夏休みに読んでみた本(その3)〜知財法分野を語る上で必読の珠玉の講演録

そろそろ“夏休み”気分からも醒めて、この先の怒涛の仕事ラッシュに怯える時期に差し掛かっているのだが、そんな中、気合で読み切ったのが、この本である。

ライブ講義 知的財産法

ライブ講義 知的財産法

知財法の分野で、長年にわたり第一線の研究者として活躍され、体系化された世界観を構築されている北大・田村善之教授の講演のうち、「特に理論的、実務的に重要なものを選んで活字化することにした」*1一冊。

元々掲げていた競争法的な視点に加え、「市場志向型知的財産法」ということで、市場と法、更に政策決定プロセスまで絡めて、知財法分野の複雑な問題を明快に説き起こそうとされているのが最近の田村教授で、各種雑誌等に掲載されている論文にも、そのようなトーンが強く打ち出されることが多い。

そして、上記のような一貫した視点から、論文の行間と脚注(特に、裏付けとなる豊富な判例、学説等)を本編に盛り込む形で、最新の知財法の動向をわかりやすく解説していただけるのが、田村教授の講演であり、当然ながら実務者向けセミナー等でも、弁護士会の研修等でも人気は極めて高い。

そんな講演録が一冊にまとまった、とあれば、当然入手して読みたくなるのは、知財クラスタの人間としては至極当たり前の心理。

なので、発売されたのは去年の6月には、もう手元にあったのだが、「はしがき」で、田村善之教授ご自身がコメントされているとおり、「分量としては同じ内容を文語で書く場合に比して3倍にも4倍にもなる」というボリューム感である上に、掲載されている一つひとつのテーマも非常に重たく、噛み砕くのに時間がかかる・・・ということで、1年越しのご紹介、ということになってしまった次第である。

花形論点への挑戦

本書は、第1章の「知的財産法総論」に始まり、不正競争防止法、商標法、特許法著作権法、その他、という法分類ごとに、6つの章で構成されている。

ただ、頭の整理としては、「メジャーな論点について論戦を挑んでいる分野」/「過去に田村教授ご自身が立法に関与された分野について、当時の回顧と現在に至るまでの解釈論の発展を振り返る分野」/「より広い視野からの、将来もにらんだ政策&解釈論」といったように分類しながら読み進めていった方が、著者の伝えたいことが、すんなり入ってくるように思われる。

そこで、以下、その順番で解説すると・・・


まず、「均等論における本質的部分の要件の意義」(258頁以下)や「特許権の間接侵害について」(279頁以下)、「特許権の消尽理論と修理と再生問題」(311頁以下)といった、特許法に関する一大論点の解説をされている章などは、まさしく「花形論点」の再構築に、田村教授が独自の体系から挑まれている部分だということができるだろう。

例えば、均等論に関しては、リーディングケースとして、現在でも決定的な存在感を放っている「ボールスプライン軸受事件」(最判平成10年2月24日)の分析に始まり、その後集積された多種多彩な裁判例の分析を加えた上で、

「裁判例の分析から明らかになったのは、公知技術との距離は、均等を狭くする方向に斟酌されることはあっても、明細書に記載された技術的思想に基づいて確定される均等の範囲を拡張する方向には斟酌されるものではない、ということです。私は、先ほど述べたように、こうした取扱いは、発明に加えて開示を特許権の保護の要件としている特許法の構造に即したものであり、正鵠を射たものであると考えています」(278頁、強調筆者、以下同じ)

と、「公知技術とクレイムとの距離で本質的部分が確定される」という一般的な言説を一段と掘り下げ、そして、

「均等論における本質的部分の要件は予測が困難であるとか、真実の発明を救済してもらえない等の不満を耳にすることがあります。そのような不満は、本質的部分の要件が、発明者が主観的に信じているところの「真の発明」を保護するものである、という理解に起因しているように思われます。しかし、裁判所における本質的部分の要件は、明細書に記載されている発明を探求する要件でしかありません。均等論は、明細書の記載とは無関係に「真の発明」を保護する制度ではなく、単に、明細書に開示された技術的思想をクレイムがカヴァーしきれないときにクレイムを救済する制度でしかないのです。今後、このような理解が浸透していくのであれば、明細書を超えて真の発明を保護してもらえるという過剰な期待が減少し、予測可能性も相応に担保されることになるように思われます」(278頁)

