原発賠償の新しい展開。

最初に「一律100万円」という話題が出てきた時に、もしかしたら・・・と思ってはいたのだが、予想以上の展開になりそうだ。

日経紙に掲載された、原子力損害賠償審査会・能見善久会長(学習院大教授)の単独インタビューより*1

「99年の事故は3日で終わったが、今回は1カ月たっても収束していない点が違う。審査会で議論するが、長期の避難生活の苦痛は認められるべきだし、むしろ損害の中心ではないか

平成11年のJCO臨界事故において、「原子力損害調査研究会」が「精神的苦痛」(精神的損害)を賠償範囲に含めなかった、ということをインタビュアーに指摘された後に出てきた答えが、↑である。

確かに、これだけ事故のインパクトが大きく、かつ影響を受ける期間が長期化すると・・・という思いは、自分にもあったし、東電が各世帯一律に仮払補償金を支払った時も「避難にかかった費用」だけでなく、「精神的苦痛への賠償」を考慮してのことなんだろう、というのは感じていた*2

だが、紛争審査会の会長が「損害の中心」とまで発言されたとなると、今回の“原発賠償”が従来考えられていたそれとは大きく異なるものになっても不思議ではない。

12年前、「研究会」が最終報告書において「請求者側に特段の事情がない限り、『精神的損害』は損害と認められない」とした理由は、以下のようなものであった。

「身体傷害を伴わない精神的苦痛の有無、態様及び程度等は、当該請求者の年齢、性別、職業、性格、生活環境及び家族構成並びに人生観、世界観及び価値観等の種々の要素によって著しい差異を示すものである点からも、損害の範囲を客観化することには自ずと限界がある。このような性質を有する身体傷害を伴わない精神的苦痛の申し出に対し、仮に一律の基準を定めて賠償の適否を判断しようとする場合には、ともすれば過大請求が認められる余地を残してしまう可能性があるとともに、他の損害項目に対する賠償との間でも不公平をもたらす可能性がある。」

↑で指摘されたような問題は、今回の事故でも何ら変わるところはないだろう。だが、今回は精神的損害の賠償に係るそのような“難点”を捨象して賠償指針の中心に据えようとしている・・・。

そのことの意味は大きい、と言わざるを得ないのではなかろうか。

なお、上記記事における能見会長の発言には、

(22日の2回目の審査会について)「まず事故との関係が明確な損害を第1次指針にまとめる。政府の避難指示による移動、宿泊の費用、避難生活の精神的苦痛などは賠償の必要が明白だ。農家や企業は出荷制限による営業損害、一定範囲の風評被害などだろう」

「対象を決めるだけでは不十分。迅速な補償のために『手続き指針』も定めたい。被害者の資金繰りが逼迫しているなど、緊急性の高い場合は東電に仮払いさせると指針で明記する。被害額の何%と仮払いの目安を示すのも一案だ」

といった、次回以降の進行に言及したものもあるし、

「事業者は被害額も大きく異なるので、一律100万円という形は取れない。・・・今回も半額が適当かどうかは議論になるだろう。」

という事業者に対する「仮払い」の運用に言及したものもある。

そして、個人的に最も気になっている、“将来的な健康被害”と“風評被害”については、以下のような発言が掲載されている。

「第1次指針の後に、2次、3次の指針で整理したい。放射線健康被害は数十年後に表れることがあり、事故との因果関係が特定しづらい。風評被害は広くとらえれば際限がないが、どこかで線を引く必要がある原発事故が収束しておらず難しい面もあるが、いつまでも議論できない。7月には全ての指針をまとめる

健康被害」については、極めて慎重な発言。そして、風評被害については、思い切った“線引き”をにおわせるような発言である。


賠償責任の主体論にほぼ決着が付きつつある今、これからの議論の最大の焦点が「損害賠償の範囲」になってくるのは間違いない。

果たして、僅か3ヶ月、という短い期間で、利害関係者の多くを納得させるような指針を紡ぎあげることができるのか。
油断していると、あっという間に後手後手になってしまうような気もするだけに、これからの議論の行方に注目したいところである。

*1:日本経済新聞2011年4月21日付朝刊・第4面。

*2:「避難費用」だけを損害と考えれば、一律の支払いにより、一部に過払いが生じる可能性もあるのだから・・・。

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