日経夕刊のコラムには、時々微笑ましいコラムが載っていたりするのだけど、この日も「大学生求ム食べ友」という見出しで、いまどきの学生事情を紹介する記事が載っていた。
「友達がいないと思われるから、1人で昼食を取るのは苦痛‐。キャンパス内で一緒に食事をする「食べ友」の不在が、大学生たちを悩ませている。中には授業を欠席する学生もいて、大学側はあの手この手で彼らの支援に動き出した。」(日本経済新聞2010年5月18日付夕刊・第13面)
ま、そんなわけで、“一緒にご飯を食べるお友達”を作るための取り組みを、大学生協やら学生寮やらが行っている、という事例が紹介されているのだが・・・
最近の若いものはなんて軟弱なんだ! 嘆かわしい!
なんてことは言うまい。
自分らと同じかそれより上の世代でも、学生時代から「つるんでメシを食いに行かないと落ち着かない」って人たちはいたし、未だにそれを職場等で引きずっている者もいる。
それに、記事の中で紹介されているアンケートでは、「平日に昼食を1人で食べる大学生(全体の37%)」のうち、その理由を「誰も誘ってくれない」と回答したのは僅か14%で、「自由に過ごしたい」という回答(56%)の方が明らかに多い*1。
そもそも昼食の時間帯にまともにキャンパス内で活動していた記憶がほとんどない自分*2とは違って*3、今の学生の方々はたぶんもっと真面目に学校で活動しているのだろうから、その分“昼食の悩み”を抱える人も(相対的に)増加しているのかもしれないが、それでもそんなこと気にしないで“一人メシ”の時間を楽しんでいる人はそれなりにいる(全体の5分の1くらいか)、というのは、まァ健全なことだと思う。
かくいう自分は、中高時代は一人で早弁がっついて昼休みの時点では既に食べるものがない(!)というタイプの人間だったし、学生時代にたまにお昼の時間帯にキャンパス内をうろつくようなことがあっても、淡々と一人でメシを済ませるのが常だった。
自分の場合、元々、子どもの頃からメシを一人で済ませるスタイルが身についていたし、そもそも他人と目的もなくつるむのが許せない(笑)、という性格も影響しているのだが、それに加えて、
「諸々のわずらわしいことから一瞬だけ逃れて、心身をリフレッシュさせることのできる貴重な時間を他人のペースで乱されるのはかなわん」
というのが大きかったのは間違いない。
純粋に息が抜ける、というのもあるし、机やパソコンの前にしがみついていたら絶対に湧いてこないようなアイデアが、メシを食っている時にパッと湧いてきた、なんてことも一度や二度ではない。
それゆえ、自分にとっては、悪意のない友人の他愛もないおしゃべりに毎日お付き合いするより(それが必要な時もあるのは否定はしないけど)、周囲から切り離された“一人の時間”を作ることの方がよっぽど大事だった*4。
いずれ社会人になれば、“付き合い”とか“職場の親睦”とかいう名の下に、小学校の給食ばりに集団でメシを食う機会は否応なく与えられる(というか半ば強制される)。
もちろん、中には毎日一人で河原で弁当広げてるようなツワモノもいるけど、一般的な内勤職場に勤めていると、やっぱり昼食時に周囲にフェイントかけて“一人メシ”の時間を確保するには、それなりに骨が折れる*5。
それを考えると、“一人メシなんて嫌”なんてうじうじしている学生さんには、一人でメシを食ってもせいぜい「友達がいないと思われる」程度の不利益しか生じない学生の時分に“一人メシの自由”を謳歌しないでどうする、と余計な忠告をしたくもなってしまうのだ。
志高い若き方々には、是非とも「食べ友」とか「ミル友」などといった誘惑に負けることなく、貴重な「食事」の時間を大切に使っていただきたいものだと思っている
(↑ま、この辺は冗談半分に聞いていただければ良いのだけれどw)。
ちなみに、この記事を書きながら、学生の頃、四六時中「昼夜寝」まではともにした仲間は結構いたが、「食」に関しては、みんな個別行動を取ることが多かったかなぁ・・・(お祝いやら節目やらの「飲」モードのときは、むしろ徹底的に集まってたけど)というのを何となく思い出していた。
“類友”ってことだったんだろう。結局。
*1:それゆえ、“現在の一般的な若者の行動”を描く目的でこのコラムが書かれたのであれば、明らかにミスリードな内容になっていると思う。
*2:「自分ら」と書こうとしてちょっと躊躇してやめた(苦笑)。
*3:その時間帯は通常深い眠りの真っただ中で、人並みに動き始めるのは正規のコマが終わるか終らないかくらいの時間帯(15時〜16時くらいか)だったと記憶している。
*4:そして、そのポリシーは今に至るまで受け継がれている(ブログのネタだって、8割はメシ食ってるときに浮かんでくる(笑))。
*5:自分は結構昼食時間の前後に外出予定を入れる、という戦法を多用していたが、そこまでしても、運が悪い日は他の外出者の“他愛もない話“に付き合わされることになる(苦笑)。