と、明快な論旨で、現状を的確に解き明かしている*2

他の法分野に関しても、「著作権の間接侵害」(429頁以下)という、著作権法分野でつい最近まで激しい論争が繰り広げられていた論点について果敢に議論を挑まれており、「クラブ・キャッツアイ事件」(最判昭和63年3月15日)に始まるカラオケ法理、「ナイトパブG7事件」(最判平成13年3月2日)、「ヒットワン事件」(大阪地判平成15年2月13日)、「選撮見録事件」(大阪地判平成17年10月24日/大阪高判平成19年6月14日)と続く利用手段提供者の事例、さらに、「ファイルローグ事件」(東京地決平成14年4月11日ほか)、そして「録画ネット事件」から始まる「まねきTV」「ロクラク」「MYUTA」といった一連のシステム提供者の責任が問われた事例をくまなく紹介した上で、

カラオケ法理は、その守備範囲を元来の主戦場に止めておくべきであり、直接、人的な関係により物理的な利用行為者を支配している場合に限って適用されるべきである、と考えています。」
「他方で、人的な関係による行為者に対する支配が認められず、利用行為に供される装置やサービスが提供されるに止まる類型では、カラオケ法理ではなく、むしろ、大阪地裁におけるヒットワン事件や選撮見録のように、違法行為があることを前提として、専用品に限って差止めを肯定するか、あるいは、多少広げて多機能型の装置に対して差止めを認めるとしても、侵害にのみ供されるところを中心に差止めを認めるべきである、と私は考えます。」
以上の要件を満たさないものについてまで侵害を拡張することは、私は、立法の仕事であると思います。それを司法限りで、適法行為を違法行為に転じる効果を持つカラオケ法理や、総合衡量型を適用して侵害を肯定する従来の裁判実務には、疑問を呈さざるをえません。私は、ロクラク事件控訴審判決をもって、是と考えます。」(460〜461頁)

と、自説を力強く述べられている*3

本稿に関しては、講演が行われたのが、2007年の11月であり、その時点では、まだ、まねきもロクラクも裁判闘争が始まったばかり、という時期だったと思われるが、本書の中では、その後の控訴審判決、さらに最高裁判決についても紹介とコメントがちゃんと書かれており、これまであまり目にする機会がなかった*4、まねきTV、ロクラク事件の最高裁判決へのコメントとして、

「まねきTV事件最高裁判決もロクラク事件最高裁判決も、ともに被告がアンテナで放送を受信・入力している点を重視しているので、自ら複製し自らに送信するファイルを選択するストレイジ・サービス一般にまでは、その射程は及ばないと考えます。」(463頁)

といった射程の理解が示されているし*5Winny事件(刑事)最高裁判決についても、最後に「付言」された上で、

「多数意見の説くような総合衡量の下での故意の認定は、いかようにでも転びうるものです。したがって、このような主観面に頼る限定では、価値中立的なソフトの開発に対する萎縮効果は、十分に払拭し難いと評価せざるをえません。その意味で、最高裁により真っ向から否定された原判決のほうが、相対的に優れた立論であったように思います。」(469頁)

というコメントが書かれているなど、読者のニーズを満足させるようなアップデートもなされている。

これらの「花形論点」については、田村教授ご自身が、「鑑定意見書」といった形で、事件そのものに積極的にアプローチしていた様子も、これらの講演の中では、適宜紹介されているところであり、単なる“斜め読み”の評釈とは次元が異なる奥深さが感じられるのである。

なお、「花形」とまでは言えないのかもしれないが、個人的には、商標法に関する「商標法の保護法益」(100頁以下)や、「普通名称と記述的表示」(138頁以下)といったテーマの解説も大変興味深かった。

商標関係の仕事に関わり始めた頃に熟読していた『商標法概説』(第2版)の記述を想起させるような事例の紹介や趣旨解説を読んで懐かしい思いにかられながらも、「CONVERSE事件」(知財高判平成22年4月27日)や、「招福巻事件」(大阪高判平成22年1月22日)、「SIDAMO事件」(知財高判平成22年3月29日)のような近年の裁判例にまで、きちんと解説の射程が及んでいることに確認できる、というところにちょっとした嬉しさを感じるのは、筆者だけではないだろう*6

