海を渡った勇者を改めて振り返る。

昨年くらいから自分が抱いていたささやかな希望は、あっさりと打ち砕かれた。

米国野球殿堂は8日、2014年の殿堂入り選手を発表し、大リーグのドジャースなどでプレーして通算123勝を挙げ、日本選手として初めて候補者入りした野茂英雄氏(45)は選出されなかった。」(日本経済新聞2014年1月9日付け夕刊・第11面)

現役を終えてから5年、同じく1年目の候補者として名を連ねた他の「元投手」が、グレグ・マダックス氏(通算355勝)、トム・グラビン氏(通算305勝)といった、一時代を築いたエースたちであり*1、そういった選手たちの実績と見比べてしまうと、野茂投手が米国の地で残した数字が、見劣りするものだったのは確かだろう。

また、日本人選手に対する「現地の反応」に関する報道は、どうしても“日本人向け”に編集されてしまうから、日本人が思っているほど、「野茂英雄」という選手の印象が、現地の記者たちの間に浸透していなかった可能性はある。

だが、前年のストライキの影響で“人気凋落必至”と言われていた1995年のメジャーリーグが、西海岸の“トルネード”旋風で息を吹き返した、というのは、今でも現地メディアが時折報じる「歴史的事実」だと自分は思っているし、2000年前後くらいの時期に渡米した時も、野球好きの現地人が、日本からの来訪客に対して出す話題の中には必ず、“NOMO”がいた*2

そういった“歴史的経緯”を考えると、「5%以上」の得票がないと次回以降の殿堂入り候補者にも残れない、という厳しい条件の下で、わずか6票(1.1%)という結果に留まってしまったことが、非常に残念に思えてならない。


もちろん、殿堂に入るかどうかで、野茂選手の活躍を海の向こうで眺めていた我々の記憶の中身が変わってしまうわけではないし、松坂大輔ダルビッシュ田中将大・・・と、どれだけ日本から海を渡るエースピッチャーの系譜が引き継がれていっても、NPB、MBLの双方に与えたインパクトの大きさから言って、“やっぱりNo.1に挙げるべきは野茂だ”という、自分の中の印象が揺らぐものでもない*3

ただ、やはり、勇敢な「開拓者」には、世の中全体でそれにふさわしい最大限の称賛を送るべきだと思うし、政府にしても、他のメジャー経験のあるプロ野球選手に国民栄誉賞を贈るくらいなら、もっとやるべきことがあるのではないかと思う。


甲子園経由のスター街道とは無縁の存在で、プロ入り後もそれまでの野球界の枠に収まることなく果敢に海を渡っていった、という我々の目に映る野茂選手の“スタイル”に照らして考えるなら、むしろ形に残る勲章などない方が、“らしい”のかもしれないけれど、それでも、自分はこの先の「何か」に期待してみたいと思っている。

*1:いずれも今回の投票で野球殿堂入り。

*2:もちろん、その時行った先は西海岸だったし、ちょうどボストンからロサンゼルスに野茂投手が戻ってきて話題になっていた時期だった、ということもあるのだが、当時既に日本での話題を独占していたイチロー選手よりも、野茂選手の方が、話題に上ることは多かったと記憶している。

*3:なんといっても、野茂投手の場合は、プロでデビューした当初からのインパクト、という点で、他の実績ある投手のほとんどを上回る、と自分は思っている。1990年、野茂投手が試合で登板するたびに、数え上げられる三振の数、そして3つ目のストライクがコールされる瞬間の、呆気にとられたような打者の表情を伝えるアナウンサーの実況に、シビレるような思いを味わったことを、今も懐かしく思い出す。

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