「ネット配信促進策」をめぐる議論への疑問

日経新聞の「法務インサイド」欄で、岩倉正和弁護士と松田政行弁護士が“ガチンコ”勝負を繰り広げている*1


かたや、コンテンツ流通促進のための「ネット法」を提唱する岩倉弁護士と、あくまで国際条約等に則り、権利者の「自主的な契約促進」にコンテンツ流通のための活路を見いだそうとする松田弁護士。


一見すると、両者の意見には相当な隔たりがあるように思える。


・・・だが、冷静に考えるとそうでもない。


岩倉弁護士は、

「俳優や作曲家などの権利者にネット配信の了解を得なくても、作品を自社で配信したりネット事業者に配信させたりできるようにする」

スキームを提唱する一方で、

「代わりにネット権者は、権利者らに収益を公正に分配する義務を負う」

ことも同時に述べられている。


一方、松田弁護士は、

「法律で強制的に権利を一本化し、作曲家や俳優などが現在持つ他者の利用を了承・拒否する権利(許諾権)を奪うのは、知的財産に関する国際条約などに違反する可能性が高い。」

と述べつつも、管理事業者に著作物に係る権利を一本化して扱わせ、

「新しい映像の管理事業者は、登録された番組や映画について、作品中の音楽など個々の著作物も含めて利用許諾や収益の分配ができるようにする。」

というのだから、少なくとも“お金の流れ”に着目する限りは、そんなに岩倉弁護士の主張とも違いはないのである。




そうはいっても、著作権者や隣接権者に「許諾権」があるとないとでは、大きな違いがあるではないか・・・という意見が出てくるかもしれない。


だが、“権利者の許諾が得られなくて有償配信ができない”コンテンツが、世の中に一体どれだけ存在するというのだろう?


仮に、現行法で認められた許諾権が実演家等に残されたままであったとしても、正当な対価が還元されるのであれば、それに異を唱える者は極々限られた人々に留まるはずで、コンテンツ流通を阻害するほどの障害になるとは到底思えない。


結局のところ、現在コンテンツ流通が進まない最大の理由は、放送局や映画制作会社が、二次利用に伴って追加的に発生するコストに見合うだけのメリットを見いだせていないことにあるのであって、そのような懸念を解消できるようなビジネスモデルが提唱されない限り、上記いずれの立場に拠ったとしても、コンテンツ流通は到底進まない、というほかない*2


今後、「コンテンツ流通促進」のための法制度の在り方をめぐる議論は、ますます華々しさを増していくことになるだろう。


しかし、いかに緻密な制度設計を行っても、現実のビジネスにおいて、それに伴うメリットが理解されない限りは、“絵に描いた餅”に終わるのはいうまでもないことである*3



そういった事情を看過したまま議論を続けても、空しいだけだ、と筆者は思う。

*1:日本経済新聞2008年4月7日付朝刊・第21面

*2:なお、「仮に法律で俳優らの許諾権を強制的に取り上げても、番組、映画を作る際の契約で『ネット配信については別途交渉する』との一文を入れられると、権利者の意に反した流通はできなくなる。」という松田弁護士の指摘は確かにそのとおりで(「ネット法」なるものにある種の強行法規性を持たせるのであればともかく、そのような強烈な立法が著作権法の世界で現実に導入できるとはとても思えない)、その意味で上記論争でいずれに分があるか、と問われれば、筆者は松田弁護士の側に軍配を上げざるを得ない。

*3:逆に、ビジネス上のメリットが理解されるようになれば、制度なんて整っていなくても自主的なスキームが組みあがっていく、というのもまた真実であろう。