債権法改正を遮二無二進めようとする人と、それに抗する人と。

今年一年、企業法務をめぐる様々な動きがあった。
やはり一番のインパクトは震災、原発事故絡みのあれこれだったと思うのだが、もうひとつ、債権法改正をめぐって、「中間論点整理」&それに対する意見募集、という大きな動きがあったことも忘れてはならないだろう。

正直、夏頃までは、諸々の出来事に追われて、冷静に債権法改正そのものあり方とか、賛成論者、反対論者双方の主張の根底に流れる“魂”の部分にまで目を向ける余裕があまりなかったのだが、ここに来てようやく、少し落ち着いて振り返ることができるようになりつつあるので、本の紹介と合わせて、簡単に触れておくことにしたい。

改正推進派の執念

民法の中でも中心的なポジションを占める「債権法」を大幅に見直す、ということについては、研究者からも、実務サイドからも反対の声が依然として強く、先日公表されたパブコメの中にも、各所からの“怨嗟の声”があふれている*1

そんな“逆風”の中出されたのが、法務省参与に転身されて久しい、内田貴・元東大教授の一冊である。

民法改正: 契約のルールが百年ぶりに変わる (ちくま新書)

民法改正: 契約のルールが百年ぶりに変わる (ちくま新書)

著者の現在の立場等を考えるなら、この本が純粋な民法研究者としての視点で書かれたものではなく、法務省視点の「プロパガンダ」本として書かれたものである、ということは、当然読む上での前提としておかなければならないだろう。

随所に取り入れられている「比較法」の視点が恣意的なものなのではないか、という批判は以前から根強いところであるし(特に、債務不履行に係る損害賠償責任の判断基準の論点については、反対派から議論の誘導の仕方そのものに対して激しい批判が加えられている)、本書の中(特に最終章)で意識的に述べられている「国際競争に勝つための改正」とか、「グローバルな視点からの改正」といったくだりに現実味が乏しく、イメージだけで中身が伴っていない、という批判も実務者サイド(それも海外取引経験が豊富な人ほど)から出されている、という現実は見過ごせない*2

ただ、民法制定の経緯に遡って、なぜそれが現在に至るまで生き残り続けているのか、それが本当に良いことなのか・・・と問いかける内田参与の問題意識は、著者の明晰な筆致と相まって、それなりに説得力があるのも間違いないところで、穏やかな言葉の裏側に、秘められた執念すら感じる。

スタンダードに民法を勉強してきた人間にとってみれば、決して“出来の良い”テキストとは言えない「民法」シリーズが、(当時としては画期的な)横書きかつ見易い装丁や、何となくわかった気にさせられてしまう“分かりやすい書きぶり”のおかげで、今や定番の教科書になってしまった・・・

そんな歴史があることを考えれば、今はまだ少数説に過ぎない「改正派」がいずれこの国の民法のスタンダードになる、そんな予感さえ抱かせてくれる一冊だと言えるだろう。

反対派の論理

一方、法務省側で進めている改正の動きに真っ向から反対を唱えている研究者の中でも、これまでひときわ存在感を発揮されてきた上智大の加藤雅信教授が、内田参与に先立って、これまた改正反対勢力の精神的なよりどころになりそうな大胆な書籍を公刊している。

民法(債権法)改正―民法典はどこにいくのか

民法(債権法)改正―民法典はどこにいくのか

元々、加藤教授ご自身も、当初は、内田参与らとともに「民法(債権法)改正検討委員会」の委員として激しく議論に参加されてきた方だから、現在、法務省サイドが目指している改正の方向性に対して理論的に反論していくだけでも、十分一冊の本は書けたことだろう。

だが、この本の特徴は、そういった“理論的闘争”を土俵に据えるのではなく、むしろ、「手続的瑕疵」を切り口に、改正推進派に対して舌鋒鋭く批判を加えているところにある。

「私的な研究会」として立ち上げられたはずの改正検討委員会で、不合理ともいえる議事運営が続けられ、最終的に推進派の人々の意に沿う形で結論がまとめられたこと、さらに、法制審議会においてその結論が事実上継受され、しかも、改正検討委員会で反対を唱えた委員が全て排除される形で審議が開始されたこと・・・この類の批判が、尽きることなく展開される、という点において、研究者が書かれた本としてはかなり異質なものといえる*3

この本の中で再三にわたって指摘されている、「中間論点整理の分かりにくさ、無意味さ」や「立法事実の欠如」といった問題については、既に公刊から半年経つ中で、法務省サイドによる補充説明や反論がそれなりになされており*4、既に過去のものになってしまった、という指摘もあることだろう*5

