“TPP時代”の幕開けを前に読むべき一冊。

先の総選挙の一件もあって、このままズルズルと夏まで引っ張られるのかなぁ・・・と思っていた「TPP」の話が、日米首脳会談を経て、突如再燃した。

報道等を眺める限りでは、まだまだ、あくまで交渉のテーブルに付くかどうか、という段階を脱し切れていないし、他国の動向とも合わせて、(仮に締結まで進んだとしても)日本国内で“発効”に至るのは遠い先のことのように思われるのだが、いろいろな議論が盛り上がる、という点では、“TPP時代”と呼ぶにふさわしい状況が到来しそうな気配である。

・・・ということで、しばらく積読になっていた福井健策弁護士の新書を開いてみた。

出版されたのが、昨年の秋だから、お読みになられた方も大勢いらっしゃるだろうし、改めて自分が読後感を記すのも気が引けるのであるが、いろいろと感じ入るところも多い一冊だっただけに、一応、ここに書き残しておくことにしたい。

「ネットの自由」vs.著作権: TPPは、終わりの始まりなのか (光文社新書)

「ネットの自由」vs.著作権: TPPは、終わりの始まりなのか (光文社新書)

秀逸な「テキスト」としての意義

福井先生の著作は、当ブログでもこれまで何冊かご紹介してきた。
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20100313/1268583821
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20111204/1323016686

そして、その都度、感想として書かせていただいたとおり、
いずれの作品でも貫かれていたのは、

「一見すると難解な法律の世界のトピックを、分かりやすい言葉で一般読者向けに“翻訳”する」

というコンセプトであり、“風味を落とさずに素材を調理する”という表現がぴったりはまるような軽快な筆致と、にもかかわらず読み応え十分な内容のボリュームには、いつも唸らされたものだった。

もちろん、今回ご紹介する一冊も、読者の期待を決して裏切ってはいない。

第1章で、2012年初頭からの「SOPA」&「PIPA」、「ACTA」、「TPP知財条項」といった、“海外発”の旬なニュースとそれらをめぐる世界の潮流を次々と分かりやすく取り上げたかと思えば、次の章では「TPPの米国知財条項」にターゲットを絞って、「保護期間延長」、「非親告罪化」といった米国発主張の特徴と弊害をじっくりと解説。

さらに、第3章では、より広い視点に立って、ネットサービスの準拠法の問題から、「クラウドサービス」、「ダウンロード違法化、刑事罰化」といったところまで、著作権法のホットイシューを丁寧に説明したかと思えば、「コンテンツビジネスの収益モデル」、「二次創作とパブリックライセンス」等々、“コンテンツビジネス”の世界にまでぐっと踏み込んで横断的に議論を展開されている。

どの章でも共通しているのは、ネット等で評判を呼んだ、あるいは、物議を醸した、という“身近な事例”を必ずどこかに交えていて、さらに、コア部分の解説に不可欠な「基本」(例えば「非親告罪化」を説明する上での「民事」と「刑事」の違い、とか「クラウド」の話をする前提としての「カラオケ法理」(侵害主体認定基準論)など)からしっかり説明している、というところだろう*1

直近の法改正の内容等も含め、最新の著作権法の動向を一気に把握したい、という方には、実に効率的かつ有意義な記述があふれているし、法律よりもむしろビジネス的アプローチで、インターネット経由のコンテンツビジネスに注目している方にとっても、本書は、良い意味での刺激が多い「テキスト」、といえるのではないかと思う。

また、巻末資料として収録されている「TPP米国知財要求抄訳」も、現時点においては、未だ資料価値が高いものといえ、これがあるだけでも得した気分になる。

著者の“悩み”に見る著作権の「これから」

さて、ここまでは、過去の著作との共通点を中心に取り上げてきたが、本書に特有の部分であり、かつ「魅力」にもなっているのが、「情報と知財のルールを作るのは誰なのか」と題された最終章(第4章)ではないか、と自分は思っている。

「法律」(4-1)の項で、我が国の著作権法の立法過程の課題を指摘した上で、「性急な議員立法」によりダウンロード刑事罰化が導入されてしまった現状に対する悲観的な心情を吐露されたかと思えば、次の章では、TPP交渉の「秘密性」や条約を通じた「ポリシーロンダリング」に警鐘を鳴らし、さらには、”国際プラットフォーム”に象徴される「私企業によるルールメイク」がなされている現状にまで踏み込んだうえで、

「我々は・・・(情報のルールメイクの)最適バランスに到達することができるのか?」

と問題を投げかけて幕を閉じる最終章・・・。

明確な「持論」を持っておられるにもかかわらず、書籍や論文では、反対意見とのバランスに配慮したスマートな筆致で上手に議論をまとめておられる、という印象が強かった福井先生が、珍しく(?)ストレートに、かつ「迷い」を隠すことなく、著作権をめぐる現状と将来に向けた憂いをぶつけておられる・・・そんな印象すら受けた。

もしかしたら、この部分ですっきりしない気持ちになった読者もいるのかもしれないし、それゆえ、本書の読後感も、人によってまちまちになってしまうのかもしれない。

だが、自分は、この章を通じて浮かび上がる“混迷”こそが、今の著作権法の世界を理解する上での最大のポイントだと感じたし、これから「TPP」の大波と向き合う上ではもちろんのこと、その先の「世界とのルールをめぐる攻防」に立ち向かう上で、「今、自分のところで何を主張すべきなのか?」ということを考えるときに、常に立ち返って目を通すべきエッセンスなのではないかなぁ・・・と思ったわけで、この章だけでも740円+消費税の価値はあるんじゃないか、という気がしている。


なお、もう一つ印象深かったのが、「あとがき」に記された以下の言葉。

知財をめぐって毎週のように起きる新たな論争の中、筆者は、時に保護期間の延長や非親告罪化に反対し、フェアユース導入論を唱え、また時に海賊版の跳梁やその視聴を非難してきました。一度、ある弁護士から『あなたは権利者側か利用者側か、どちらの味方なのか』と問われたことがあります。」
「筆者は、どちらの側に立とうと思ったこともありません。そんなことには、興味すらありません。ただ、いつでも『文化の側』に立ちたいと思っています。もっとおもしろい、豊かな作品を創造し、発掘し、育て、そして多くの人々に届けようとする人々の側に立ち続けたいと思っています」(191-192頁、一部強調付記)

ついつい我々は、「権利者側」とか「ユーザー側」といった安直な“二分論”で発言力のある専門家の色分けをしてしまいがちなのだが、「著作権」が保護しているのはあくまで「文化の発展」である*2、という事実を改めて思い知らされた気がして、深く感銘を受けた次第である。

*1:あくまで個人的な感想だが、専門家が書かれた本の中で、「カラオケ法理」がこれだけわかりやすく説明されているものを見たのは初めてかもしれない(118〜122頁)。最高裁判決ではなく「MYUTA」の事件の方をベースに解説されている、というのも、自分の感覚に近いものがあって、非常に共感できるところであった。

*2:それは、「権利者の保護」でもなければ「産業の発展」とも異なる。