ここ最近の知財政策をめぐる議論の中には、「一体どこに向かおうとしているのか?」というのが良く分からないものが増えてきていて、ついこの前まで議論されていた「電子出版権」だとか「画像デザイン保護」といった話などは、まさにその典型だったわけだが、これらの議論がようやく一息ついたと思ったら、また迷路に迷い込みそうなネタが日経新聞の1面を飾っている。
「政府は社員や役員の業務での発明に対する報酬基準を作って明示するよう企業に義務づける検討に入る。いまは対価をどう支払うか曖昧な企業もあり、報酬は不十分と個人が企業を訴えるケースもある。発明で得た特許は個人ではなく企業が持つ制度に切り替え、訴訟リスクを抑える。その代わり企業は利益への貢献度に応じて発明した従業員に報いる義務を負う。」
「現在は発明した社員への対価の算定方法を事前に定めておくかどうかは企業まかせだ。法改正で『発明報奨規則』をつくることを義務づける。」
(日本経済新聞2014年3月24日付朝刊・第1面)
自分は、最初、この記事を読んだときに、一瞬目を疑った。
かれこれもう10年以上にわたって議論されている「職務発明」という、華やかだがそれほど複雑とまでは言えない論点と、それにまつわる紛争の実態について、少しでもかじったことのある者であれば、こんな記事は到底かけるはずもないからだ。
確かに理屈の上では、現行の特許法35条の下で、会社が「契約、勤務規則その他の定め」をあらかじめ定めていない場合、発明者帰属ルールの下で、特許(を受ける権利)が使用者側に承継されず、トラブルになるケースはありうる。
また、使用者への特許を受ける権利の承継は定めていても、承継される権利に係る「相当の対価」を定めていなかったためにトラブルが生じることは、中小企業等ではよくあることで、そういった視点から見れば、上の記事は100%間違いとは言えない。
だが、今、経済界が最も問題視していて、法改正の議論においても最も議論になり得ると思われるのは、そういう次元の話ではなく、
「使用者に特許を受ける権利を承継する社内規程があり、かつ、そこで支払う対価の算定方法についても詳細に定められている(そしてそれに基づく支払いが行われている)にもかかわらず、その対価が少ないとして争いになる」
という場面を想定した話だったはずだ。
そして、だからこそ、経済界側は、従来の原則発明者帰属、というルールを法人帰属に切り替え、(名目的な)「権利の承継」というプロセスを法律上もなくしてしまうことで、発明者に対して何らかの補償金を支払うかどうかを完全に「使用者側の裁量」で済む問題にしようとしていたのだと思われるし、そのような考え方の是非はともかく*1、そう考えるのであれば、理屈としては一貫する。
しかし、上の記事をそのまま読むと、特許を受ける権利については「法人帰属」としつつも、使用者は「発明報奨規則」の制定を義務づけられ、「利益への貢献度に応じて発明した従業員に報いる義務を負う」ということだから、これまでと何ら変わらないのでは?という疑念が湧きあがってくる。
そして、そのような状況で、なぜ「訴訟リスクを抑える」ことができるのか、この記事の中に腑に落ちるような説明は何一つ書かれていない*2。
そして、この記事に書かれている通りのコンセプトで法改正がなされたならば、従業者側にとってみれば、特許を受ける権利が、名実ともに「使用者」に帰属することになる、という点において、(実態に何ら変わりはなくても)極めて気分の悪い話になるし*3、使用者側にとっても、訴訟リスクが減るかどうかが良く分からないまま、「特許庁による社内規程のガイドライン」なるものとの整合性をチェックする(?)という良く分からない仕事が増えることになってしまい、誰も得をしない・・・ということになってしまうのではないか、ということが懸念される。
なお、使用者側の立場で、この記事を善解し、書かれていないところまで裏読みして、
「権利の承継が存在しない以上、使用者が従業者に支払う対価から『譲渡対価』としての性質は失われるため、社内規程等によって支払われる「対価」の妥当性を、第三者が客観的に判断することはもはやできないし、そのような判断をする必要もない。」
「使用者側に義務付けられるのは、『報奨』を支払うための手続きを整備することだけであり、司法審査の対象となるのもそのような「手続き」のみである。規程等に則って支払われた『報奨』額の妥当性については、司法審査の枠外に置かれることになる。」
と、解釈することはできるのかもしれないし、実際、そういう方向で法改正が進められようとしている気配もないわけではない。
ただ(繰り返しになるが)、本来であれば、「(譲渡対価の支払いを観念しえない)使用者帰属」ルールにするか、それとも、従来どおり「従業者帰属」ルールを維持するか、という二者択一で決着を付けられるはずの問題において、政策的な「報奨支払義務」を課す、というのはいかにも中途半端だなぁ、と思うし、そのような制度を導入した帰結としてどういう結果がもたらされるのか、ということについて予測可能性が立たない、という点でも現状と大して変わりがないように思えてならないわけで・・・*4。
平成16年改正法に合わせて新しいルールを作り、その後積み重ねてきた実務によって、ようやく安定的な運用ができるようになってきた今になって、また“ガラガラポン”でルールを変えるのが良いことなのかどうか、もう一度問い直されるべきではないか、と思うところである。
*1:過去のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130607/1371575295)にも書いたように、自分は、特許法新35条4項、5項の効果を十分に検証することなく、拙速な「法人帰属」論を持ち出すことには極めて懐疑的である。
*2:かつての青色LED事件のように、特許権の帰属そのものが訴訟での争点とされるケースもないわけではないが、規程が整備されている大企業の事例の場合、特許権の帰属に関する従業者側の主張が認められる可能性はほぼゼロ、と言ってよい。問題になるのは、あくまで補償金の額の大小であり、実際に従業者に支払われている対価と、裁判所が認定した「相当の対価」の額との間に大きな乖離がある場合でも、特許権の帰属に影響が及ぶことはない、というのが現実であり、「法人帰属とすることで訴訟リスクを抑える」という表現は、かなりピントがずれた表現のように思えてならない。
*3:法人帰属にしたところで発明者たる従業者のインセンティブには影響しない、という意見は良く目にするし、単に「帰属」の面だけ捉えれば実際その通りだと思うが(誰しも、自分が特許権者になろうとして、会社の中で開発を行っているわけではないので)、報道のされ方等によっては、悪いアナウンス効果が生じて、開発に従事する社員の士気に影響する可能性がないとは言えないだろう。
*4:しかも、これから法改正をしたところで、その効果を過去に遡及させることは、ほぼ不可能である。