「コンプライアンス」をめぐる現実と池井戸作品の間にあるもの。

一昨年、「下町ロケット」と「空飛ぶタイヤ」を一気に読んで以降*1、「池井戸潤氏が何か書いた」という話を聞くと、途端に読みたくなる(笑)。

そんな時、ちょうど正月休みに入り、たまには柔らかい読み物で頭をほぐしたい・・・と思ったこともあり、出版されたばかりの単行本に手を出してみた。

七つの会議

七つの会議

舞台は、日本有数の大手総合電機メーカーの子会社。
物語は、そんな会社の中で働く人々の描写から始まる。

第1話に登場するのは、「営業部の定例会議」という、どこの会社にもありそうな、ありふれた光景。
だが、第2話、第3話と、章が進むごとに「主役」となる人物が変わり、描かれる部署や、描かれる目線も変わってくる。
そして、取引先や親会社といったところにまで話が広がっていき、日常が“非日常”へと転化し、本作品全体を貫くストーリーがクライマックスを迎えたところで、最後に一本の糸でつながる・・・

簡単に言ってしまうとそんなところだろうか。

日経の電子版の「連載」をベースに書かれた作品、ということもあり、完全な描き下ろしに比べると、各話のつながりがイマイチだなぁと思うところもあるのだが*2

「どんなに嫌な雰囲気を醸し出している人間でも、角度を変えて眺めれば、その人物なりの考えがあり、魅力がある」
「どんなに優秀で、かつ人当りが良い人間でも、違う視点で眺めれば、また別の顔が見えてくる」
「会社の中で長く勤めている人間には、その人なりに抱えているトラウマがあり、歴史がある」

といった、組織の中で働いたことのある人間ならば、思わず「あるある・・・」と呟いてしまうような、きめ細やかな場面設定と人物描写*3は、“池井戸作品の魅力”が未だ色褪せていないことを証明してくれる。

もっとも、各話ごとのクオリティはともかく、本作品全体を貫いている「大きなテーマ」の描写に関しては、日常的にこの手の話にかかわってきた者として、突っ込みどころがいつになく多かったように思えてならない。

(以下、ややネタバレあり。)


本作品で一貫して取り上げられているのは、

「自社製品(に使われた部品)の強度不足」(製造物の瑕疵)という、会社にとって致命的な重大事に直面した時に、登場人物たちが、”自己保身”と“会社への思い”との狭間でどういう「顔」を見せ、どう振る舞うか?(振る舞うべきだったか?)

というテーマであり、それが、最初の頃は一見バラバラに見える各話を、最終的には一本で貫く“幹”になっているといえるだろう*4

そして、フィクションでありながら“会社の日常”に近いテーマで勝負している本作品においては、舞台となっている「東京建電」と、その親会社「ソニック」の人々(特に経営幹部たち)が、↑のテーマを前にして、どれだけのリアリティをもって描かれるか、ということが、作品全体に“迫力”を持たせるための最大のキモだったはずである*5

だが、残念なことに、本作品で描かれている「経営幹部」たちの対応は、あまりに古風に過ぎる。

どんなに「企業におけるコンプライアンス」の重要性が叫ばれ、マニュアル化された「教育」がなされたとしても、このレベルなら不祥事を“隠す”だろう、という感覚は、日々旗を振っている自分にも十分理解できる。

もう一つ上のレベルに行っても、まだ“隠す”かもしれない、ということも。

でも、今はもはや、“タイヤが空を飛んだ時代”ではないのであって、ここまで行けば・・・というラインは、規模が大きい企業グループであればあるほど、絶対的なものとして存在する・・・

池井戸氏は、そんなことも十分承知の上で、あえて“意表を突く”展開にしたかったのかもしれないが*6、“時代の変わり目”にもろに直面し続けてきた自分としては、現実と本作品で描かれている“虚構”とのギャップに、違和感を持たずにはいられなかった。

いかに、大衆向けの娯楽小説だからといっても、踏み越えてしまうとかえって面白くなくなる、というラインはあるわけで、本作品は、若干その辺を踏み越えてしまっているのかな・・・と*7

最終章で出てくる、「『調査委員会(をつかさどる弁護士)』のスタンス」と「生え抜き社員の会社再生への思い」との間の、決して埋まらないであろう“溝”の描き方など、これまでの企業小説にはあまり見られなかった、「おっ!」と思わせるくだりもあっただけに、読み終えた後、少々残念な気持ちにはなった。


もちろん、他の作家の「企業小説」に比べると、十分すぎるほどの読み応えがある作品だし、難しいことを考えずに頭をからっぽにして読めば、エンターテイメント性の高い娯楽小説として堪能できるだけの作品であるのも間違いない。

それだけに、個人的には、頭をからっぽにできずにこの作品を読んだ同業の方がいかなる感想を抱かれるのかなぁ? ということにも興味があるところである。

*1:当時のエントリーはhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20110821/1313940235参照。

*2:本作品は、第1話から第8話までの「8部構成」となっているのだが、最初の頃の話に出てきて興味を抱かせてくれたのに、後半になると全く出てこない登場人物もいたりして、伏線を上手に張る池井戸氏の作品にしては珍しい“オチなし”をいくつか味わうことになってしまった。

*3:もちろん、大衆小説なので、必要以上にデフォルメされている感はあるし、それぞれの登場人物の“バックグラウンド”を形成したもの、として取り上げられるエピソードも“幼少期からの生育過程において親兄弟と接する中で・・・”という極めてベタかつ金太郎飴的なものばかりだから、その辺が引っ掛かる読者だと、すんなり本作品に馴染むのは難しいかもしれないけれど・・・(自分も、幼少期、青年期の出来事や“親兄弟の姿”を、その人の人格や行動規範に何でもかんでも結びつける、という発想はあまり好きではない。小説だから許すけど(笑)。

*4:舞台となっているメーカーの製品(の部品)に何らかの問題があるのだろうなぁ、そして、それは○○氏に原因があるのだろうなぁ、ということは、ふつうに読み進めていけば、最初の方ですぐに察しが付く。本作品が面白いのは、その問題がいかにして起きたか、そして、それがどうやって明らかにされていったか、というところ。さすがにここから先を書いてしまうと、これから読もうとしている方に申し訳ないので、ほどほどにしておくが・・・。

*5:追いかけているテーマ自体は「空飛ぶタイヤ」に非常に近いのだが、「タイヤ」とは違って、本作品では「被害者」視点で物語を眺める者が登場しないので(強いて言えば下請のメーカーの関係者かもしれないが、物語全体の中で大きな地位を占めるには至っていない)、なおさら、“組織内”の描写が重要になってくるはずだった。

*6:そうしないと、話の分量的にもだいぶシュリンクすることになってしまうし。

*7:そして、そこで我に返って冷静に読み返すと、先に述べたような各キャラクター設定のベタさ加減だとか、“社員像”の古さだとか、というところが目につくようになってしまうわけで、その意味で、ちょっと損をしている作品なのかなぁ・・・というのが自分が読後に抱いた第一の感想である。もしかすると、池井戸氏ご自身が、会社という組織から離れて少し時間が空いてしまった、という事実も、ギャップが生じる遠因になっているのかもしれない。

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