古典的発想からの脱却

ちょっと前まで、最高裁の判決と言えば、「消費者保護にとって画期的な」というフレーズが良く似合うものが多かった。

傍から見ていると、必要以上に肩入れし過ぎているんじゃないか、とも思いたくなるような動きもあり、過払い金に関する一連の判例や、学納金返還訴訟に関する判例など、思い切った判断が出されるたびに様々な評価が乱れ飛んだものだった。

だが、そんな中、最近潮目が変わってきたんじゃないか・・・、という巷の噂を裏付けるように、(逆の意味で)画期的な判決が先日出されている。

テーマは「敷引特約の有効性」。

以下、最高裁の“変身”ぶりを象徴するような判決を、関連判決と合わせて紹介することにしたい。

最一小判平成23年3月24日(H21(受)第1679号)*1

関東圏で暮らしている人間にはあまり馴染みがないのだが、西の方に行くと、居住用建物の賃貸借契約の中で「契約締結時に差し入れた敷金から明け渡し時に一定の金額を控除する」ことを前もって定めておく「敷引特約」が良く活用されている、というのは良く知られた話だ。

そして、消費者契約法制定以降、消費者保護に非常に敏感な京都・大阪の弁護士が中心となり、

「敷引特約は消費者契約法10条により無効」

という主張を掲げて、多数の訴訟が提起されるようになった、というのも業界においては有名な話である。

そんな一大論点に、最高裁として初めての判断を下したのが、今年3月の第一小法廷の判決だった。

もっとも、判決の中で認定された事実関係を見ると、

平成18年8月21日 建物賃貸借契約締結
 約65.5平米 賃料月9万6000円 保証金40万円
平成20年4月30日 建物明け渡し

(契約条項)
「上告人が本件建物を明け渡した場合には,被上告人は,以下のとおり,契約締結から明渡しまでの経過年数に応じた額を本件保証金から控除してこれを取得し,その残額を上告人に返還するが(略),上告人に未納家賃,損害金等の債務がある場合には,上記残額から同債務相当額を控除した残額を返還する。」
経過年数
1年未満 控除額18万円
2年未満 21万円
3年未満 24万円
4年未満 27万円
5年未満 30万円
5年以上 34万円
「上告人は,本件建物を被上告人に明け渡す場合には,これを本件契約開始時の原状に回復しなければならないが,賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる損耗や経年により自然に生ずる損耗(以下,併せて「通常損耗等」という。)については,本件敷引金により賄い,上告人は原状回復を要しない。」

と、差し引かれる敷金の額は賃料等に比して決して大きな額ではないし、しかも通常損耗等の分も全部含めて差し引く(要はシンプルに原状回復費として敷引金を使う)というのだから、賃借人にとってもそんなに悪い話ではない。

それゆえ、第一小法廷が、本件特約について、「消費者の権利を制限し、又は消費者の義務を加重するものである」という消費者契約法第10条の要件の一つの充足性を認めつつも、「信義則に反して消費者の利益を一方的に害するものである」というもう一つの要件充足性を否定し、原審判決を維持して賃借人側の敷金返還請求を退けたことに、さほどの違和感はなかった*2

だが、先日出された敷引特約の有効性に関する第三小法廷の判断は、第一小法廷のそれとは違う、より踏み込んだものだったように思う。

最三小判平成23年7月12日(H22(受)第676号)*3

本件で、判断の基礎となった事実は、

平成14年5月23日 建物賃貸借契約締結
 賃料月17万5000円→交渉により17万円に減額
 保証金100万円 契約上の敷引金額は60万円
平成20年5月31日 契約終了、6月2日明け渡し

というもので、元々の賃料が高いことを考えれば、敷引金の額自体はさほど突出したものではない。

だが、本件の賃貸借契約では、敷引金に加えて原状回復費用等についても実費を別途控除する、という建てつけになっており、現に明け渡し時には、原状回復費用として敷引控除された60万円以外に、20万8074円が差し引かれている。

