“80年ぶりの奇跡”が呼び起こした記憶。

テニスの全豪オープンで、錦織圭選手が、第6シードのツォンガ選手をフルセットの末破り、ベスト8進出。
日本人としては1932年の佐藤次郎選手、布井良助選手以来、80年ぶりのベスト8進出を果たした。

昨年後半あたりから調子は上向きになっていたようだし、今年に入ってからのいくつかの大会では、上位選手を打ち負かした、というニュースも入ってきていた。加えて、今大会に関しては末席とは言えシード扱い、ということになっていたから、そこそこいいところまで行くのではないか、とは思っていたのだが、「ベスト8」となると、やはり歴史的偉業。

松岡修造選手のウィンブルドン(95年)の時とは違って、試合が終わっても派手なパフォーマンスなく淡々としていた姿を見ると、まだまだこれからもっと上を狙えるんじゃないか・・・という期待すら湧いてくる。


こうなってくると、自然に蘇ってくるのは、日本のテニス選手が世界中で名を轟かせていた90年代の記憶。

大抵のスポーツに手を出した割に*1、硬式テニスのラケットだけは、学生時代に一度も握らなかった自分ではあるが*2、四大大会で毎回のように世界の強豪との激闘を繰り広げていた伊達公子選手の雄姿は、しっかり目に焼き付いている。

特に、96年ウィンブルドンでのグラフ選手との2日間にわたる、文字通りの“死闘”・・・*3

その年に、伊達選手がまさかの引退、という事態になってしまったこともあって、日本人選手が世界の頂点に立つ日は遠のいてしまったが、世界に名を轟かせてからはや4年の錦織選手が、ここに来て猛烈なブレイクスルーを遂げているのを見ると、16年の時を超えて再び日本の視聴者が“頂点”を夢見ることができる瞬間が、もうすぐ来るのかもしれないなぁ・・・なんて思ったりもしている。

まぁ、いかに伝説の承継者だからといって、クルム伊達・錦織という混合ダブルスのペアを作るのは、ちょっと悪ノリが過ぎると思うけど・・・(笑)*4

*1:ほとんどは遊びでやっただけだけど。

*2:この辺は、90年代にとんがった“キャンパスライフ”を送っていた人間に共通する、ある種の“思想的な”趣向だった、というべきだろうか(笑)。まぁお察しあれ。

*3:死闘と言えば、その年のフェド杯の試合の方が有名だけど、あのウィンブルドンで、第1セットをあっさり落としながらも、次のセットで完璧なまでに巻き返した、伊達選手の勢いは、世界の頂点を決める舞台に立つことを予感させるに十分なものだった。翌日の第3セットが始まるまでの間、日本国民の誰もが皆、伊達選手の勝利を信じて疑わなかった・・・。

*4:元々伊達選手は、ダブルスプレイヤーではないし、ダブルスパートナーとして、杉山愛選手のような“小技”を利かせるイメージもあまりない選手だけに、結果を期待するペアではないなぁ・・・というのが率直な印象である。

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