起訴されていた幹部の刑事裁判が、全て最高裁まで行って決着がついた・・・と思った矢先に、逃亡していた信者が出頭するなど、なかなか終わりそうで終わらない「オウム事件」。
そして、今度は「アレフ」の名が、久々に新聞紙面を大きく飾った。
「警視庁が公表した警察庁長官銃撃事件の捜査結果を巡り、東京地裁は15日、オウム真理教から改称した「アレフ」の名誉を傷つけたとして、東京都に100万円の支払いと謝罪文の交付を命じる判決を言い渡した。」(日本経済新聞2013年1月16日付・第35面)
問題となった2010年3月の警視庁のプレスリリースについては、そういえば当時、このブログでもご紹介していた。
「敗軍の将が語ったもの」(2010/3/30付)
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20100330/1270280374
公表されたものは、それなりに迫真性のあるストーリーではあったものの、「結局起訴するまでには至らなかった」事件の顛末を、特定の団体が関与した、と断定して公表したことについては、当時から強い批判が出ていたところであるし、警視庁もある程度の批判は覚悟の上で、それでもなお捜査機関としての“名誉”のために公表を断行したのだろう。
だが、「アレフ」がこのような形で警視庁(東京都)を相手取って法廷に持ち込み、さらに
「『オウム真理教の信者グループによるテロ』と公表したことについて『無罪推定の原則に反し、重大な違法性を有する行為』と指摘」(同上)
されて、名誉棄損による賠償請求が認められることまで、当時想定していた人はどれほどいたのだろうか・・・。
判決文そのものを見ているわけではないが、「検察が不起訴とした事件で犯人を断定して公表したこと」について、裁判所は、
「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の基本原則を根底から揺るがす」
と批判したようである。
通常の名誉棄損事件では、なかなか認められにくい「謝罪文の交付」まで認めたあたりに、司法をつかさどる機関としての裁判所が、今回捜査機関が行った行為に対して強い嫌悪感を抱いたであろうことが容易に伺えるわけで、今後、控訴して引き続き争うにしても*1、このような判断がひとたびでも下された、という事実は、捜査機関にとっては極めて重い。
記事によれば、
「公表内容が真実だったか、真実と信じた相当の理由があったかについて、都側は訴訟で主張しなかった」(同上)
とあるが、そりゃあ、「捜査の秘密」にかかわることを、そんなに簡単に公開の法廷に出せるはずもないわけで、だからこそ、なぜ、2010年3月のあのタイミングで公表したのか?ということが問われることになるだろう。
この一件が、今後どれだけの広がりになるのかは分からないけれど、「公表」によってアレフ側が被った以上のダメージを、結果的に警視庁側が背負うことになるように思えてならない*2。