また、EU圏内における急激な法改正の動きを認めつつも、

「日本民法典は、わが国の国内取引を規律することが中心的な任務であって、国際取引にともなう紛争解決のために用いられることは多くない」(84頁)

という前提に立って「国際的統一化傾向との調和」を批判するくだりなどは、実務サイドにいる者としては、共感しかねるところも多い。

ただ、法改正のニーズを“創る”ことによって、法務省が組織を維持し、かつ自らが主管する法領域を拡大しようとしているのではないか・・・という加藤教授のご指摘自体は、これまで霞が関主導の様々な法改正に接してきた身としても理解できるところだし、中間論点整理のパブコメにおいて、圧倒的多数の反対意見が寄せられたにもかかわらず、再開後の審理において、なお、

(2) 債務不履行による損害賠償一般の免責要件の規定の在り方
債務不履行による損害賠償一般に適用される免責事由(前記(1)参照)については,具体的な免責要件の文言等の見直しに関して次のような考え方があり得るが,どのように考えるか。
【甲案】契約の趣旨に照らして債務者がそのリスクを負担していなかったと評価される事由によって債務不履行が生じた場合には,免責される旨を規定する。
【乙案】債務者の責めに帰することができない事由によって債務不履行が生じた場合には,免責される旨を規定する。

と従来の事務局案に固執した議事運営がなされている*6ところなどを見てしまうと、性急な改正に向けた動きに、ある種の義侠心(?)をもって抗しようとしている本書の著者に、共感せざるを得ないところが出てきてしまうのも確かである。

内田参与の本を読んだり、講演を聞いたりして、何となく「債権法改正はいいことだ」と信じ込んでしまっている人には、是非お勧めしたい一冊だといえるだろう。

おわりに〜今後の展望

以上、推進派、反対派双方の側の書籍を紹介してきたが、あえて語弊を恐れずに言うなら、

「もはや、法務省主導の改正の動きを止めることはできない段階に来ている」

と自分は思っている。

元々そんなに政治イシューになるような話ではなく、国会に上程されさえすれば、あっさり可決されることが予想される法律だけに*7、既に審議会で成案化に向けた作業が淡々と進んでいる今となっては、改正に向けた動きを阻む術はないというべきだろう。

また、これまでの市井での議論を見ても、東大教授の職を辞してまでこの改正に賭けている推進派の内田参与の執念の方が、反対派のそれを遥かに凌駕している、と言わざるを得ない状況にある。

現在でも着実に進行しつつある“メディア・ジャック”によって(特に日経紙方面)、「新しい民法」を志向する者が賛美され、反対する者(特に弁護士会や産業界)は守旧派、と片づけられる日が、いずれやって来るかもしれない。

だからこそ、この新しい動きに対しては、なるべく早い時期から反応して行くのが良い、と自分は考えている。

法曹の資格をもっている人はもちろんのこと*8、企業内の法務担当者だって、「新法案ができてからでいいや」なんて甘い考えは、正直棄てるべきだろう。

先般のパブコメと相前後するように、あちこちで、今後向かうべき債権法についての議論が展開されていて、中には、実務サイドから出された意見書等も、審議会のウェブサイトから拾って読むことができる。

今議論されている未来のカタチを知り、その元になっている現在のカタチを改めて確認する・・・
これから、改正の動きが決定的なものになる再来年の2月までの間に、そのための努力をしたかどうかが、その後、法を扱う者として生きていけるかどうかを左右する、といっても過言ではない、と自分は思うところである。

もちろん、自分の予想は良く外れるので、信じるかどうかは、読者の皆様に決めていただければ、と思ってはいるのだけれど。

追記(2012.1.3)

NBLの2012年1月1日号(968号)に、内田貴法務省参与の、「新書への批判」を意識したような論稿が掲載されているので、これも合わせてご紹介しておくことにしたい。

まず、「民法も所詮法律なのだから分かりやすく書く、といっても限度がある」という意見に対して。

民法のような日常生活や日常的な経済活動に直接かかわる最も基本的なルールについて、素人が読んでも分かるはずはなく、また分かるように書く必要はないという主張は、民主的な法治国家における基本法典のあり方として、とうてい正統性を持ち得ないように思われる。経済活動などの市民社会の活動をゲームにたとえるなら、これではルールを知らずにゲームをやれ、ルールを知りたければ専門家にお金を払って聞け、と言っているかのようである。これまで一般国民が民法を読まなかったのは、そこにルールがきちんと書かれていなかったためでもあろう。少なくとも、素人(その中には一般の法律家より高い知性と専門性を持った国民もたくさんいる。)が民法を分からなくてよいというのは、私には、法律専門家の驕りのように思える。」(6頁、強調筆者)

