「定員削減」という処方箋への疑問。

「新司法試験」システムの危機が叫ばれて久しいが、その打開策として制度スタート当初から一部で唱えられてきた「入学定員削減」という“切り札”が遂にあちこちの法科大学院で現実化する兆しを見せている。

「全国74校の法科大学院のうち9割近い65校が2011年度までに入学定員の削減を検討していることが1日、法科大学院協会が公表した調査結果で分かった。削減率は20%前後が中心だが、40%以上の削減を検討している大学院が6校あった。同協会は同年度までに現行の総定員数(5765人)の2割弱に当たる約1000人が削減されると推計している」
日本経済新聞2009年6月2日付朝刊・第34面)

「新司法試験の合格率が低い」→「法科大学院の魅力がなくなる」→「法科大学院入学希望者の減少=質の低下」という負のスパイラルが実際に存在するのだとすれば、

「総入学定員を減少させることによって、(各ロー及び全体の)合格率を引き上げる」

という戦略は、「法科大学院の8割が大幅な定員割れに直面している」という厳しい状況を打破するためのひとつの処方箋として、有効なものといえるのかもしれないが・・・。




個人的には、法科大学院の人気が低迷している理由は、「新司法試験の合格率が低い」ことだけにあるわけではないと思っている。


そこには、「法曹資格」そのものに対する悲観的な見方*1が根強くなっていることも影響しているだろうし*2、それ以上に、そもそも法科大学院に行くことの“意味”を(巷のビジネススクールや社会人大学院ほどには)世の中にきちんとアピールできていないことが大きいのではなかろうか。


専門職大学院”という性質上、法科大学院に行くことが特定の資格取得を連想させることは避けられないとしても、「大学院」という高等教育機関に行く意味は、決してそれだけにとどまるものではないだろう。


世間で“一流”と思われているような規模の会社であっても、法のあり様をしっかりと理解し、しっかりと使いこなせる社員は驚くほど少ない。ましてや、中小企業、ベンチャーNGO、町内会、となればなおのこと・・・。


少なくとも我が国においては、これまで、「有資格者」以外の人間も「法律家」としての役割を立派に果たしてきたし、これからもその状況が大きく変わるとは思えないわけで*3、そういった裾野層のレベルアップを図るための機関として法科大学院というハコを再定義するなら、(当初の理念どおりの教育が行われている限りにおいては)まだまだ魅力的な機関だと思うのだ*4


にもかかわらず、「新司法試験の受験資格」という羊の頭をぶら下げるばかりで、中の肉がどんなものなのか、それを食らうとどんないいことがあるのか(単に資格が取りやすくなる、ということ以外に)、制度設計者も教育スタッフも中にいる学生も、あまりに無自覚なままここまで来てしまったがゆえに、今の“惨状”があるのではないかと自分は思っている。


そして、その点を見直すことなく入り口をいたずらに狭めたところで、“質の低下”という本質的な問題の改善にはつながらないし、元々教育体制に定評のある法科大学院まで定員を減らしてしまうことで、かえって「法律家」の裾野を狭める事態に陥ってしまうように思えてならない*5



繰り返しになるが、「有資格者」だけが「法律家」(=「法の担い手」)ではない。


いま必要なのは、そのことを念頭に置いた冷静な検討だと思う*6

*1:最近の話題は、就職が厳しい、とか待遇が・・・とかいった暗いニュースばかりだ。

*2:この点については、いまだ“風説”の域を出ていない、と自分は思っているが。

*3:いかに司法試験の合格者を増やしたところで、現在の「非資格者」が支えている法律業務をすべて賄いきれるとは到底思えない。

*4:現に、(司法試験の存在はとりあえず脇に置いて)キャリアアップの一手段として法科大学院を使っている社会人出身者も、最近はよく見かける。

*5:いろいろ事情はあろうが、「東京大や京都大は4月、2010年度から定員を2割削減する方針を明らかにしていた。」といった話を聞くと、遺憾を通り越して情けない気持ちになってしまう・・・(京都の方はどうだか知らないが、学部定員を減らして、社会人向けコースも潰して、その犠牲の上に出来上がっているT大ローが、安易に定員削減の方向に舵を切るのはいかがなものかと思う)

*6:もし、「法科大学院」をあくまで法曹養成(のためだけの)機関をして位置づけ続けるのであれば、裾野を狭めないための何らかの方策(いわゆる“専修コース”的な過程を拡充する等々)をローの定員削減とセットで導入するような工夫も必要だろう。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html