その意味で、本件の敷引金には、単に「通常損耗分」と割り切ることのできない不思議な意味づけが付されていたのであり、その分、「消費者の利益を一方的に害する」ものとみられる余地も十分にあったように思う(実際、原審大阪高裁は、賃借人の主張を認め賃貸人に64万4078円+遅延損害金の返還を命じている)。

しかし、第三小法廷の多数意見は、以下のように述べて原審判決を破棄し、敷引金の返還を認めなかった。

「本件特約は,本件保証金のうち一定額(いわゆる敷引金)を控除し,これを賃貸借契約終了時に賃貸人が取得する旨のいわゆる敷引特約である。賃貸借契約においては,本件特約のように,賃料のほかに,賃借人が賃貸人に権利金,礼金等様々な一時金を支払う旨の特約がされることが多いが,賃貸人は,通常,賃料のほか種々の名目で授受される金員を含め,これらを総合的に考慮して契約条件を定め,また,賃借人も,賃料のほかに賃借人が支払うべき一時金の額や,その全部ないし一部が建物の明渡し後も返還されない旨の契約条件が契約書に明記されていれば,賃貸借契約の締結に当たって,当該契約によって自らが負うこととなる金銭的な負担を明確に認識した上,複数の賃貸物件の契約条件を比較検討して,自らにとってより有利な物件を選択することができるものと考えられる。そうすると,賃貸人が契約条件の一つとしていわゆる敷引特約を定め,賃借人がこれを明確に認識した上で賃貸借契約の締結に至ったのであれば,それは賃貸人,賃借人双方の経済的合理性を有する行為と評価すべきものであるから,消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は,敷引金の額が賃料の額等に照らし高額に過ぎるなどの事情があれば格別,そうでない限り,これが信義則に反して消費者である賃借人の利益を一方的に害するものということはできない(最高裁平成21年(受)第1679号同23年3月24日第一小法廷判決・民集65巻2号登載予定参照)。」
「これを本件についてみると,前記事実関係によれば,本件契約書には,1か月の賃料の額のほかに,被上告人が本件保証金100万円を契約締結時に支払う義務を負うこと,そのうち本件敷引金60万円は本件建物の明渡し後も被上告人に返還されないことが明確に読み取れる条項が置かれていたのであるから,被上告人は,本件契約によって自らが負うこととなる金銭的な負担を明確に認識した上で本件契約の締結に及んだものというべきである。そして,本件契約における賃料は,契約当初は月額17万5000円,更新後は17万円であって,本件敷引金の額はその3.5倍程度にとどまっており,高額に過ぎるとはいい難く,本件敷引金の額が,近傍同種の建物に係る賃貸借契約に付された敷引特約における敷引金の相場に比して,大幅に高額であることもうかがわれない。」
「以上の事情を総合考慮すると,本件特約は,信義則に反して被上告人の利益を一方的に害するものということはできず,消費者契約法10条により無効であるということはできない。」(4-5頁)

敷引金だろうが何だろうが、契約に先立ち、それが契約条件として明示されていることを認識して消費者が契約に及んだものである以上、安易にそれを消費者契約法等で無効とすべきではない、という意見は、従来から根強く主張されていた。

特に不動産賃貸借に関しては、街中に物件情報を提供する業者があふれている現在、消費者側の選択の幅は相当広いといえるのだから、敷引特約や更新料等、消費者にとって不利とされる条項の負担の軽重を十分に考慮して、契約を締結するかどうかを選択することも決して難しくない。

にもかかわらず、「消費者は弱者だ」という古典的発想に則り、「根拠を明快に説明できないような負担を消費者に課すことはまかりならん」として、事後的に消費者契約法による介入を行うことを是としてきたのが、ここ数年“画期的な”判決を連発してきた下級審(特に大阪、京都の地裁・高裁)だったといえるだろう。

そう考えると、「差し引かれることが契約上明示されていた」ということ以上に、良い材料を探すことが難しい(少なくとも明快な説明をすることは難しいだろう)、本件における敷引特約を有効としたこの最高裁判決は、実に画期的なものであるように思われる。

