著作権法上の問題が「規制改革」の文脈で語られることへの疑問

昨日、“自炊代行”の地裁判決を読んでしまったせいで、順番が逆になってしまったが、元々は1日付の記事として書こうと思っていたネタを1つ。

日経紙の法務面に掲載された「クラウド著作権」(上)という特集を読み、その中で、「著作権クラウドサービスの障害になっている」というトーンの記事が書かれているのを見て、

「『法整備』を求める思いは分かるものの、現状の打開策として、立法を待つだけで良いのか?」
「審議会での議論を通じた“立法”に期待する前に、リスクをとって事業を進める余地はいくらでもあるのではないか?」

という趣旨のエントリーを書いた*1のは先週のこと。

今週の法務面に掲載された「クラウド著作権」(下)*2では、「著作権問題に詳しい関係者」としてインタビュー形式で登場した榊原美紀・JEITA著作権専門委員会委員長が、

日本の法体系では包括的に様々なクラウドサービスを合法化する規定を作ることは困難かもしれない。一方、現在の規定の解釈を広げることで対応できるものもあるだろう。」(強調筆者、以下同じ)

とコメントされるなど、比較的冷静なトーンに落ち着いているが*3、依然として「法整備」を求める風圧は、強いように思われる。

そして、そんな中、ギョッとするような記事が、同日の夕刊に掲載された。

政府の規制改革会議(議長・岡素之住友商事相談役)は30日午後、インターネット上のサーバーに音楽や画像などを保存できる「クラウドサービス」の利用拡大に向け、著作権法の解釈を広げる提言をまとめるクラウドサービスを使って音楽CDなどを個人で楽しむ場合、著作権法違反にあたらないことを明確にするよう文化庁に促す。」(日本経済新聞2013年9月30日付け夕刊・第2面)

何かと物議を醸しがちな規制改革会議だが、ことこの件に関しては、ドラスチックな立法による対応ではなく、あくまで所管官庁に「解釈を明確にするよう促す」というアプローチで切り込もうとしているだけ、のようだから、仮にこの記事の内容が事実だったとしても、やっていること自体はまぁ穏当、というべきだろう。

だが、自分が引っ掛かったのは、「著作権」という、あくまで“私権”をめぐる攻防が問題となるフィールドに対し、「規制改革」会議が口を出した、という事実である。


今も昔も、「規制改革」の文脈でやり玉にあげられる事柄は、世の中に極めて多い。
最近でも、「インターネットによる医薬品販売」が、大きく取り上げられたところは記憶に新しいところだし、雇用法制や個人情報保護の関係なども延々と議論が続いている。

そして、「クラウドサービス」をめぐる著作権法上のルールも、それが「事業者によるサービス提供の足かせになっている」となっているのだとすれば*4、上記のような政府による規制とほぼ同じように、「改革」の対象とすべき、という理屈は理解できなくもない。

だが、先ほども書いたように、本来、著作権法上のルールというのは、民法の延長線上にある、“権利者”と“利用者”との間のプライベートな関係を規律するものに過ぎず、個々の著作権者の「許諾」さえ得ることができれば、原則としていかなる利用行為も認められる、というものである*5

もちろん公法的な「規制」においても、それによって反射的に保護される利益集団というのは必ず存在するわけで、インターネットによる医薬品販売の規制であれば、街中の薬局等がそれにあたるだろうし、大規模小売施設の出店規制であれば、零細小売店舗がそれにあたることになろう*6

でも、仮にそういった利益集団の一部に、「医薬品のインターネット販売は顧客の利益にもなるので賛成する」とか、「大型小売店舗ができれば隣町からも人が集まり、結果として自店舗の売り上げにも寄与することになるので、賛成する」という人がいたとしても、上記のような「規制」はあくまで公的なものであるから、それによって規制のルール自体が直ちに変更される、ということにはならない。

もっと極端なことを言えば、利益集団を構成する全ての関係者が、「もうこんな規制していても意味がないよな」と内心思っていたとしても、法案が既に成立して施行されている以上、国会でその改廃プロセスを経ない限り、「規制」は半永久的に残り続ける(そして、一応、規制により理論上は反射的な利益を受けうることになる当事者の側から、「この規制はもういらないから廃止してください」と積極的に声が上がる、ということはちょっと考えにくい)。

だからこそ、有識者が入って「規制」の是非を公の場で議論する必要が出てくることになるわけだし、上記のようなプロセスゆえの、必要のない規制、過剰な規制を是正する、という限りにおいて、「規制改革会議」等の機関の存在意義がある、といえることになる。


