5年を一区切りと考えれば、節目の年に当たる今年の終戦記念日だが、例年以上に静かに過ぎ去っていってしまったような気がする。
これが時の流れ、といえばそれまでなのだが、せめて年に一度くらいは思いを巡らせてみる必要があるだろう、ということで、8月に入ってからこの日に向けて、浅田次郎氏の↓の最新刊を読んでいた。
- 作者: 浅田次郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/07/05
- メディア: 単行本
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浅田氏はあくまで小説家であってノンフィクション作家ではないから、上記作品も、ルポルタージュでも“戦史”でもない、ただのフィクションに過ぎない、ということは最初に断っておかねばなるまい。
そして、本作品が、「背景設定のある程度の部分までは、丹念な取材に基づく(であろう)細かいディテールが描かれていても、途中から作者の強い思い入れが前面に出て、最終的にはフィクション&ファンタジーの世界に落ち着くことが多い浅田氏の作風」を象徴するような作品であることにも留意する必要はあろう。
小説の手法としては有効なこの手の手法も、使われている素材がセンシティブなテーマの場合には、読後感を微妙なものにするのは否めないわけで、本作品に関しても、上巻の終盤から下巻にかけて、“ファンタジー色”のあまりの強さに当惑せざるを得なかったのは事実である*1。
終戦間際で、大戦の勝敗の帰趨もほぼ見えていた時期、という特殊な時代設定があるとはいえ、登場するすべての人物に(結果的に相対することになるソ連兵にまで)、“厭戦””反戦”的な感情を露呈させ、行動させているあたりは、これを“ファンタジー”と言わずに何と言おう・・・*2。
もっとも、そういうところを離れて、本作品の場面場面を見れば、いろいろと思うところもある。
例えば、大本営参謀のやり取りから始まり、聨隊区での人選、召集令状の送達を経て、一人の人間が兵隊として動員されるまでの一連の流れ。
この流れは、現代における会社内での異動辞令発付までの流れともほとんど変わらないわけだが、このエピソードは、誰一人いかがわしい私心を挟むことなく自らの職責を忠実に遂行しても、根底的な目的自体が誤っていれば、最終的にもたらされる悲劇が甚大なものになってしまう、ということ、そして、世の中で今動いているシステムの「目的」さえ変えてしまえば、現在の世の中の仕組みをそんなにドラスチックにいじらなくても、再び“悲劇”を大量生産する世の中に戻すのは簡単だ、ということをうかがわせるものであるわけで、身に染みて考えさせられるところは多い。
国家指導層から末端の市民に至るまで、判断の当・不当の問題として括られるような事象は多々あったとしても、善・悪の価値基準で語られるような(少なくとも明確に「悪」と分類されるような)判断・行動は存在しなかったんじゃないか、というのが、先の大戦に関する歴史的事実に接するたびに自分が抱く感想である。
だが、そう考えると、「悲劇の時代」と「平和な現在」との敷居は、想像以上に低いんじゃないか、と思えてくるわけで・・・。
“万が一”に備えて、悲劇の連鎖を防ぐために何ができるか。
それが、自分がこの先何十年と考えていくべきテーマになる・・・。
そんな気がしている。