レアな事例判断

依願退職後、競合会社を立ち上げた社員に対し、元勤務先が損害賠償を求めた事件」で「最高裁が元勤務先の請求を棄却した」というニュースが、日経紙に掲載されていた(日本経済新聞2010年3月26日付朝刊・第42面)。


筆者自身、かつて関心のあった分野だったこともあるので、どんな事例だったのだろう、と思って最高裁HPから拾ってみたのだが・・・


読んでみると、なぜ、これが最高裁まで上がってくるような話になってしまったのだろう、と首をかしげたくなるような事件である。

最一小判平成22年3月25日(H21(受)1168号)*1

この判決において、確定している事実関係は以下のとおりである。

(1) 被上告人は,産業用ロボットや金属工作機械部分品の製造等を業とする従業員10名程度の株式会社であり,上告人Y1は主に営業を担当し,上告人Y2は主に製作等の現場作業を担当していた。なお,被上告人と上告人Y1らとの間で退職後の競業避止義務に関する特約等は定められていない
(2) 上告人Y1らは,平成18年4月ころ,被上告人を退職して共同で工作機械部品製作等に係る被上告人と同種の事業を営むことを計画し,資金の準備等を整えて,上告人Y2が同年5月31日に,上告人Y1が同年6月1日に被上告人を退職した。上告人Y1らは,いわゆる休眠会社であった上告人会社を事業の主体とし,上告人Y1が同月5日付けで上告人会社の代表取締役に就任したが,その登記等の手続は同年12月から翌年1月にかけてされている。
(3) 上告人Y1は,被上告人勤務時に営業を担当していたAほか3社(以下「本件取引先」という。)に退職のあいさつをし,Aほか1社に対して,退職後に被上告人と同種の事業を営むので受注を希望する旨を伝えた。そして,上告人会社は,Aから,平成18年6月以降,仕事を受注するようになり,また,同年10月ころからは,本件取引先のうち他の3社からも継続的に仕事を受注するようになった(以下,本件取引先から受注したことを「本件競業行為」という。)。本件取引先に対する売上高は,上告人会社の売上高の8割ないし9割程度を占めている。
(4) 被上告人はもともと積極的な営業活動を展開しておらず,特にAの工場のうち遠方のものからの受注には消極的な面があった。そして,上告人Y1らが退職した後は,それまでに本件取引先以外の取引先から受注した仕事をこなすのに忙しく,従前のように本件取引先に営業に出向くことはできなくなり,受注額は減少した。本件取引先に対する売上高は,従前,被上告人の売上高の3割程度を占めていたが,上告人Y1らの退職後,従前の5分の1程度に減少した。
(5) 上告人Y1らは,本件競業行為をしていることを被上告人代表者に告げておらず,同代表者は,平成19年1月になって,これを知るに至った。
(以上1-2頁)

元々、「退職後の競業避止義務」というのは、(使用者側にとっては)かなり微妙な(あてにできない&すべきではない)もので、元勤務先がそれを根拠に、退職して競業行為を行っている者(ないしその者が属している会社)に対して何らかの“制裁”を課すのはかなり難しい。


「退職者が元勤務先の営業秘密を転職先でも使用している場合(不競法2条1項7号が絡む場合)」や、「退職者が元勤務先において取締役等の立場にあり、通常の労働者以上に会社に対して重い義務を負っていたような場合*2」はともかく、通常の社員が退職して競合する事業を始めた、というだけでは、

「たとえ、退職時に競業禁止特約(競合他社に入社しない旨の誓約書等)を結んでいたとしても」

職業選択の自由等の観点からその効力が制限され、会社側からの一方的な不利益措置(退職金の減額とか違約金の請求とか)が認められないケースが(少なくとも公になっている裁判例の中には)多いのである*3


