー(というと言いすぎか)で女子学生を抱える今のキャンパスで、女子に対して盲目的に“優秀”とのレッテルが貼られることはもはやないだろう、と思う*5


極端な過少評価や過大評価を受けることもない代わりに、拠って立つ“レッテルじみたブランド”も失われつつある今。


それがいいことなのか悪いことなのか、答えが出るまでにはもう少し時間がかかるのだろう。きっと。

*1:特に「男子」をコケにするあたりw。君らが言・・・以下自主規制)。

*2:テレビに映っていた入学式の写真で判明。

*3:プロフィールを見ると「司法試験に3度挑戦」とあるから、大体こんなものだろう。

*4:「優秀さ」と「有能さ」は似て非なる概念で、概して世の中では、「優秀」というレッテルは、世の中では、別の欠点を強調するための“暗喩”として使われることが多い(「君は優秀だね」と言われて喜ばなくなって初めて、本当の意味で社会人になったといえる、と言ってもよいくらい(苦笑))のだが、中には、そんな“優秀さ”をディスプレイして、華麗なる転身を遂げる人もいる。特に女性にはその傾向が強いように思う、なんていうと、ただの偏向オヤジのように思われてしまうかもしれないがw

*5:合コンで学歴トークして“引かれる”現象が止むかどうかは筆者の知る限りではないが(笑)。というか引かれる理由を見誤っ・・・以下自主規制)。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html