岡部喜代子裁判官(裁判官、研究者出身)が反対意見で指摘されている、

「敷引金は個々の契約ごとに様々な性質を有するものであるのに,消費者たる賃借人がその性質を認識することができないまま賃貸借契約を締結していることが問題なのであり,敷引金の総額を明確に認識していることで足りるものではないと考える。」(13頁)

という問題提起には、確かに耳を傾ける必要がある。

敷引金の具体的内容が明示されておらず、それが修繕費相当分なのか、あるいは礼金、権利金なのか、ということも認識できないまま、賃借人が有利不利を検討し、「敷引特約に応じるか否かを決定する」ことができるはずがないではないか、という主張には、なるほど・・・と思わせてくれるものはある*4

だが、それでもなお、最高裁は、本件の敷引特約を有効なものと判断した。


今後は、契約上に差し引かれる金額がきちんと明示されており、かつその額が妥当な範囲に収まるものであれば*5、特約条項は有効、という前提で、裁判所における契約の審査も進められていくことになるのだろう。

これを行き過ぎた消費者保護の是正、とみるか、それとも、消費者保護の後退、とみるかは、人それぞれだろうけど、まずは、自らの責任で、一つの判断を明確に示した最高裁の勇気をここでは一応評価しておくことにしたい。

*1:第一小法廷・金築誠志裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110325093237.pdf

*2:個人的には、「賃貸借契約に敷引特約が付され、賃貸人が取得することになる金員(いわゆる敷引金)の額について契約書に明示されている場合には、賃借人は、賃料の額に加え、敷引金の額についても明確に認識した上で契約を締結するのであって、賃借人の負担については明確に合意されている」と“明確な合意の存在”を認め、それを尊重するそぶりを見せつつも、「消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は,当該建物に生ずる通常損耗等の補修費用として通常想定される額,賃料の額,礼金等他の一時金の授受の有無及びその額等に照らし,敷引金の額が高額に過ぎると評価すべきものである場合には,当該賃料が近傍同種の建物の賃料相場に比して大幅に低額であるなど特段の事情のない限り,信義則に反して消費者である賃借人の利益を一方的に害するものであって,消費者契約法10条により無効となると解するのが相当である。」と、金額の大小という契約の内容面にまで首を突っ込んだ判断を裁判所がしているあたりに、ちょっと引っかかりはあるのだが。

*3:第三小法廷・田原睦夫裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110712163531.pdf

*4:田原睦夫裁判官(弁護士出身)は、反対意見への反論として、「賃借人も,上記のような震災等特段の事情のある場合を除き,一般に賃貸借契約の締結に際し,長期の入居を前提とするか入居後比較的早期に転出する予定か,契約締結時に一時金を差し入れても賃料の低廉な条件か,賃料は若干高くても契約締結時の一時金が少ない条件か等,賃借に当たって自らの諸状況を踏まえて,賃貸人が示す賃貸条件を総合的に検討し,賃借物件を選択することができる状態にあり,賃借人が賃借物件を選択するにつき消費者として情報の格差が存するとは言い難い状況にある。」(8頁)とまで断言しているが、「各地域毎の慣行に著しい差異が存する」という状況下で、有利不利を判断するために、「差し引かれる金額」の明示だけで意思決定の材料として十分かどうかは、もう少し考えて見る必要があるように思う。寺田逸郎裁判官(裁判官出身)の補足意見においても、「典型契約のパターンから形式的に離れた契約条項が定められる場合」の問題点が指摘され、岡部裁判官の意見への“共感”が示されている。

*5:もっとも、多数意見や補足意見が「賃料の3.5倍」という敷引金の額を「高額に過ぎるとは言い難い」と述べているのに対し、岡部裁判官は「約3.5倍に達するのであって、これを一時に支払う被上告人の負担は決して軽いものではない」(16頁)と述べていることからも分かるように、どの程度の額が妥当か、という線引きは実はかなり難しい。

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