過去の立法過程を振り返りつつ、「今」を語る

一方、過去に華やかな議論が行われた論点の中には、立法的解決が図られたものも多い。
そして、そのような論点のうち、田村教授が直接立法に関与した、あるいは立法に大きな影響を与えた、とされるテーマが、この講演録の中でもいくつか取り上げられている。

例えば、「商品形態のデッド・コピー規制の動向」という章(66頁以下)では、不正競争防止法2条1項3号の制定過程(1993年改正)を、当時の田村教授ご自身の論文を取り込みつつ丹念に解説し、「デッド・コピー規制の趣旨を意匠法とは異なる」と理解していることを明らかにした上で、その後の裁判例の蓄積や2005年改正での対応等について、丁寧にまとめている。

また、田村教授の研究生活の出発点として知られている「特許権侵害に対する損害賠償」(354頁以下)についても、1章を割いて、1990年代後半の立法に至るまでの流れを概観したうえで、特許法102条1項から3項までの各条文に蓄積された裁判例に対し、論点ごとに立法趣旨に立ち戻りながら、逐一評価を加えている*7

立法過程で主導的な役割を担い、華やかな論陣を張られる先生は多いが、立法が現実のものになった後まで継続的に動向をフォローして、その分析まできちんと世に出されている方は、あまりいないのでは?という気がする中で、講演録という形をとりつつも、これだけのきちんとしたフォローがなされている論稿を目にすることができるのは、実に幸福なことだと思う。

「新しい制度設計」への思いが込められた論稿

さて、ここまで紹介した章の中にも、ところどころに“法政策学的な視点”が出てくるのだが、それらをより抽出した形でまとめた、いくつかの章がある。

本書の先頭を飾る、「知財立国の動向とその将来像」という章(2頁以下)の結びでは、我が国の知財法制の歩みを振り返りながら、結びで、

今でこそ、『知財立国』の標語の下、強い知的財産権の保護を謳歌するがごとき日本ですが、つい最近まで、弱い知財保護の下で先進国の技術に追いつけ追い越せという努力をなしているのです。それを忘れて、途上国を含む世界の国々に、日本ですら1990年代になってようやく到達した知財の水準の保護を、あたかもそれが産業の発展に資するものであり、倫理的にも当然の理であるかのように押しつけるのは、少なくとも歴史認識としては正鵠を射ていないように思われます。さらにいえば、こうした歴史認識は、外国のことばかりでなく、日本のこれからの知財法制を考える上でも、知的財産権の保護の強化一辺倒がはたして本当に産業の発展を導くのか、深い省察の下に制度改革を進めるべきことを示しているように思います。」(12頁)

と、能天気な「知財立国」論に一石を投じているし、続く「知的財産法の制度設計のあり方」という章(13頁以下)では、本書全体を貫く「インセンティブ論」の考え方、及び「市場と法の役割分担」、「法的判断主体の役割分担」といった視点について、商品形態のデッド・コピー規制や均等論の話等を例に出しながら解説された上で、

インセンティブ論の限界として、私人の自由利用や民主主義といった効率性以外の価値を確保するような制度設計の必要性」

までもを、プロバイダー責任制限法の例を挙げながら、分かりやすく説かれている。

そこから派生する形で、特許法の章には「イノヴェイションの構造と特許制度のあり方」(224頁以下)という章が置かれているし、著作権法の章には、「デジタル化時代の著作権制度のあり方」(400頁以下)、「日本版フェア・ユース導入の意義と限界」(470頁以下)が置かれ、さらには「未保護の知的創作物という発想の陥穽について」(38頁以下)、「民法の一般不法行為法による著作権法の補完の可能性について」(494頁以下)といったところにまで、“田村知的財産法政策学”の一貫した論理は及んでいる。

具体的な内容については、とにかく本書を読んでいただくのが一番だと思うのだが、特に著作権制度について、「政策形成過程のゆがみを理解した解釈論」の必要性を唱えたり(423頁など)、現在の著作権法が「内的視点の獲得に失敗している」と指摘した上で(425頁)、

