「過労死」の労災認定増加は企業のリスクか?

6日付けの日経紙の法務面に、

「過労死の『労災認定』幅広く」

という記事が掲載されている*1

要約すると、

・最近、裁判所が労災認定請求を幅広く認めるようになった。
・最近の判決の中には、長時間労働を放置して「過労死」を招いた、として、取締役の善管注意義務違反まで認めたものまである。
・これらの判決は、「従来のやり方では過労死・過労自殺はなくならないという裁判所の危機感の表れ」なのかもしれない。

といったことになるだろうか。

記事そのものは、過労死弁護団サイドの主張に引っ張られた感が強いもので、もう少し多角的に分析した方が良いのでは・・・?という突っ込みも入れたくなる代物なのだが、実際、裁判所で、5年前、10年前に比べれば「過労死」が認められやすくなっているのは確かだろう。

その理由としては、「裁判所の意識」以前に、諸々の労災認定基準が改正が定着したり、新設されたりしたことによって、より柔軟に労災認定をしやすくなった、というのが一番なのではないか、というのが自分の見立てなのだが*2、いずれにせよ、企業側の目線で言えば「リスク」が高まった、ということになるのかもしれない。

だが・・・


純粋に個人的な思いだけで言えば、そもそも、「在職中の社員の死亡の責任を会社が負うか?」という議論自体が馬鹿らしい、というか、あまり実のあるものではない。

労働時間が多かろうが少なかろうが、毎日会社で働いていた人が在職中に亡くなったのであれば、それは何らかの形で会社で仕事をしていた事実が影響しているに決まっているわけで、プライベートでの突発的な事故、ということでもない限り、死亡と会社の業務との因果関係は当然にある、と自分は思っている。

「労災認定」という場面に限って言えば、負担と支給のバランス上、ある程度支給要件を厳格化しなければならない、という要請があるから、業務遂行性、業務起因性といった要件を持ちだし、一定の定量的基準を設けて支給するためのハードルを上げる、という国側の理屈は理解できなくもない。

しかし、会社と社員との関係は、本来そういうものではないはず・・・。


「過労死」という言葉が象徴するとおり、今の労災認定基準には、どうしても労働時間の多寡で多くを決しようとする傾向があることは否めない。

だが、労働時間がどんなに短くても、凝縮して負荷がかかれば死に直結することはたぶんにあるし、逆に、マイペースでダラダラと働いた結果、長時間残業になったとしても、それが直ちに健康を害する結果につながるとは限らない(その意味で、「業務の過重性」を労働時間数で判断しようとすること自体に、元々無理がある)。

それゆえ、遺族や病んだ本人から見れば、「明らかに仕事(会社)のせい」という状況なのに労災認定が取れないというギャップが生じ、返す刀で会社との泥沼の戦いに突入する・・・ということも、これまでは多かった。

もちろん、「労災」として認定されるかどうかと、会社が労働者に対して責任をもって補償すべきかどうか、ということは、本来全く別の話なのだが、会社の、特に人事サイドが、「潔く会社の責任を認める」ということにあまりに消極的に過ぎたことが、更なる悲劇を招いてきたのではないかと思う。


亡くなった社員の遺族を相手に、法廷で会社が“戦う”ことほど空しいことはない。

同じ雇用契約終了後の戦でも、“不当解雇”事案だったりすると、争っている相手の方にも何らかの落ち度があったりするから、まだ戦いとして成り立つ余地はあるが、亡くなった社員には、大抵何ら落ち度など存在しないわけで*3、ましてや遺された家族となれば・・・。

期日のために胸が痛む。それが、遺族対企業の「過労死」訴訟にかかわる多くの法務担当者の偽らざる心情なのではないかと思う。

そのような中、「労災認定」のハードルがここ何年かの間に下がってきている、というのであれば、それはまさに(この文脈では)光明、というほかないであろう。

「労災」が認められて、その余勢を駆った遺族側に対会社訴訟に持ち込まれたとしても、「労災認定基準をクリアした」という事実がある以上、落とし所は大体見えている。

そして、双方がイメージする「損害額」のギャップさえ埋まれば、後は何とか・・・という期待も持てるところ。


現実には、まだまだもつれる紛争が多いのだろうけど、ちょっとでも良い方向に向かうように向かうきっかけになるのであれば、裁判所の傾向も悪くない。

今は、そう思うところである。

*1:日本経済新聞2012年2月6日付け朝刊・第20面。

*2:脳血管疾患や心疾患に関する認定基準が改められたのが10年ちょっと前。精神障害については、頻繁に改正が繰り返され、つい最近にも大きな改正が行われたばかりだ。

*3:もちろん、飲酒癖があったり、血圧が高かったり、ということはあるのかもしれないが、誰がそれを責められよう・・・。

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