これは内田参与をはじめとする改正推進派の方々の長年の持論であるが、ここではより舌鋒鋭く書かれている印象を受ける。

自分としては、この点については元より全面的に賛成で*9、商法の分野だって、会社法が出来てから格段に読みやすく、説明しやすくなった、というのが大方の一般ユーザーの感想であることを考えると、市井の法曹から出てくる批判にはまったくと言って良いほど理はない、と思っている*10

もっとも、「分かりやすくする」ことと、「分かりやすくするついでに従来の通説まで塗り替えてしまう」こととは全く意味が異なるので、その点には注意が必要だろうが。

また、「国際的調和」というドグマへの実務界からの批判に対しては、以下のような反論を試みている。

「分かりやすい民法を作るという理念の第3のポイントとして、外国から見ても民法が明晰で理解しやすいことが重要だという点がある。これはこれまで日本の法律家があまり意識してこなかったことかもしれない。これからの時代は、契約法のような取引の基本ルールは、国際的な視線を意識せずにはすまない。しかし、それは、よく誤解されるように、国際標準に合わせるということではない。」(6頁)
「もっとも、日本法をアジアにおける国際取引の準拠法とすることについては、民法を改正したところで状況は変わらない、と悲観的な弁護士が多い。もちろん、民法を改正した翌日から日本法が準拠法になるというような甘い世界ではない。(中略)・・・等々の政策をパッケージで推進することによってはじめて準拠法としての推進力が生まれる。しかし、次世代の日本社会のための分かりやすい民法を作るという目標は、そういう政策的戦略的視点を持って追求する必要があるように思われる。」(7頁)

内田参与は、結びの部分でも「戦略的政策パッケージ」というフレーズを繰り返した上で、

国内だけを向いた、しかも判例ルールを熟知した専門家の間だけで通用する発想で、規定の明文化の要否を判断してよいのだろうか。」(11頁)

と述べられており、この点に対するこだわりは、とにかく強い。

ここまで読んで、「それならこの人に賭けてみようか」と思うか、それとも、「また同じこと言ってやがる」と思うかは、人それぞれだと思うけど、やはり最後に勝負を分けるのは“執念の差”ではないのかな・・・と、自分としては思うところで、新春早々、これだけの熱い論稿をぶつけてくる改正推進派に対抗するためには、それなりの「熱」が必要だよなぁ・・・と思った次第である。

*1:http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi04900097.html記載の資料を参照。もっとも、この種の意見募集において、積極的に賛成を唱えるモチベーションを持っている人、というのは決して多くないから(ゆえに、九電の“やらせシンポ”みたいな問題も起きてしまう)、意見の多寡だけで方向性を決めるべきとは思わないが。

*2:ウイーン売買条約への加入に関し、随分と産業界側が怠惰だったような書かれ方をしたりもしているのだが、これだって、たぶんに事実に反すると思われる(反対するもっと合理的な理由はあったはずだ。)

*3:会社法の改正後にこの手の批判を行う論稿が若干見られたが、今回の加藤教授の意見は、現に審議が進行している改正に対してなされている、という点でも特徴的である。

*4:先に取り上げた内田参与の新書も、明示こそしていないが、まさに加藤教授の主張への明確な“反論”といえるものになっている。

*5:もっとも「立法事実の欠如」問題は、未だに弁護士会等を中心に根強く指摘され続けているところであるが。

*6:http://www.moj.go.jp/content/000080598.pdf参照。

*7:会社法成立の際の「三角合併」のような些細な論点で一部修正を余儀なくされることはあるかもしれないが、せいぜいその限度だと思う。

*8:特に若手の弁護士にとっては、こんなに美味しいチャンスはないのだから、今から死に物狂いでフォローするくらいじゃないと、と思う。

*9:どんなに分かりやすく書いても、読まない人は読まない、と思うけど、それとこれとは別の話で、分かりやすく改正する努力を怠るべきではない。

*10:この手の批判は、単に、司法試験の勉強をしていた時代から馴染んでいたものを変えられること(&一定のチューンナップを余儀なくされること)への“感情的な”反発に過ぎない、と理解すべきだろう。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html