「孤児著作物問題等の構造的な問題については、逐一フェア・ユースで処理するばかりではない、もっと根本的なところで変革せざるをえないのではないかと思います」(425頁)

と述べられるなど、現状の法制度を踏まえた危機感を示された上で、将来的な制度設計を考える上で有益と思われる様々なオプションの可能性を探っているあたりなどは、著作権制度の将来像に関心をお持ちの方にとっては必読、のポイントだと思うところである。

おわりに

以上、気合を入れて読み解いた本書のエッセンスを、なるべく漏らさぬように紹介しようと思って書き進めるうちに、随分と大部な書評になってしまった。

この分野の進化のスピードの速さゆえ、本書が公刊されてからの一年ちょっとの間にも、新たな裁判例は次々と世に登場しており、公刊当時、最先端を行っていたはずの本書にも、章によっては現実との間のタイムラグが若干生じつつあるように思われる。

だが、そこは、過去の講演録を、“2012年バージョン”に美しくリバイズして世に出された本書のこと。

今後、現在の完成された各パートを時代の変化に合わせてさらに磨き上げていくような、第2版、第3版が世に出され続けることを、自分は期待してやまない*8

*1:田村善之『ライブ講義 知的財産法』(弘文堂、2012年)「はしがき」より。

*2:ちなみに、特許権の間接侵害については、「クリップ事件」や「一太郎事件」をベースに、下級審判例によって打ち立てられている規範を丹念に分析されているし、消尽理論に関しては、お馴染みの「製砂機ハンマー」、「アシクロビル」といった初期の消尽に関する事例を解説された上で、「インクカートリッジ事件」(知財高判平成18年1月31日/最判平成19年11月8日)の知財高裁大合議判決の論理を仔細に検討し、そこに一定の評価を与えつつも、「技術的観点から本質的部分」を見ようとする第2類型について「予測可能性の低さ」を厳しく指摘して、それを踏まえた「最高裁判決の読み方」を解説されている。ちなみに、このテーマについて元の講演がなされたのは、2006年11月19日のことであり(本書の巻頭には、「初出一覧」として講演日や講演時のテーマ等の一覧が掲載されている)、講演時にはまだ最高裁判決は世に出されていない。それゆえ、最高裁判決に関するコメント部分は、講演後に、当時の講演録の内容に合わせて、田村教授が付け足されたところ、ということになるのだが、読み進めている限りでは、“後付け”の違和感をさほど感じずに済むくらい、項全体が完結したストーリーでまとめられている、というところにも、本書の見事さが表れていると言えるだろう。同じようなテクニックが用いられている章は、後述する「著作権の間接侵害」をはじめ、他にも数多くあるので、探しながら読んでみるとまた本書の面白さが増すかもしれない。

*3:田村教授の見解の特徴は、「私人の自由を過度に害する」形での法解釈を批判する一方で、「権利の実効性確保」という観点から、リース業者のような行為者への規制や、文献複写機器等への課金システム等の導入を肯定する、という点にあるのではないかと思われる。詳細については、実際に読んでいただくことをお勧めする。

*4:単に自分が読んでいないだけで、より詳細な評釈が掲載されている雑誌等もあるのだろうとは思うが、そこはご容赦いただきたい。

*5:その一方で、田村教授はMYUTA事件のケイスが上記最高裁判例の射程が及ぶ限界線の事例となる、という指摘も行なっている(463頁)。

*6:これらに続く、「インターネットと商標法」(179頁以下)という章でも、「ELLEGARDEN事件」(東京地判平成19年5月16日)の「購買前の混同」理論への言及や、「CHUPA CHUPS事件」(知財高判平成24年2月14日)におけるモール運営者の責任、といった、かつての田村教授の概説書を超えた新しい論点への言及がなされている。また、この章ではプロバイダーの責任等、商標法の枠を超えた横断的な検討が試みられている、という点でも興味深い記述が多い。

*7:この論点などは、今年の知財高裁の大合議判決(知財高判平成25年2月1日)などもあって、再び議論が盛り上がる兆しもある。是非、“続き”を読みたいテーマだと思う。

*8:もちろん、新たなテーマについての講演録を追加する必要もあるだろうから、数十年後は、二分冊、三分冊になってしまうかもしれないが、それでも自分は買う(笑)。