特許庁基幹システム開発をめぐる悲劇。

平成16年の最適化計画策定からはや8年、平成18年の開発着手から6年、しかし平成23年1月という稼働予定時期はとっくに過ぎ、一体どうなるのかと危ぶまれていた特許庁の基幹システム開発がやはりポシャった。

特許庁が24日、東芝ソリューション(東京・港)に委託して進めてきた次期基幹システムの開発中断を決めたことは、知財保護の国際対応などの政策に影響を与える可能性がある。再発防止のための入札制度の見直しなども検討課題に上りそうだ。」
「同庁が開発中断を決めたのは、特許などの出願を受け付け、審査などを実施するための基幹システム。2006年に開発に着手し、当初は11年1月の稼働を目指してきたが、作業が遅れ、稼働予定を14年1月に延期していた」
日本経済新聞2012年1月25日付け朝刊・第7面)

平成18年の入札に際し、東芝ソリューションが有力視されていたNTTデータを押しのけ、相当低廉な金額で札を入れて受注した時には、“新たな時代の到来か?”といった声も上がったし*1、その後、入札を逃したNTTデータ社員の特許庁職員への贈賄事件が大々的に報じられたこともあって*2、“開発の大幅遅延”という本質的な問題の方はそんなに表には出ていなかったのだが、これで名実ともに新システムは「白紙」に戻ってしまった、ということになる。

ちなみに、今回の決定は、1月23日付けで有識者による「特許庁情報システムに関する技術検証委員会」が、「フォローアップ結果とりまとめ」*3を出したことを受けて行った、ということになっているが、このとりまとめ4〜6頁によると、

3.三者の対応状況に対する当委員会の評価
(1)設計成果物の完成に関する見通し
残件に関しては、その分類及び原因の類型化がなされ、解消作業が進められたものの、残件が発生した原因を分析した上で、それを根本的に解消する方法論は、なお開発途上にあると言わざるを得ず、残件の解消に関する見通しは立っていない。また、開発規模の削減に関しては、設計書の共通化が重要であるが、予め相互に業務の共通部分を意識して設計書を作成していなかったため、規模削減の作業を進めるためには、一旦書き上げられた個別設計書の共通部分を事後的にくくり出さざるを得ず、その作業量は膨大なものとなっている。TSOLからは、共通化を含めた設計書の修正作業は約2年で完了させるとの提案があり、その予測根拠も提示されたが、これは実際の共通化作業に着手した上での試算ではなく、また、残件の全数が把握できておらず、その解消の見込みも立っていないことから、技術的に見て、当該提案に実現性があるとの確証を得るまでには至らなかった仮に設計書の修正が今後約2年で完了するとしても、その後の工程に要する期間を勘案すると、平成26年1月に最終稼働させるとの最適化計画の実現はほぼ不可能と言わざるを得ない
(2)システムの最終稼働に関する見通し
TSOLから、最終稼働は、上記指摘の設計書の修正を経て、現行の予定から3年遅れの平成29年1月になるとの見通しが示された。しかしながら、上記?.3.(1)の状況に加え、
•上記?.2.で述べたとおり、技術的に実現性のある開発スケジュールを確定できない状態にあること
この見通しは、UA開発業者が具体的に決定していないにもかかわらず、TSOLが当初自ら引き受けた担務であるテスト工程をUA開発業者へと移管することを前提として示されたものであり、UA開発業者のパフォーマンスに依存したものであること
•共通化された設計書に基づいて効率的にプログラムを開発する手法が未整備であり、このような条件下では、UA開発業者が大規模な設計書を実装・テストするために必要な期間を見通し難いこと
•TSOLによる担務変更の提案により、本プロジェクトが受ける影響について、最終稼働に至るまでのリスク等を再検討しなければならない状況になっていること
に鑑みれば、最終稼働を平成29年1月としたTSOLによる提案の実現性について十分な技術的根拠があるとは言い難い。
本プロジェクトは、特許庁、TSOL及びアクセンチュアの共同作業ではあるものの、受注者たるTSOLのスケジュール策定能力を含むプロジェクト管理能力・設計開発能力が十分では無かったことが、プロジェクトの進捗を大きく遅延させたものと考えられる
(3)評価まとめ
調査報告書指摘事項への三者の対応状況に対する当委員会の評価をまとめれば、運営基盤システムは、最終稼働の可能性が全く無いとは言えないものの、最適化計画の予定どおり平成26年1月に稼働することはほぼ不可能であると考えられる。また、TSOLから提案されている平成29年1月であっても、最終稼働が実現するとの確証を得る程度にまで技術的な裏付けがあるとは認められない。
すなわち、本プロジェクトは、今後設計書の修正等に相当の期間を確保したとしても、最終稼働が実現するとされる時期(平成29年1月)までには、約5年またはそれ以上の期間を要する状況にあり、かつ、当該時期に最終稼働するかどうかも極めて不透明な状況に陥っていると言わざるを得ない
このような状況の中、最適化計画において実現すべき目標を可能な限り早期かつ最大限に達成するためには、一旦、本プロジェクトを中断し、以下に指摘する問題点への対応を図りつつ、適切な体制の在り方も含め、今後の具体的な対応策を講じた上で、再開することが妥当であると言える