一方、著作権法の世界では、理屈の上では、上記の公法的規制のような問題は生じない。

権利者の9割方が、著作権法の「規制」に賛同して、自己の著作物の利用を許諾しなかったとしても、一部の著作権者が異なる考えを持てば、その者の意思で、二次的創作だろうが自炊だろうが、メディア変換だろうが、ユーザーが自由に行うことを認める、という整理をすることは可能である。

クラウドに関して言えば、よく「外国で受けられるサービスが日本で受けられないのはおかしい」的な論調を耳にするが、リンゴのマークの会社のサービスに関して言えば、単に権利者サイドとの間で対価還元の合意が成立しているかどうか、という話に過ぎないし、権利者集団の同意を取らずに提供されているようなロッカーサービス等は、“制度的に日本より優れている”とされる外国においても、当然訴訟の種になっている*7

日本の場合、著作物を活用した新しいサービスについて議論される際に、ユーザーの利便性だとか、経済的な損得の方に話が行く前に、どうしても権利者側の感情的な部分が先行してしまい、合理的な合意形成がなされにくい、という声は良く聞くところであるが*8、そこは本来、交渉で解決すべき領域であろう。

要は、著作権法上のルールを、医薬品販売のような「規制」と同視し、日本国内で著作物が絡むサービスが進まない理由をそのような“規制”の存在に求めるのは穏当ではなく、もっと別のところで問題を整理した方が良いように思えてならないのだ。

「とかく膠着状態に陥りがちな現状を何とか打破することが大事なのだ。手段の論理的妥当性はともかく、何らかの形で新しいルール形成が促されればそれで良いのだ」

という発想はありうるのかもしれないし、そういった動きをすべて否定するつもりもない*9

ただ、文化審議会著作権分科会の中に、権利者側と利用者・事業者側双方の利益代表を入れた小委員会を設け、そういった場におけるいわゆる“チャンピオン交渉”を通じて、新たなルールメイクを図って行こうとする動きがある中で、おそらくは事業者側からの一方的な働きかけを受けて「規制改革会議」という“門外漢”が外野から法の解釈に口を出すことで、かえって、権利者側が態度を硬化させ、まとまるはずの協議もまとまらなくなるのではないか・・・ということを、自分は危惧している。

所詮、「規制改革」など、時の政権の意向に左右される根無し草のようなもので、提言すること“だけ”が仕事なのだから、言いたいことを言わせておけばいい、という発想もありうるのかもしれないが、問題の本質を取り違えないためにも、「筋」はきちんと通すべきだと思うのである*10

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130923/1380129185参照。

*2:日本経済新聞2013年9月30日付け朝刊・第17面。

*3:榊原氏がインタビューの中で例に挙げられていたのが『情報解析のための複製』である。

*4:この立論自体に自分は全面的に賛同するものではないが、そのことはここではとりあえずおいて置く。

*5:厳密に言えば、刑事処罰規定も含むルールなので、その部分に関しては様相を異にするが、そこでも多くの規定は親告罪とされており、著作権者の意向が大きく反映されることになる。

*6:そういったピンポイントの目的だけを掲げて規制立法をすればあちこちから猛烈な批判を受けることは必至だから、「国民生活の向上」等々、公益的な理由づけは当然なされるのだが、実質的には一般国民以上に当該規制で「得をする」人々、というのが必ずいるはずだし、そういったものがなければ、立法過程にも乗りにくい、というのが現実だと思われる。

*7:そういった類のものに関して、外国でサービスを受けられて日本で受けられないのは、「規制」の強弱に由来する問題、というよりは、コンフリクトリスクに対する事業者の感覚の違いに由来する問題だと言えるだろう。

*8:ついでに言うと、音楽以外の分野では、個々の著作権者に権利が分散しているので、全体の合意形成を図るプロセスが極めて面倒なものになる、という現実もある。

*9:もとより、自分は、著作物がなるべくストレスなく利用できるようになることを望んでいるし、そのための法環境整備のための努力は惜しむべきではない、と思っている。

*10:最近は、権利者側が国会議員を動かして、ユーザーサイドの意見も聞かずに違法ダウンロード刑事罰化等々の立法をすることが、良く批判の槍玉に上がっているが、「規制改革会議」を通した事業者側からの働きかけも、結局やっていることは同じではないか、と思う。

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