ついに世に出た“真打ち”的評釈

昨年秋に判決が出て以降、ジュリスト、NBL、と、ボチボチ速報的な評釈が登場していた「自炊代行業者著作権侵害事件」だが、1月6日付けで、判例DB大手のWestLaw社の「今週の判例コラム」のコーナーに、北大の田村善之教授の解説が掲載された*1

おそらく、そんなに時間が経たないうちに、会員しか読めないエリアに持って行かれてしまうことになるとは思うのだが、コンパクトにまとめられたものであるにもかかわらず、今回の2件の東京地裁判決に対する評価としては、個人的に最も共感できる内容となっているだけに、取り急ぎこの場でご紹介しておくことにしたい。

「自炊代行業者と著作権侵害の成否」

田村教授の解説は、「自炊」の問題全般に簡単に言及した上で、「タイプ毎の著作権侵害の成否」について述べていくところから始まる。

そして、今やすっかりこの分野での必読論文になりつつある、小坂準記=金子剛大「まねきTV・ロクラク?事件最高裁判決にみるコンテンツ・ビジネスの諸問題」 (Law & Technology52号69頁(2011年)を参照しつつ、「自炊のための道具や場の提供をする業者」については複製の主体にあたらない、逆に、「裁断済み書籍を提供する業者」については、業者が複製の主体にあたりうる、と述べられたうえで、

「問題は、ユーザーが所有する書籍の裁断、スキャン等をユーザーに代わって代行するサービスを提供する業者の行為の取扱いである。」
利用客が複製すべきものを主体的に決定している反面、物理的な複製自体は業者がなしているということである。そのために、複製の主体はどちらなのか、30条1項の適用があるのか、ということが争われることになる。」(以上強調筆者、以下同じ)

として、本題へと入っていく。

結論としては、田村教授は、これまでに出された東京地判平成25年9月30日、東京地判平成25年10月30日のいずれに対しても疑問を投げかけているのだが、中でも自分が強く共感したのは、以下のくだりである。

利用行為の主体論とは別個の法理である私的複製による著作権の制限を規定する30条1項の適否が問題となる以上、利用行為の主体論だけで最終判断をしたり、利用行為主体論の判断をそのまま援用するのではなく、30条1項の趣旨に則した判断をなす必要があるというべきである。

このブログにおいても、昨年末のエントリーで書いたように*2、「物理的に複製している」という点を捉えるならば、(利用者が複製主体かどうかにかかわらず)自炊代行業者が「複製主体」になってしまうのは明らかなのであり、議論を「複製主体性」の土俵で行おうとすればするほど、自炊代行を支持しようとする立場の者はドツボにはまっていくことになる。

だとすれば、自炊代行事業者が複製主体かどうか、という議論はとりあえず脇に置いて、(利用者も複製主体となり得ることを前提とした)著作権法30条1項の適用の可否を真正面から議論すべき、という主張は非常に魅力的に映る。

そして、

「同項(注:30条1項)が「その使用する者が複製する」ことを要求している趣旨が、私人である本人以外の者が複製する著作物を決定する場合には、特定の著作物について組織的に複製されることになりかねず、著作権者に与える影響を無視しえないからであるとすれば、肝要なことは使用者本人が何を複製するのかということを決定しているのかということなのであって、物理的に複製をなす者が誰かということは重要ではない。この種の自炊代行は30条1項の枠内にあるというべきではなかろうか。

と明快に言い切るこの主張こそが、本件の高裁段階における結論「逆転」の可能性を、最大限に引き出せる理屈ではないか、と自分は思う。

ちなみに、田村教授は、自分が前々から違和感を抱いていた、「DRMが施されていない電子ファイルが拡散し、著作権侵害が横行することにつながる」、「裁断本がオークション等で販売されていることに鑑みると、著作権者の経済的な不利益は無視し得ない」といった、著作権者、出版社側の主張に対しても、

「私的複製にかかる電子データがインターネットにアップロードされた時点で複製権侵害や公衆送信権侵害に該当するのであり、そこで捕捉することが可能なのであるから、 かえって、侵害に結びつかないものも含めて一網打尽に禁圧しなければならない理由はない。また、 私的複製を可能とする以上、自ら私的複製した場合に裁断本が市場に供されることは防ぎ得ないのだから、裁断済み書籍の流通によってそれと質的に異なる不利益が権利者に発生しているとはいいがたいようにも思われる。」

と、「自炊代行業者を著作権法上違法とすべき理由」にはつながらない、ということを明確に述べられている。

電子データの流通はともかく、「裁断済み書籍」の流通に関しては、それが私的複製の範疇で転々と利用され続ける限りは、著作権法の問題には全くなりえないのであり*3、その趣旨が明確に書かれたことには、大きな意味があるだろう。

