「竹島委員長の10年」と公取委の行く先

ちょっと前の話になるが、公正取引委員会竹島一彦委員長が退任される、というニュースがあった。
2002年の就任以来、在任は実に10年2か月。

前任の根来委員長が、就任時、元東京高検検事長の肩書きで注目を集めていたのに比べると、「旧大蔵省ルートの人事が復活した」(元国税庁長官から内閣官房を経て就任)ということ以上には大きな話題になっていなかった、というのが就任当時の状況だったと記憶しているが、気が付けば歴代最長の在任年数を重ね、「公取委の機能強化」という実績面でも大きな足跡を残した人物として、歴史に名を刻むことになった。

日頃から機を見るに敏な日経紙は、7日付の日曜版紙面で、わざわざ一面を割いて、「竹島委員長退任、独禁法強化の10年」という特集を組んでいる。

独占禁止法の強化で談合の摘発に力を入れ、『ほえない番犬』とやゆされた組織を『ほえる番犬』に脱皮させた。」(日本経済新聞2012年10月7日付朝刊・第11面)

というリード文に始まり、「28年ぶりの抜本改正となった2005年の独禁法改正」(課徴金水準の引き上げ、再犯加重、リーニエンシー導入等)を成し遂げたことや「課徴金総額が10年で10倍になった」という事実を挙げて、最大限の賞賛を送っている姿には、日頃の独禁法関連の話題に関するこの会社の報道姿勢と合わせて、複雑な思いを抱かざるを得ないのだが(苦笑)、近年、公取委の法運用に厳しい批判を浴びせることが多い経済界からも、

「(摘発強化など)なし遂げた実績をみても、出色の委員長だった」(経済同友会の長谷川閑史代表幹事)

という声が上がっているようだから(上記記事参照)、やはり、行政委員会の長としての手腕には、一目置かざるを得ない何か、があったということなのだろう。


確かに、就任の時期と「事前規制から事後規制へ」と世のムードが動いていた時期が重なる、という追い風に恵まれたとはいえ、在任中に平成17年改正、平成21年改正、と二度にわたり、公取委のエンフォースメント強化に向けられた法改正を行うことができたのは、竹島委員長の官邸や国会に向けての“発信力”によるところも大きかったのだろうし、行政組織全体を小さくしていこうとする潮流の中で、組織の規模を拡充し、実際にできたルールを最大限活用して実績を上げ続けた背景には、“ぶれなかったトップの姿勢”もたぶんに影響したものと思われる。

例を挙げればきりがないが、相次ぐ談合事件の摘発、そして行政処分のみならず刑事告発も辞さない公取委の強硬な姿勢は、「カルテル」に対する企業の意識を確実に変えたし*1、「リーニエンシー」(自主申告減免)制度は、“ムラの中の調和”で成り立っていた各種業界の姿を大きく変容させた*2

記事にも書かれているように、「公取委内で事実上完結していた手続きをより公平な司法機関に委ねる」という法改正は結局積み残されたままで、後々“いいとこどり”したまま去った、という批判を浴びることもあるのかもしれないが*3、この10年間で積み重ねられた一つ一つのエピソードの重さを考えると、そう簡単に、公取委の今のポジションと竹島前委員長への評価がひっくり返ることはないだろう、というのが、自分の見立てである。


もっとも、どんな組織でも、永遠に追い風が吹いて組織拡充を続ける、ということはちょっと考えにくい。

この10年間は、存在感が希薄だった公取委、という一官庁が、任期付公務員や中途採用者を含む多くの優秀な人材が殺到する機関になっていった歴史と重なる*4

しかし、何かのはずみで逆風が吹き、竹島委員長のもとで強化され続けた公取委の権限が、法令上、あるいは運用上、縮小方向に向かうことになった時に(あるいは、これ以上新しい領域に踏み入れることができないマンネリとした状況が長期間継続することになった場合)、“膨らみ過ぎた執行体制”がどういう帰結を招くか、ということは、今からでも気になるところである*5

とかく、ターニングポイントを迎えた組織では、進むべき道を見失った人々の「自己保身」的な本能が働きがちになるわけで、もし、“ノルマ”をこなすために、無理筋での立件が相次ぐような事態に陥ったり、「形式的なルール違反」を必要以上に執拗に攻め続けるような状況に陥るようなことになってしまったら、それこそ、この「竹島委員長の10年」が、かえってこの国に弊害をもたらした、という声が出てきても不思議ではないだろう、と思う。

また、そうでなくても、「既に出来上がった組織」を率い、「ほぼ完成されたルール」を用いながら、独禁法の適用をめぐるこの先の変化に対応していかねばならない、という、10年前とは異なる、ある意味難しい宿題に直面しなければならない新委員長にとって、あまりに偉大な前任者と比較される、ということが、かえって取りうる選択肢を狭め、極端な路線に向かわせないか、というのも気になるところ。

今は、国会審議が“空転”しているおかげで、いつまで経っても後任人事が発表されない、という異例の状況のほうに世の中の懸念が集中しているが*6、むしろ、そういった状況を脱した後のほうが、より難しい問題が待ち構えているように思えてならない。

「10年後の公取委の姿」など、今の時点では全く想像もつかないのだけれど・・・。

*1:それでも、まだ意識が変わっていない業界&人々が残っているのは事実だが、そういった人々も表立って“談合必要説”を唱えるのははばかられるような世の中になったのは間違いない。この点は“暴排”とも通じるものがあるように思う。

*2:もっとも、この点については、「法律が意識を変えた」という見方は必ずしも正しくなく、むしろ、「法意識」とか「ムラ意識」という言葉で表現されていた日本社会の“特徴”が、ただの“神話”でしかなかったことが明らかになっただけ、という見方の方が正しいのではないか、と思うところである。その意味で、リーニエンシーは壮大なる社会実験でもあった、というべきなのかもしれない。

*3:もっとも法案が通らなかったのは、“政治家の事情”という側面も大きいから、公取委の事務方に批判を向けるのは必ずしも正しくないだろうが。

*4:公取委の人材確保に向けた努力には並々ならぬものがあったと思うし、金融庁等と並んで、そのような取り組みが良いサイクルとして機能している(組織の外に力のある理解者を作り、さらにその人物の影響で優秀な人材が組織を目指すようになる・・・)、というのが実態だと思う。

*5:一度膨らんだ組織をもとの形に戻すのは容易なことではないから、必然的に行き先を見失った組織が無駄なことをし始める&暴走し始める、というのが、これまでこの国で繰り返されてきた歴史である。

*6:おそらく、実質的には既に決まっているのだろうが、「事前報道NG」という珍妙なルールが作られてしまったおかげで、なかなかそれが表に出てこない。

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