法律家にとっての教訓。

強引に起訴に持ち込んで勝負を賭けた検察側の思惑を、完膚無きまでに叩きのめした神戸地裁判決*1から14日、意外にも神戸地検は「控訴断念」を発表した。

「2005年4月、乗客106人が死亡するなどした兵庫県尼崎市JR福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本山崎正夫前社長(68)を無罪とした神戸地裁判決について、神戸地検は25日、正式に控訴断念を表明した。山崎前社長は26日午前0時に無罪が確定した。大規模事故の刑事責任追及のあり方を巡り、検察側は改めて課題を突きつけられた。」(日本経済新聞2012年1月26日付け朝刊・第35面)

「細部に承服しがたい点が多々ある」と言いつつも、「控訴しても一審判決を覆し、有罪を獲得できる新たな主張・立証をできる見込みがないと判断した」という次席検事のコメントからは敗北感が滲み出ている。

個人的には、被害者参加している遺族もいる以上、(ポーズだけでも)控訴せざるを得ないだろう・・・と思っていたのだが、神戸地裁の判決は、そんな空威張りをする余裕さえ与えなかった、ということだろうか。


当然ながら、新聞に掲載された“遺族の反応”の多くは、「無罪判決より控訴断念の方がショック」といった、無念さが滲んだものになってしまっているのだが、判決に対するエントリーにも書いたとおり、過失犯の伝統的な理解に照らすなら、今回の起訴は元々無理筋だったと言わざるを得ないわけで、“被害者の声”という応援団に甘えて、結果的に失策を犯した検察当局の責任は極めて重い、というほかないだろう*2


事故で大切なものを失った人々が、「誰かに刑事責任を負わせたい」と考えること自体を非難することは、決してできるものではない。

ただ、前回以上に踏み込んで発言してしまっているご遺族の声、例えば、

「前社長の裁判では争点が自動列車停止装置(ATS)を巡る一点に絞られ、企業体質などは全く審理されなかった。違った争点で控訴審に臨めば、新たな事実も明らかになったのでは」(同上)

といったものを見聞きするにつけ、刑事訴訟のルールや「刑事訴訟が何のために行われるものなのか」ということが、いかに世の中に理解されていないのか、そして、これらのことについて、いかに遺族に対する説明がなされてこなかったのか・・・と、複雑な気分になる。

そして、結果的に無罪とはなったものの、起訴されて被告人となった山崎前社長が、経営の第一線から退くことを余儀なくされ、長い月日を裁判対策のために浪費しなくてはならなくなった、という事実も決して看過されるべきではないだろう。

全ての法律家にとって大きな教訓となってしまった、今回の判決とそこに至るまでの一連の経緯。

だが、起訴された3年前に、踏み込むべきでないところに踏み込んでしまった地検の安直さを、ストレートに指摘できた「プロ」がどれだけいただろうか?

ともすれば、安易な方向、分かりやすい“魔女裁判”に向かいがちな「世論」を「正論」で止める・・・。法律家には、そんな勇気も必要だと思う。

二度と、不幸の連鎖を生むことがないように。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20120112/1326602532

*2:もっとも、検察官が起訴しなければ、「歴代3社長」と同様、山崎氏も検察審査会ルートで強制起訴の憂き目にあっていた可能性もないとはいえないのだが・・・。