特約に基づく明確な債権債務関係があってもそうなのだから、それすらない状況で、純粋な不法行為に基づいて制裁を課すためのハードルはもっと高い。


そういう前提を頭に入れておくと、いかに小規模の会社とはいえ、

「単なる営業や現場作業担当の社員」*4

で、しかも、

「会社と退職者の間に競業避止義務に関する特約が存在しない」

という状況で、名古屋高裁がなぜ元勤務先側の請求を一部認容したのか? という疑問は当然に出てくる。


結局最高裁は、

「前記事実関係等によれば,上告人Y1は,退職のあいさつの際などに本件取引先の一部に対して独立後の受注希望を伝える程度のことはしているものの,本件取引先の営業担当であったことに基づく人的関係等を利用することを超えて,被上告人の営業秘密に係る情報を用いたり,被上告人の信用をおとしめたりするなどの不当な方法で営業活動を行ったことは認められない。また,本件取引先のうち3社との取引は退職から5か月ほど経過した後に始まったものであるし,退職直後から取引が始まったAについては,前記のとおり被上告人が営業に消極的な面もあったものであり,被上告人と本件取引先との自由な取引が本件競業行為によって阻害されたという事情はうかがわれず,上告人らにおいて,上告人Y1らの退職直後に被上告人の営業が弱体化した状況を殊更利用したともいい難い。さらに,代表取締役就任等の登記手続の時期が遅くなったことをもって,隠ぺい工作ということは困難であるばかりでなく,退職者は競業行為を行うことについて元の勤務先に開示する義務を当然に負うものではないから,上告人Y1らが本件競業行為を被上告人側に告げなかったからといって,本件競業行為を違法と評価すべき事由ということはできない。上告人らが,他に不正な手段を講じたとまで評価し得るような事情があるともうかがわれない。」
「以上の諸事情を総合すれば,本件競業行為は,社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法なものということはできず,被上告人に対する不法行為に当たらないというべきである。なお,前記事実関係等の下では,上告人らに信義則上の競業避止義務違反があるともいえない。」
(以上3-4頁)

と、法解釈以前の、認定した事実の(高裁による)評価自体に事実上ダメ出しをする形で、結論をひっくり返した*5


この判断自体は極めて妥当と思われるのだが、そうなると余計に、名古屋高裁が(地裁の判断を覆してまで)不法行為に基づく請求を認めたのかが気になるところ。


現時点では、原審である名古屋高判平成21年3月5日(H20(ネ)886)は、少なくとも最高裁のHPにはアップされていないようだが、最高裁判決が引用しなかった認定事実の中に、上告人(退職者)側の悪質性を推認させる何らかの事情が存在したのか、それとも、単に高裁の裁判官の気の迷いだったのか・・・


いずれ、何らかの形でフォローできたらいいなぁ、と思っているところである*6

*1:金築誠志裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100325141939.pdf

*2:この場合には「在職中の競業準備行為」の有無が通常の労働者以上に争点とされやすく、結果として被告側が取締役としての忠実義務違反等に問われる可能性は高くなるし、「準備行為」が明確に認定されなくても、退職者側の責任が問われる傾向が比較的強いように思われる。

*3:さしあたり、荒木尚志『労働法』(有斐閣、2009年)240〜242頁参照。同書でも引用されているように、この辺の分野は同志社大の土田道夫教授の書かれた著作において、かなりディープにフォローされている。

*4:少なくとも最高裁が示した事実関係の中には、上告人らが被上告人会社において、取締役としての義務等を追っていた等の事情は出てこない。

*5:なお、最後の「信義則上の競業避止義務違反」云々のくだりを捉えて、いろいろと心配する向きもあるようだが、この事案の下でこの説示はほとんど意味をなしていない(原審もあくまで不法行為ベースで損害賠償請求を認容したようであり、「信義則上の競業避止義務違反」に基づく請求については、その根拠の妥当性を含め、元々ほとんど検討されていないように見受けられるし)のではないかと思われる。

*6:この最高裁判決が民集に搭載されるようなことがあれば、下級審の判断に接することもできるかもしれないが、事案からしてそこまでの“好待遇”(笑)を期待するのはちょっと難しいような気がしてならない。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html