また、田村教授は、「電子書籍市場という著作権者にとっての新たな市場が自炊代行業者によって侵食される」という主張に対しては一定の理解を示されているものの*4、そこで、

「日本の著作権法が適用される国内で私人が所有している蔵書のうち、著作権の存続期間が消滅していないものの数は天文学的な数字にのぼるところ、電子書籍市場に関心を示し、これを活用している著作権者はごくわずかに止まる。そして、このように大きな母集団の下では、自炊代行業による複製を禁止してまで自己の利益を守る必要はないと感じている著作権者や、そもそもそのような問題意識すら持ったことのない著作権者(その典型例は、著作権者の所在が不明のいわゆる孤児著作物の著作権者である)は莫大な数に上るはずであり、そこに大半の著作権者が権利行使をしない結果、事実として自炊代行が許容されており、それにより公衆が自炊代行による利益を享受することが可能となっていると見ることができる(このように権利者が権利行使をしないために蔓延している著作物の利用のことをtolerated use=寛容的利用という)。」

といった新しいスタイルの問題提起を行い、「この状況下で、それを理由に、自炊代行業者という自炊の技術的、環境的プラットフォームを(寛容的利用を含めて)なべて著作権侵害に従事しているとして禁圧してしまうと、電子ファイル化による省スペースというデジタル技術の恩恵を私人が存分に享受することに失敗してしまうことになりかねない」という懸念を示されている。

“tolerated use”という発想それ自体は、我が国の社会風土の中では、なかなか公式に承認されるものにはなりにくいと思われるし、実務においても同種の発想を正面から唱えるようなケースはまれだと思うのだが、従前の解釈論の選択肢が限られており、立法しようにも利害関係が激しすぎてなかなか前向きな方向に進まない、という状況を鑑みると、こういった考え方により、不当な権利行使を自然と抑制する方向に向かわせることも重要であろう。

そして、利用者にとってのコスト面にも目を配りつつ、最終的には、

「寛容的利用を育みつつ、保護を必要とする権利者を守るための方策としては、前述のように、30条1項の「その使用する者が複製する者」という要件を活用して、裁断済みの書籍の保管や転用はせず、注文の都度、顧客からの宅送ないし直送を要するなど、相応に非効率なビジネス・モデルを採用する自炊代行業者に限り、同項の私的複製の範囲内と認めて著作権侵害の責任を免らしめる、という措置をとることがありえよう。このような解釈の下では、許容される自炊代行業者経由の電子ファイル化が相応に高コストなものとなり(利用客のコストには自炊代行業者に支払う対価だけでなく、書籍の購入代等の調達費用や送料が含まれる)、電子書籍市場を活用したい著作権者は、それよりも安価に電子書籍を供することにより、自炊代行業者との競争に勝てるようになる。」
「他方、この解釈は自炊代行業というプラットフォーム自体をつぶすものではないので、権利保護に無関心の著作権者の著作物は、電子書籍市場との競争に晒されることなく、自炊代行に供されることになる。このように市場を活用して、保護を欲していない権利者の書籍は自炊代行業者により、保護を欲している権利者の著作物は電子書籍市場により、それぞれ電子ファイルが提供されるように仕向けられることが期待される

と、「市場の活用」と絡めて落としどころを見出しているところに、従前の他の論者の評釈等とは異なる、このアプローチの可能性を自分は感じているところである。


以上、コンパクトながらも、非常に魅力的な田村教授の解説を紹介させていただいた。

自分としては、ここまで踏み込んだ「評釈」が出てきた以上、知財高裁は、著作権法30条1項の適用に関する判断を真正面から行うべきだと思うし、その判断が出るまでの間、もっともっと議論が盛り上がって良いはずだ、と思う。

そして、そういう過程を経てこそ、真に著作権者の利益保護と共存し、社会にとっても有益な「自炊代行」のスタイルを確立することができる・・・
そう思うのである。

*1:1月7日時点のリンク先は、http://www.westlawjapan.com/column-law/

*2:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20131217/1388244611参照。

*3:裁断されていようが、販売時の書籍の体裁を保ったままであろうが、ひとたび適法に譲渡されて対価が回収されたものについて、更なる流通の段階で、さらに何らかの権利が及ぶ、と解するのはいくら何でもやり過ぎであろう。

*4:田村教授は同時に、「自炊代行による私的複製の可能性を念頭に置いた対価を発行時に取得」しようとすれば、「自炊を想定していない読者層にとって書籍の価格が高すぎることになり、市場による書籍の普及を多少なりとも妨げることになる」と指摘している。