と、ベンダーにとっては極めて屈辱的な内容になっている。

そうでなくても仕組みを理解するのが難しく、かつ処理しなければならない件数、項目も膨大な特許その他の工業所有権の出願・審査システムの開発を実績のないベンダーが担当する、というのは、元々かなりの無理があったわけで、そのようなリスクを顧みず札を入れた結果、このような結果を招いた・・・ということの責任は、確かに否定できないだろう*4

もっとも、どんなシステムについても良く言われる、

「開発がうまくいかないのはベンダーだけの問題なのか?」

という指摘は、ここでも当てはまるのではないかと思う。

そうでなくても複雑な特許制度は、この10年近くの間に法、判例ともに大きく変わっているし*5、ちょっとした改正をフォローするための修正作業だけでも相当なボリュームになることが見込まれる上に、商標、意匠の権利付与対象の拡大、といった今後予想される法改正や、「外国語文献の日本語検索」といったややこしい話まで取り込んで・・・という話になってしまうと、システム構築の難易度・複雑性は格段に増してくるであろうことは、素人でも容易に想像がつくところ。

で、おそらく、工業所有権制度や審査の段取りを熟知した特許庁側の人間は、ベンダー側の作業には疎いので、「やってほしいことを一方的に伝えた(つもり)」だけになり、一方のベンダー側の人間は、「説明を受けた内容を十分に理解、消化できないまま、明後日の方向に事態を複雑化させていく」ということになってしまったのかなぁ・・・と。

それまで特許庁と深いお付き合いのあったベンダーではなく、“新参者”が入りこんでしまったが故に、そうでなくてもうまく行きにくいコミュニケーションが、なおさら阻害されていたのでは?(役所の人は、基本的に人見知りで自分たちのコミュニティの外側にいる人々には冷淡に接する人も多いだけに。)、という疑問もあり、こういった点からベンダー側にも同情すべき余地は多々あるように思われる。


なお、既に大幅に工期を遅延していた、とはいえ、ベンダー側としては未だ開発継続に向けた意欲を持続していた中で、開発を中断して白紙に戻す、ということになれば、今後の紛争は避けられないし、双方が違約金請求/報酬請求と損害賠償請求を打ち合う派手な訴訟、調停にもつれ込む可能性だって十分にあるだろう*6

国内での特許出願そのものが下火になっている中で、現在でも十分ハイスペックな特許庁のシステムの更新が何年か遅れたくらいで、日本の知財戦略に大きな弊害がもたらされるとは考えにくいのだが*7、そうでなくても我が国の技術力、ビジネスマネジメント力に疑問が投げかけられている中、あまり気持ちの良い話ではないだけに、特許庁にはなるべく早期に事態を収拾してほしいものだ、と思う次第である。

*1:それまで特許庁のシステムは、NTTデータが全面的に担っていた。

*2:おそらく、大幅な開発遅延という状況に頭を悩ませていた特許庁事務方が、信頼できるNTTデータに仕事を取らせたかった、ゆえの悲劇だったと思われる。

*3:http://www.meti.go.jp/press/2011/01/20120124001/20120124001-2.pdf

*4:上記検証委員会のペーパーにもあるように、入札制度そのものを見直さないと、同じような問題はまた出てきてしまうように思う。高度なシステムであればあるほど、特定の事業者に依存せざるを得ない状況は現に存在するのであり、“安物買いの銭失い”にならないようにするためにどうするか、ということは考えていかない。そして、今回の件は、「競争入札制度」を賛美し、何でもかんでも値段で競争させればいい、という発想に陥りがちなメディアや一部の評論家に対する一つの警鐘でもある。

*5:訂正審判に際しての各請求項の取扱いの問題等々。

*6:動いているお金が巨額なだけに、お互いそう簡単に折れるわけにはいかないだろうし・・・。

*7:日経紙はいつもの通り、「中国特許対応」等を挙げて危機感をあおっているが、中国語でしかアクセスできない公知文献を審査で用いる必要性が果たしてどれだけあるのか・・・?(もちろん、あれば便利であるのは間違いないが)ということを考えると、実務上の影響はそこまでではないのでは?と思うところである(そもそも特許文献検索だけなら、基幹システムに組み込まない形で別途開発してしまえば足りる話ではないかと思うし)。

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